これは失恋ですらない
「あああ、コレット様! お久しぶりでございます。お待ちしておりました、お待ちしておりましたっ!」
王宮に到着してすぐにコレットを出迎えたのは、泣きそうになりながら喜ぶメイド長達だった。
訪問の意思を伝えたら送迎のための馬車も用意された上に、この対応。
どうやらまだ彼らの中では、エリクにとって大切な女性という扱いらしい。
当然エリクが迎えに来ることはないので、さっさと庭に向かうと椅子に腰かける。
こうして王宮の美しい庭を眺めながらお茶を飲むことももうなくなるのだろうし、せっかくだから十分に楽しまなくては。
メイド長が淹れてくれたのは、いつかと同じ林檎の紅茶だ。
甘酸っぱい香りを楽しんでいると、メイド長は幸せそうにコレットを眺めている。
差し出されたシナモン入りのクッキーを頬張るが、久しぶりでも美味しさは変わらない。
このクッキーも食べるのは最後だと思うと、ちょっと寂しい。
「殿下はもともと愛想のいい方ではありませんが、コレット様関連ではとても楽しそうに笑ってくださって。その熱心な執着ぶりにこちらも少し引いて……いえ、微笑ましく見守っておりました」
何だかおかしな言葉が混じっていたような気がして、クッキーを食べる手を止める。
「コレット様がいらっしゃらなくなってから、殿下の笑顔は減りました。更に何かを言おうとしてはやめたり、どこかに行こうとしてはやめたり、手紙を書こうとしてはやめたりと、今までにない珍行動をとるようになって……私共も心配していたのです」
何かを言いかけてやめるのは、コレットも実際に目にしている。
どうやらエリクの様子は引き続きおかしいようだが、これも女神の魔法の影響なのだろうか。
すると、ちょうど庭にエリクが姿を現した。
以前のように満面の笑みで駆け寄って来ないのは、わかる。
だがしかし、顔をほぼ真横に向けながら歩み寄って来られても、正直怖い。
どうやらまた首を寝違えているようだが、つらいのならばコレットの訪問を断ればいいのに。
最初に自分から要請した手前、無視できないということだろうか。
義理難いことだと感心するが、きちんと話をする機会を持てたのはありがたい。
にこにこしながらお茶の用意を終えたメイド長が下がると、椅子に座ったエリクはちらりとコレットに視線を……向けようとしているみたいだ。
先日と同様に首に力を入れて頭がプルプル揺れているが、とてもお茶を飲むような状態ではない気がする。
「あの。寝違えたのなら、無理にこっちを向かなくていいわよ。ちょっと話したいことがあるだけで、すぐに帰るから」
王子としてのプライドなのか、客人への配慮なのか、とにかくどうにかして視線を合わせようとするのは悪いことではない。
だが普段は穏やかで麗しい顔が苦痛に耐えながら力を込めてプルプル震える様は、見ているこちらも切なくなってしまう。
……あと、何となく首が痛い錯覚に陥る。
好意がないことはわかっているし、視線を外されるよりは最初から横を向いている方がダメージも少ないのだが。
「寝違えてはいないし、無理なんて。俺はただ……いや、その。怪我は、平気?」
「うん。たいした傷じゃないし、もう見えないでしょう? お化粧で隠れるくらいよ」
心配無用と言いたかったのに何故かエリクの眉間には皺が寄っていくのだが、そんなに見た目が悪いのだろうか。
「それでも、傷は傷だろう」
「まあ、そうだけれど」
これはつまり、傷物なコレットとお茶をするのが苦痛という意味だろうか。
真意は測りかねるが、とりあえずこの話題ではエリクは不機嫌なのは間違いない。
「見ていて不愉快なら横を向こうか?」
そうすると互いに横を向く形になるので、一緒にお茶を飲む意味がよくわからなくなってくる。
本当なら退席するべきなのかもしれないけれど、話が終わっていないのでこれで妥協してくれるといいのだが。
「いや、違う。不愉快というわけでは……ああ、くそ!」
急に口調が荒くなったので驚くと、エリクの表情が曇った。
「ちょっと最近、調子が。いや、いい。気にしないで。君は悪くないんだ」
エリクは大きなため息をつき、そのままティーカップに口をつける。
やはり、首の調子が悪いのか。
全体的に言動も妙な部分があるけれど、これは女神の魔法が消えかかっていることで精神が不安定なのかもしれない。
好きだと言い続けた相手が急にどうでもよくなってくるのだから、その落差に心が落ち着かないとしても不思議はないか。
