ちょっと、出来心
顔が青くなるという言葉があるけれど、ナタリーの顔がまさにそれだった。
血の気が引いた顔は青というよりも白に近いほどに変化しているのに、それでも笑みを浮かべようとするのはさすが貴族と言うべきだろうか。
無表情のまま掴んでいた手を放したエリクは、そのままコレットを庇うようにナタリーとの間に立った。
「こ、これは違うのです。あの女がわたくしに紅茶をかけてきましたの。怖かったですわ!」
「俺には、君がコレットに手を上げているように見えたが」
潤んだ瞳で縋りつきそうなナタリーを軽く手を上げて制すると、エリクは淡々と問いかける。
「それに、コレットの服が汚れているのは何故?」
「そ、それは、その女が自分で」
エリクの声が持つ圧力のせいか、ナタリーはしどろもどろになっている。
それに気付いているのか、いないのか。
エリクはほんの少しだけ口元を綻ばせ、小さく息をついた。
「へえ。それじゃあ、コレットは自分の服に紅茶をこぼして、君に紅茶をかけたんだ」
「そ、そうです! 口汚い言葉もかけられましたのよ。つらかったですわ」
希望を見出したとばかりに流れるように話すナタリーを見て、エリクはにこりと微笑む。
「ねえ――俺を馬鹿にしているの?」
「ひっ⁉」
笑顔のまま放たれた冷たい声音に、ナタリーだけでなく令嬢達も小さな悲鳴を漏らす。
つまらなそうにそれを一瞥すると、エリクはコレットの顔を覗き込んだ。
「コレット、大丈夫?」
「平気」
どちらかというとエリクの顔が近いことの方が問題なので、離れていただきたい。
慌てて手と首を振ると、エリクの視線が鋭くなる。
「それは、血?」
「ああ。これは苺よ」
確かに一見すると血まみれの手だなと感心しながら赤く染まったレースの手袋を見ていると、あっという間にエリクに抱き上げられる。
浮遊感に、密着した体に、至近距離で見上げるエリクの顔。
公衆の面前でまさかの展開に、コレットは驚きのあまり固まってしまう。
そのまま動き出そうとするエリクを見て、ナタリーが慌てて一歩前に出た。
「お待ちください」
「……何?」
鬱陶しそうとはいえエリクが止まって返事をしたことに気を良くしたのか、ナタリーの表情は力強い。
「何故、そのような平民を構うのですか」
貴族令嬢代表という顔で告げられた問いに、エリクは心底面倒くさいと言わんばかりにため息をついた。
「それ、答える必要ある? 俺に、君の疑問を解消する義務があると思う?」
「え?」
恐らくエリクの目を覚まそうとしたのだろう。
想定外らしい答えに、ナタリーは口を開いたまま動きを止めた。
「まあ、いいや。コレットはね、俺のお気に入り。大切な人。彼女は伯爵令嬢だし、平民だったとしても別に構わない。……わかった?」
「え? は、はい?」
絶対理解していないし納得するはずもないのにうなずいているのは、エリクの麗しい顔面と高貴な雰囲気の圧のせいだろう。
本当に人間とは思えないなと感心していると、その紺色の瞳がすっと細められる。
「じゃあ、そのコレットに手を出した意味……わかるよね?」
エリクの言葉にナタリー達が何も言えずにいるのを見ると、エリクはコレットを抱えたままその場を立ち去った。
「エリク様もお茶会に来たのよね。巻き込んでごめんなさい」
結局どう抵抗してもおろしてもらえなかったコレットは、馬車に乗せられてようやく自由を手に入れた。
送るという言葉通りアナベルには話を通してあるらしく、つまり逃げ道はない。
コレットの向かいにエリクが座るのを待ち、まずは謝罪をした。
あのお茶会にエリクが来るという話は聞いていなかったが、せっかく参加したのにとんぼ返りなのだから申し訳ない。
「気にしないで。もともと行く予定はなかったし、招待もされていない。コレットが参加すると聞いたから覗いてみたんだけど……正解だったな」
行く予定がなくて招待されていないなら参加できないと思うのだが、そのあたりは王子だと出入り自由なのだろうか。
身分を重要視するのなら王子の訪問は喜ぶべきことなのかもしれないが、何とも釈然としない。
「まさか、いつもあんな目に遭っていないよね?」
「基本的にどこにもいかないし誰にも会わないから。あとは、たぶんお姉様が守ってくれているんだと思う」
アナベルは、優しい。
