嫌いじゃない。好きじゃないだけ
「……それで、女神と言い争っている可愛らしい子がいるから、様子を見ていたんだ」
エリクは御機嫌で話し続けているが、その手はコレットの手に重ねられたままだ。
おかげで全然話が頭に入って来ないし、たまに入ってくる言葉もろくでもないので、脳が受付を拒否している。
結果、コレットは片手でただひたすらにクッキーを口に運ぶ生物と化していた。
「月の光に輝くコレットの髪は夢のように美しくて……コレット、聞いている?」
「ふぁい?」
口いっぱいにクッキーを詰め込んだせいで、上手く返事ができない。
貴族どころか平民女子としてもあり得ない態度だが、エリクは何故か楽しそうに笑いだした。
「……そんなに、面白いの?」
どうにか飲み込んでから尋ねると、エリクはようやくコレットから手を放し、ティーカップを差し出してきた。
「うん。面白いというよりは、可愛くてたまらない、かな」
「マナー的には最悪だと思うけれど」
わかってはいても、身についた仕草というものはそう簡単には変えられない。
ティーカップを受け取って紅茶を飲むが、この飲み方だって一生懸命努力した結果だ。
これでも生粋の貴族令嬢の足元にも及ばないし、特に張り合うつもりもない。
だがコレットのせいでシャルダン伯爵家の評判が下がるのは、嫌だ。
それであまり社交の場に出ないようにしたのだが、こういうものは場数も大事だろうし、さすがにいつまでも逃げ回るわけにはいかないだろう。
コレットとしては美味しく食べて楽しく飲めればそれでいいのだが、貴族というものは実に面倒くさい。
「まあ、褒められたものではないね。でもここは私的な場だし、俺はコレットの自然な姿の方が好きだな」
「そ、そう」
いちいち好きだとか言われると心臓に悪いし、ティーカップを置いた途端また手を重ねられたのだが、これは一体何なのだ。
「ねえ。何で私の手に触れるの?」
「コレットに触れたいから」
どうにも我慢できずに尋ねると、エリクはこともなげにそう言い切った。
「いや、触りたくないものを無理して触っていたらそれはそれで衝撃だけれど。そうじゃなくて、何で話をするのに触れている必要があるのよ」
「本当なら抱きしめて、俺の腕の中に閉じ込めておきたいところを、ぐっと我慢しているんだ。我慢料だね」
謎過ぎる料金形態を発表されたが、何故自信満々に胸を張っているのかわからない。
「ということは、手に触れていれば抱きしめられることは今後一切ないのね。それは良かった」
ずっと手に触れられているのはちょっとアレだが、背に腹は代えられない。
納得したコレットとは対照的に、エリクが慌て始める。
「いや、これはあくまでも話をしている間の俺を落ち着かせるためのものであって、それはまた別の話だ」
「落ち着かせるって何。話をするのに何がそんなに落ち着かないのよ」
とりあえず触れたいのだなということは何となくわかったけれど、理由がどうもおかしくはないか。
「コレットが目の前にいるんだよ? 可愛くて可愛くて食べたくてたまらないに決まっているだろう!」
そんなに堂々と宣言する内容ではないと思うのだが、麗しい顔と美しい声で訴えられると納得させられそうになるのだから恐ろしい。
「落ち着いてほしいし、食べないでほしいし、できれば手も触らないでほしい」
このまま流されたら終わりなので意見を伝えると、エリクは驚愕の表情の後にがっくりとうなだれた。
……いや、ソファーに倒れ込んだと言った方が正確かもしれない。
「そんな。コレットがそこにいるのに、指一本触れられないなんて。酷い拷問だ。俺が何をしたんだ」
「何かをしそうだから先手を打っただけよ」
「まだしていないのに……」
いずれするつもりなのか、と思わないでもないが、あまりにも激しい落胆ぶりにちょっとかわいそうになってきた。
「……ちょっとだけなら、いいけれど」
「指一本⁉」
「どういう単位なのよ⁉ あと、何だかかえっていやらしくて嫌だ!」
普通に考えたら手よりも指一本の方が触れる範囲は狭いのだが、エリクの場合には本当に指を食べそうで油断できない。
「そういえば、家に連絡しないと」
アナベルがエリクに連絡したとはいえ、見つけたと伝えなければ結局コレットは行方不明のままということになってしまう。
「ああ、それなら大丈夫」
エリクはソファーに倒れたままの姿勢で上着の内側に手を入れると、何やら紙を取り出して広げる。
そこにはトゥーサン・シャルダン伯爵のサインがあり、『コレットの外出を許可する』と書いてあった。
「シャルダン伯爵家にはもう連絡してあるし、きちんと外出の承諾も取ってあるから。心配しなくてもいいよ」
「外出っていうか外泊だし……何だか売られた気分」
いや、貴族令嬢としては王子と親睦を深めるのは願ってもないことなのだろうが、どうにも釈然としない。
トゥーサンは跡継ぎのアナベルの代わりに外交の駒としてコレットを迎え入れたはずだし、そういう意味では期待に応えて役に立っていると言えなくもないのか。
