無事で良かった
――これ、駄目なやつ。
一瞬で判断を下したコレットは、素早く扉を閉めるとそのまま走り出す。
だが背後から伸びた腕はあっという間にコレットの腰に回され、持ち上げられてしまえばもう動けない。
「逃がさないと言ったよね」
「逃げていない。出かけただけ」
「その格好で、わざわざ街の馬車に乗って?」
そこを指摘されるとつらいが、ここで認めたら負けだ。
大体、コレットがどこに行こうと勝手ではないか。
「私の自由でしょう!」
「……そうだね。じゃあ、これも俺の自由だ」
急に低くなった声に驚いて顔を見るよりも早く、エリクはコレットを抱き上げる。
そのまま先程の部屋に入ってソファーにおろすと、コレットを背もたれに縫い留めるように両腕をついた。
顔の両脇にはエリクの腕があり、背後には背もたれ。
必然的に前を見るしかないのだが、吐息がかかりそうな距離にエリクの顔があって、その眼差しの強さにコレットはびくりと震えた。
「どこに行くつもりだった?」
「……領地」
「何をしに?」
「り、療養?」
「誰かに会う予定は?」
「予定? ……別に」
まるで尋問のようなこのやり取りに一体何の意味があるのかわからないが、今は答えるしかない。
「領地の邸には行ったことがないから、知り合いもいないし」
するとじっとコレットを見つめていたエリクは深いため息をついた。
「嫌がられるのも断られるのも可愛いから許すし、むしろ歓迎。でも、逃げるのは駄目。待つことはできるけれど、誰かに譲る気はない」
未だかつてない真剣な表情と言葉に、何と返答したらいいのかわからない。
するとエリクの瞳があっという間に潤み、そのままコレットをそっと抱きしめた。
「……無事で、良かった」
耳元に届く声とコレットを抱きしめる手が、微かに震えている。
「本当に、心配した。コレットに何かあったらと思って、気が気じゃなかった」
「ええと、あの……心配かけて、ごめんなさい」
そもそもはエリクがわけのわからない接近をしてくるから離れようとしたわけだが、確かに突然失踪したら心配するのは当然だ。
距離は取りたかったけれど、迷惑をかけたかったわけではない。
するとエリクはゆっくりと顔を上げ、そっとコレットの頭を撫でて微笑む。
いつもは眩い輝きを放つような美貌だが、今は何だか少し疲れて見えた。
「いいよ。でも、これからは気を付けて。どこかに行きたいなら、俺に声をかけてほしい」
「……それはおかしくない?」
首を傾げるコレットを見て苦笑すると、エリクは隣に腰を下ろした。
「コレットみたいな可愛い子が一人だなんて、危険極まりない。攫われたらどうするんだ」
「いや、そうじゃなくて。家族に声をかけるのならともかく、エリク様に声をかける必要はないわよね。それに現在攫われたようなものだけれど。これ、どうなっているの?」
コレットは朝から乗合馬車で遠くの街を目指していたのに、何故エリクが邸で待ち構えているのだ。
「アナベル・シャルダン伯爵令嬢から緊急連絡が入ってね。コレットがいない。最近領地の地図を眺めていたし、平民時代の服がないから街に出て領地に向かうつもりだろう、とね」
まさかの、ほぼバレている。
できる限り自然に地図をチラ見したつもりだったのだが、さすがにアナベルには気付かれたか。
そして平民の服のことまで把握しているのは衝撃だが、よく考えるとコレットのドレス類はアナベルが管理しているので筒抜けでもおかしくない。
「計画が甘かったか……」
「甘くて良かったよ。連絡を受けてすぐに乗合馬車や荷馬車を確認させて、先回りをしたんだ」
簡単に言うが、そのためにどれだけの人数が駆り出されたのだろう。
コレットにも理由があったとはいえ、さすがに申し訳なかった。
「エリク様も、暇じゃないでしょう? ごめんなさい」
王子の仕事なんてまったく見当もつかないが、日がな一日ゴロゴロとソファーに転がってクッキーを齧っていないことだけはわかる。
何も自ら来なくてもいいのではと思わなくもないが、どちらにしてもコレットのせいだし、心配してくれたのだ。
「だから、もういいよ。コレットが無事で、今後は俺を呼んでくれればそれでいい」