ちょっと引いてしまうくらいには、コレットを大切にしてくれる。
色々言いたいことはあるけれど、母を亡くしたコレットにとって救いだったのは事実だ。
「それで、手は本当に平気なの? ちょっと見せて」
促されるままに手を差し出すと、エリクはためらいなくレースの手袋を脱がせる。
「え、ちょっと」
怪我の確認をしたいのはわかるが、女性の手袋を勝手に取るというのはどうなのだろう。
これもまた王子だと許されるのだろうかと考えている間にも、エリクはコレットの手を握ったまま顔を近付けてじっと指先を見ている。
苺の果汁が染みて赤く染まってはいるが、このくらいなら手を洗えばすぐに落ちるだろう。
「ほら、何ともないでしょう。それよりもエリク様の手がベタベタになるから……」
はなしてという間もなく、エリクはコレットの指先にそっと唇を落とした。
「きゃああ⁉」
叫びながら手を引いて椅子の端に身を寄せるコレットに、エリクは困ったように微笑む。
「確認しただけだよ。血が出ているかもしれないだろう?」
「怪我したら私がわかるし、キスする必要なんてないじゃない!」
「それは……ちょっと、出来心」
「認めた!」
目が眩みそうな微笑みと共に告げられた言葉に、コレットの情緒が大暴れだ。
あんなに麗しい笑みを浮かべてくれるのなら、別にいいかもしれない……と一瞬でも脳裏をよぎった自分が怖い。
女神の魔法が本当に怖い。
最悪の場合には、目が覚めたエリクに不敬罪を適用される可能性すらあるのだ。
決して認めるわけにはいかないと睨みつけるコレットに、エリクは困ったとばかりに口元を綻ばせる。
「あのね、コレット。俺はコレットが好きで、大切で、愛しい。そんな女の子がどうでもいい奴に紅茶をかけられて、手を真っ赤に染めているんだよ。心配するだろう? 手にキスくらいしたくなるだろう?」
「後半! エリク様の話は後半がおかしいの!」
何をさも当然と言わんばかりにキスしたいとか言っているのだ、この王子は。
顔面の持つ威力を考慮して、そういう発言は慎んでもらわなければ困る。
「気のせいだよ」
穏やかに微笑まれてしまうと、何だかコレットの方が間違っているような気になってくる。
これはエリクだからなのか、王族とはこういうものなのか、よくわからない。
「あの……助けてくれたのよね。ありがとう」
正直に言えばナタリーの平手ごとき避けられるし、叩かれたところでたいしたことはない。
だがコレットが何をしてもこじれただろうし、相手は公爵令嬢。
あのままではシャルダン伯爵家にも迷惑が掛かった可能性もある。
「いいよ。謝るのは俺の方。嫌な思いをさせてごめんね、コレット。……正式に婚約でもすれば、また違うけれど」
「しないわよ」
婚約という言葉に鼓動が跳ねたのは、気のせいだ。
エリクはもうすぐ女神の魔法が消えて、コレットから興味を失うのだから。
捨てられるとわかっていて、ときめきに騙されてなるものか。
「わかっているよ。今はそれでいい」
本人も言っていたが、エリクが望めばすぐにでもコレットを拘束することができる。
当然、王家からの命令となれば婚約も可能だろう。
むしろシャルダン伯爵家にとっては栄誉と言ってもいい。
だがエリクは毎日王宮に来てほしいとは言うものの、そういう決定的な行動はとらないでいてくれる。
「エリク様は変態だけれど、一応優しいわよね」
「それは褒めているのかな?」
「うん」
貴族どころか王族なのに、無理強いしないでコレットを尊重してくれるのは新鮮だし嬉しい。
あるいは本来のエリクの心がコレットへの気持ちは偽物だ、と気付いて止めている可能性もある。
まあ欲を言えば訪問要請もなくなるといいのだが、これは女神のせいなのだろうから仕方がない。
「そうか。コレットに褒められるのは嬉しいな」
屈託のない笑顔には紛れもない好意が溢れていて、それがコレットの心を揺さぶる。
エリクの好意もコレットのときめきも、全部偽りだというのに。
――女神の魔法は、いずれ消える。
その時コレットは……どうなるのだろう。
そしてその数日後。
いつものように王宮の庭でお茶を飲みながら、コレットはぽつりと呟いた。
「……エリク様、来ないわね」
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