開放してあげる
「ああ、今日もコレットは本当に可愛いです。可愛さだけでできています。地上に舞い降りた天使です」
舞踏会に行くための装いを見たアナベルは、そう言ってコレットの周りを何度もウロウロしている。
「着替えの前からずっと見ていたじゃない。そろそろ飽きないの?」
「コレットの可愛らしさは一瞬一瞬で更新されていくのですよ。見逃せませんし、飽きるはずもありません」
アナベルはそう言うと立ち止まり、ドレスのリボンの角度を調整し始めた。
コレットのドレスは、サーモンピンクと白を基調とした可愛らしい仕立てだ。
背中と胸元には大きめのリボン、全体に白とピンクのレースがふんだんに使われて華やか。
白い艶のある生地で作られた花飾りの花芯には青いビーズが使われ、ドレスと髪に散りばめられていた。
間違いなく上品で可愛らしいこのドレスは、王宮からエリクの名で贈られたものだ。
届いたのは先日だが、仕立てる時間を考えれば女神の魔法がゴリゴリに効いていた頃に発注されたのだろう。
今のエリク相手に着るのもどうかとは思ったが、王子から贈られたドレスを着ないというのも角が立つ。
こうなったら、やるべきことをさっさと済ませて帰るしかない。
アナベルと共に王宮に向かうと、そこは既に大勢の参加者で賑わっていた。
「こんばんは、身の程知らずの伯爵令嬢」
「ごきげんよう、勘違いの公爵令息」
挨拶から既に臨戦態勢のジェレミーとアナベルは暫し笑みを交わし、そして同時にため息をついた。
「ナタリーと殿下の婚約の噂で持ち切りですね」
「ええ、負け犬の遠吠えがよく響いているようで」
見えないはずの視線が交差し、火花が散るのを感じる。
「そもそも身分の差がありますからね。分不相応もいいところ。一時の夢を楽しめて良かったのでは?」
「そうですね。今まで散々殿下にアピールしているという噂は聞いても、成果はありませんでしたから。良い思い出を作れたのでは?」
笑顔だ。
一片の曇りもない輝く笑みから、どす黒い何かが立ち上っている。
「今日こそは、ナタリーの可愛らしさに負けを認めさせましょう」
「そちらこそ、コレットの可愛らしさにひざまずけばいいのです」
これで家同士が犬猿の仲とか、本人同士の馬が合わないというのなら、まだわかる。
だがこの二人の諍いは徹頭徹尾『うちの妹の方が可愛い』に集約されているので、どうしたものか。
まあ、今回は完全にズルをした形でコレットがエリクに近付いたようなものだし、今後はナタリーに関心が向くのだろうから少しは落ち着くかもしれない。
アナベルには悪いが、『可愛い』の集大成は王子の妃だけではない。
今後は別の方向で生きてほしいものである。
「コレット様。殿下がお呼びでございます」
どうでもいい可愛さの戦いを何となく見守っていると、いつの間にかそばに来ていたメイド長が頭を下げる。
それを見た瞬間、ジェレミーの眉間には皺が寄り、アナベルの瞳には星が輝いた。
「ほら、見てごらんなさい。コレットがあまりにも可愛いから、殿下がお召しです!」
「安易な考えですね。お別れの挨拶かもしれませんよ」
ある意味でジェレミーが正解なのだが、これを言うと面倒くさいのでやめておこう。
結局戦いが再開した二人を放置して、メイド長に促されるまま会場を進んで行く。
テーブルの上には美味しそうな料理が並んでおり、可能ならばそれを食べるのに専念したいくらいだ。
謎の大きな肉もいいし、トマトを丸ごと使った何かも気になる。
果物やパンだけでも色々な種類があって、見ているだけでお腹が空いてきた。
やることを済ませたらすぐに帰ろうと思っていたが、もったいないので少しお腹を満たしてからにしよう。
現実逃避で料理を眺めていると、あっという間にエリクの姿が見えてくる。
喧騒から少し離れた壇上に豪華な椅子が置かれており、そこが王族の席だということはコレットでも知っていた。
まだ国王と王妃の姿はないが、エリク一人でも十分すぎるほどの存在感だ。
顔は言うに及ばず人並外れた麗しさで、場の雰囲気も相まって高貴さも迸っているが、問題はそこではない。
コレットが近付くにつれて顔が横を向き、同時にプルプルと揺れているところを見るとまた首を寝違えているようだが、問題はそこでもない。
コレットはエリクの前に立ち一応の礼をするが、その視線は胸元に釘付けだ。
黒と金を基調とした正装は華やかでエリクにとても似合っているが、その胸元を小さな花が彩っている。
白い艶のある生地で作られた花飾りの花芯には青いビーズがあしらわれており……どう見てもコレットのドレスや髪を飾る花と同じものだった。
「……ちょっと一旦、下がるわ」
「どこへ行くつもり」
「いや、だって。さすがにここで髪飾りやドレスの花をむしり取ったら、目立つから」
コレットとしてはそれでも構わないけれど、シャルダン伯爵令嬢としてあまりよろしくないだろう。
「何故むしる必要が?」
「だってお揃いじゃない。嫌でしょう?」
既に女神の魔法が消えかけている以上、エリクにとってコレットは『何故か昔好きだった気がするけれど、その理由が不明な通り魔のような存在』のはずだ。
どうでもいい相手とお揃いだなんて不愉快だろうし、ナタリーだって嫌な気持ちになるだろう。
すると、それを肯定するかのようにエリクの表情が曇り、頭の揺れが加速していく。
「下がらなくていいし、そのままでいい。俺は君が……、君の……、ああ!」
今日も何かを言いかけてはやめているが、首を寝違えると人はこんなにも挙動不審になるのか。
確かに痛くて視界が固定されていたら不愉快だろうし、落ち着かないのもわかる。
一体どう寝違えるとこうなるのかはわからないが、無理せず横を向いていればいいのに。
しばらく何かを言おうと頑張っていたエリクは、やがて疲れ切った様子でため息をついた。
「とりあえず、これを」
エリクの指示でメイド長が持ってきたのは、高価そうなクッションに乗せられたガラスの靴だ。
相変わらずきらきらと輝いて美しいが、これがすべての原因なのかと思うとちょっと憎らしい。
「持って来たが、どうするつもりだ?」
「……解放してあげる」
コレットはガラスの靴を素早く握りしめ――勢いよく床に叩きつけた。
高い音と共に砕け散ったガラスが辺りに散らばると、エリクとメイド長の口が動揺のままに開きっぱなしになっている。
ガラスの欠片は夢のように美しく輝き、そのまま光の粒になって消えていった。
コレットは深呼吸をすると、目を見開いたままのエリクに向き直す。
「もう会わない。さようなら。これからは好きなものを好きな人と楽しんで。……あなたのこと、嫌いじゃなかった」
一気にまくしたてると、踵を返す。
テーブルに並んでいたパンを掴むと、コレットはそのまま庭に出て行った。
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