「いや。だから後半は約束してないからね。勝手に決めないで」
笑顔で騙されそうになるが、コレットは今まさに悪徳契約を結ばされそうになっているのだ。
油断してはいけない。
「ところで、その荷物は何?」
エリクの視線の先には、コレットが肩にかけたままのバッグがある。
「昼食用の、パンと林檎」
「へえ、見せてくれる?」
取り出したのは、紙にくるまれたパンで、中にはハムとチーズが挟まっただけだ。
だがエリクは興味津々という様子でパンを眺めている。
「何か面白いの?」
「ああ。なかなかこういうパンは見ないし、手に取る機会もないから」
それもそうか。
エリクは王子だし、街で売っている安価なパンなど縁がないだろう。
子供のように目を輝かせるエリクが、少し可愛い。
そこまで考えて、コレットは自分の過ちに気付く。
いや違う、可愛くない。
ここで気が緩んだら一気に飲まれてしまいそうだし、頑張らなければ。
「ねえコレット。このパンはどうやって食べるの?」
「どうって……そうか。王子は手持ちで齧ったりしないわよね」
コレットはエリクからパンを受け取ると、包んである紙を少し外してそのまま齧りついた。
少し塩気の強いハムが美味しいが、パンは硬めなのでよく噛まないといけない。
しばらくもぐもぐと咀嚼して飲み込むコレットを、エリクはじっと見つめている。
パンを齧るのが、そんなに珍しいのか。
もともとはこのパンを食べて夕方には街で宿を取るつもりだったのに、人生はままならないものだ。
するとエリクの手が伸びてコレットの手ごとパンを掴むと、あろうことかそのまま齧りついた。
「うん。ちょっと硬いけれど、美味しいね」
楽しそうに咀嚼しているが、コレットはそれどころではない。
手を握られ、至近距離に麗しい顔があって、しかも同じパンを食べたということは間接キスではないか。
動揺しつつも何と訴えたらいいのかわからないコレットの目の前で、あっという間にエリクはパンを平らげてしまう。
「ごちそうさま」
そう言ってぺろりと唇を舐める様は妙に色っぽく、コレットの中の何かが限界を告げた。
「――帰る!」
そう言うなり、コレットは勢い良くソファーから立ち上がる。
「帰るって、どうやって? あの馬車ならもう出発したよ。コレットを降ろすために立ち寄ってもらっただけだからね」
「そもそも、ここは何なの?」
「俺個人が所有する邸だよ」
妙に立派な邸だとは思っていたが、まさか王子所有の別邸とは。
領地に行って距離を取るはずが、かえって接近しているではないか。
「何という、罠」
「人聞きが悪いな。可愛いコレットを保護しただけだよ」
保護というものは、何らかの危機に瀕した人を匿うものではないのだろうか。
コレットにも非はあったとはいえ、現状は保護というよりも捕獲に近い気がする。
歩いて帰るにはさすがに距離があるし、何よりも道がさっぱりわからない。
乗合馬車がない以上はエリクの乗ってきた馬車か馬を借りるか、シャルダン伯爵家に連絡してもらうしかないだろう。
すぐには帰れないのだと悟ったコレットは、エリクに手を引かれるままソファーに腰を下ろした。
「せっかくだから、コレットとゆっくりしたかったし。ちょうどいいね」
「どういうこと?」
エリクの表情は穏やかだけれど、何となく不穏な言葉が聞こえたのだが。
「今から馬車を手配しても時間がかかるし、夜道は危険だ。今夜はここに泊まるよ」
「――は⁉」
衝撃のあまり目を見開いて固まるコレットの頭を、エリクは楽しそうに撫でる。
「時間はある。……じっくり、話をしよう」
その微笑みは春の陽だまりのごとき優しさと温かさ。
いつにも増して美しいエリクの笑顔に、頑張れ自分と激励の言葉を贈ることしかできない。
……もう死にそうだが。
御機嫌のエリクに、コレットはただ引きつった笑みを返すばかりだった。
次話 「嫌いじゃない。好きじゃないだけ」
変態が明かす、謎の料金形態。
夜も更新予定です。
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