大変に不本意だが。
しかもいずれはエリクと無関係になるのだが。
ため息をつくコレットに、エリクは体を起こして心配そうにこちらを見ている。
「売られたというのは言い過ぎじゃないかな。伯爵もとても心配していたよ」
「うん。心配はしてくれていると思う。優しいから」
「それに買うとしたら俺だから、大丈夫」
「それは逆に心配しかない」
トゥーサンとしては最高の成果かもしれないが、時間経過で必ず破綻する関係などかえって迷惑をかけるだろう。
「……コレットは、俺のこと嫌い?」
「嫌いじゃない。好きじゃないだけ」
正確には好きになってはいけないだが、要は同じこと。
エリクは今後必ずコレットから離れるのだから、捨てられる前に無関係でいたい。
それが、お互いのためなのだ。
黙ってうつむくと、そっと頭を撫でられる。
「夕食はどうする? 疲れているなら、湯浴みと寝室の用意をさせるけれど」
「クッキーでお腹いっぱいだし、疲れたからお風呂に入って寝る」
「わかった」
エリクは微笑むと、再びコレットの頭を撫でる。
その手つきが優しくて、不覚にもときめいてしまいそうだ。
本当に女神の魔法が忌々しい。
お風呂に入ったコレットに用意されていたのは、可愛らしい寝衣だ。
わざわざ用意してくれたのかと使用人に感謝を伝えると、すべてエリクの指示なのだという。
王子の別邸とはいえ、今はシーズンオフなので使用人も最低限の数。
それを何人かの使用人の補充と共に、コレットに必要なものを急いで運ばせたらしい。
「殿下がここに女性を連れてくるのは初めてです。まして、あのように心を砕く殿下を見たことがありません。コレット様のことが本当に大切なのですね」
そう言いながら髪を梳かしてくれたのだが、何と答えたらいいのかわからなくて曖昧にうなずく。
「殿下は自ら馬を駆ってこの邸にいらっしゃいました。コレット様の乗った馬車を発見し次第誘導する手はずでしたが、探しに出ようとする殿下を必死に騎士が止めて……大騒ぎでした」
「何だか……ごめんなさい」
大勢の人が動いたのだろうと漠然と思っていたが、想像以上に大変なことになっていたらしい。
この邸で最初に会った時にエリクが疲れた様子だとは思ったが、移動と捜索のせいだったのかもしれない。
「本当にご無事で何よりです。コレット様に何かあれば、きっと恐ろしいことになっていたでしょう」
「……恐ろしいことって、何?」
「恐ろしいことですね」
その言葉だけで既に怖いのだが一体何が起こるのか……聞きたくはない。
コレットが案内された部屋には沢山の花が飾られ、まるで花畑にいるかのようだ。
これもまたエリクの指示なのだと聞いて、やはり曖昧にうなずく。
部屋に一人になったコレットは、ベッドに倒れ込むと深いため息をついた。
「今回のことは私が迷惑をかけたわけだし、エリク様には感謝する部分もあるけれど。でもいくら何でもおかしくない? ただの伯爵令嬢にすることじゃないでしょう」
使用人達やアナベルは今のエリクの行動が本心だと思っているのだから、それは盛り上がるだろう。
だが実際のところエリクは女神の魔法で惑わされて強制的に変態にさせられているわけで、ただの被害者だ。
だから信じてはいけないけれど、優しさや配慮をされているのは本当なので、無下にするわけにもいかない。
その上コレット自身にも女神の魔法が効いていて強制的にときめいてしまうので、二人で夢を見ているようなものだ。
感謝はしても信じすぎない。
ときめいても惚れない。
優しくされても次の瞬間捨てられる覚悟を持つ。
「……何とも厄介よねえ」
だからこそ離れようとしたのに、このざまだ。
今度はもっとしっかりと考えて計画を立てなければいけないだろう。
もう一度ため息をつくと、ごろりと向きを変えて窓に目を向ける。
月光で外は明るいが、今日は満月だっただろうか。
ぼんやりと考えていると、視界の隅で何かが動いたように見えた。
気のせいかなと思っていると、今度は小さな物音が聞こえ、コレットは慌ててベッドから飛び降りる。
窓の外に何かの気配がするが、動物か……あるいは泥棒かもしれない。
コレットは周囲を見回すと燭台を手に取る。
万が一の時にはこれを投げつけて、その間に部屋から出て助けを求めよう。
意を決して燭台を握り締めると、ゆっくりと窓に近付いていく。
どうやら窓の外には小さなバルコニーがあるらしく、そちらの方から物音が聞こえる。
恐る恐るカーテンを開けたコレットの目に飛び込んできたのは、バルコニーの手すりを伝って移動するエリクの姿だった。
\\ 「来い破棄」明日、配信! //
詳しくは下記参照。
次話 「夜に至近距離で浴びる色気は猛毒」
「……今の、諦めるとか身を引く流れじゃなかった?」
「それじゃあ俺が死んでしまう」
明日も2話話更新予定です。
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