「ええと。今日はエルノー公爵令嬢は来ないの?」
「わざわざ招待するような相手でも、間柄でもないよ」
微塵の興味も感じさせない声と言葉に、コレットは少し驚く。
「でも、この間は一緒にお茶しに来たじゃない」
「あれは勝手について来たんだ。君が帰ったから、すぐに彼女も帰した」
「そ、そうなの」
「ああ。君のために用意した場だから、君がいないなら不要だろう」
説明義務は果たしたとばかりにエリクは紅茶を飲んでいるが、何だか違和感が凄い。
コレットを特別に想っていないのはわかるけれど邪険にもしないのは、もともとのエリクの感情と判断なのだろうか。
何にしても、さっさと話を終わらせて邸でゆっくりしたい。
「変な意味でとらえないでね。あの……私のこと、どう思う?」
色々考えた末の質問だが、やはりかなり不自然な言葉になってしまった。
だが、今一番確認すべきは女神の魔法の残り具合と、コレットという存在の意味を確認することだ。
今までなら聞くまでもなくコレットが好きだと即答しただろうから、悩んでいる様子の現在、その魔法が弱まっているか消えているのは確実だろう。
「す……! だいす……! き、興味は、ない。――いや、気にはなる!」
言っている内容が矛盾しているし、何故かエリクの呼吸が乱れている。
苦虫を噛み潰したというのはこれだという渋い表情だが、それでも麗しいのだから恐ろしい。
「それは女神の魔法のせいよ。今はもう、私のことはどうでもいいでしょう?」
何だか心変わりを攻める恋人みたいな言い回しになってしまうのは気になるが、聞きたいことを聞いているだけなので仕方がない。
「違う、俺は……」
エリクはため息と共にクッキーに手を伸ばすが、ぴたりと動きを止める。
すると、クッキーを取らずに葡萄を口に放り込んだ。
その何気ない動作が、何故だかとてもひっかかる。
「どうしてクッキーを食べるのをやめたの?」
「シナモンの香りがしたから。苦手なんだ、この香り」
こともなげにそう言うと、さすがに頭をプルプルさせたままでは紅茶を飲めないらしく、横を向いた状態でティーカップに口をつける。
お手本のように美しい所作を見ながら、コレットは衝撃を受けていた。
コレットはシナモン入りのクッキーが好きで、エリクはそれを用意させていた。
何度かコレットの勧めでクッキーを食べるところも見たことがある。
今までずっと、シナモンは苦手だと言えずにコレットに付き合っていたのか。
いや、そうせざるを得なかったのだ。
好みを捻じ曲げるほど、女神の魔法は強力ということ。
こうやって本人の意思を無視して、コレットへの好意を強制的に抱かされていたのだ。
エリクに無理をさせたことも、完全に本人の意思ではなかったコレットへの好意も。
その事実が申し訳ないし、悲しいし、つらい。
……認めよう、コレットはエリクのことがたぶん好きだ。
変態気味で怖いところもあるけれど、それ以上に一緒にいて楽しいと思うようになっていた。
女神の魔法の影響なのだとしても、もうそれに抗うことができない。
でも、これは駄目だ。
好きだからこそ、エリクの心を歪めて無理をさせたくはない。
「お願いがあるの。エリク様の部屋にあるガラスの靴を、明日の舞踏会に持ってきてくれない?」
「ああ、あれか。いいよ」
この頼みをあっさりと承諾するあたり、もうコレットの知るエリクではないのだとよくわかる。
女神の恩寵の結晶は二つ一組で、魔法が消えればガラスの靴も消える。
まだ靴があるということは、なけなしの魔法が残っているはず。
だからこそ、コレットとのお茶にもきちんと来たのだろう。
迷子のコレットを探したのもその影響で、それでも消えかけの魔法だったから不本意な心が表情に出ていたわけか。
コレットが関わったのは、偽りの感情を向けてくれたエリク。
そして好意があるからこそ解き放ってあげたいというのが、今のコレットの望みだ。
「ありがとう、エリク様」
結果はわかり切っていたことだ。
これは失恋ですらない。
もとの状態に戻って、それぞれ自分の意思で生きる。
ただ、それだけ。
エリクにとっては、物理的衝撃と女神の魔法でもたらされた一時の悪夢のようなものなのだ。
コレットはにこりと微笑んでシナモンクッキーを頬張る。
今日のクッキーは、何だかほろ苦い味がした。
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