捕らわれる
コレットは勢いよく椅子から立ち上がりながらスカーフを解き、エリクの顔に投げつけてそのまま図書室入口の扉に向かう。
スカーフが目くらましになっている間に、どうにかこの部屋から出なければ。
だが、押しても引いても扉は開かない。
「何も逃げなくても」
いつの間にかスカーフを手にして背後に立っていたエリクのため息に、色々な意味で背筋がぞわぞわする。
「わ、私は姉の付き添いで調べものに来ただけだから。すぐに帰るから、今帰るから!」
慌てて訴えると、エリクの綺麗な指が扉の方を指している。
それを辿っていくと、扉に張り付けられた一枚の紙に行き着いた。
『殿下が来たら、二人で仲良くね!』
アナベルの浮かれ切った文字を読み終えると、コレットは紙を引き剥がしてくしゃくしゃに丸める。
もしかすると、人生最大の敵は異母姉なのだろうか。
完全に純粋な厚意だとわかってしまうから、質が悪い。
「そんなに、俺と一緒は嫌なの?」
そうだけど、そうじゃないし、やっぱり嫌かもしれない。
エリクそのものというよりも、美貌や女神の魔法に屈して好意を持ったらと思うと恐ろしいので関わりたくないのだ。
「どうせすぐに侍従が俺を探しに来るから、戻らないといけない。それまでの間、調べものに付き合うよ。……それくらいは、いいだろう?」
「……わかった」
渋々納得するのを見て微笑んだエリクは、そっとコレットの額に手を添えた。
「熱が出たと聞いたけれど、もう平気?」
それはもしや『王子への恋心をこじらせて発熱』とかいうとんでもない噂がエリクの耳にまで届いているということだろうか。
冤罪の衝撃と優しい感触に混乱しすぎて、コレットはただぶんぶんと首を振ることしかできない。
よく考えれば「熱はないのか」という問いに首を振っているのだから、発熱していることになる。
それに気付いて動きを止めると、エリクの手が額から離れた。
「良かった、元気そうで。ずっと心配していたんだ」
その笑みの美しさに胸がぎゅっと苦しくなり、コレットは窓を破壊してでも逃げておけば良かったと早々に後悔をした。
今更どうしようもないので、エリクを伴って女神とガラスの靴について調べる。
つまりは現実逃避だ。
時間経過で自然に消えると言われはしたが、もしかしたら早めに魔法効果を消す方法だってあるかもしれない。
藁に縋るようなものだが、何もしないよりはましなはずだ。
王宮育ちだけあってエリクは蔵書にも詳しいし、内容に目を通すのも早い。
コレットは平民の中では読み書きできる方だが、それでも日常的に本に触れる人とは読む速度が違うのだと改めて痛感する。
こんな風に、エリクとコレットではすべてが釣り合わない。
早く互いの生きる世界に戻るのが幸せというものだ。
ガラスの靴の記述がある本を渡されたコレットは、集中して読み始める。
「ガラスの靴は靴というよりも女神の恩寵の結晶の形のひとつ。気に入った者にそれを与えて見守るのが、女神の趣味。……趣味の活動なの⁉」
そう言われてみれば、確かに女神は小動物になってまでコレットからパンの欠片を貰っていたのだし、人間を見守って関わるのが好きなのかもしれない。
ガラスの靴が恩寵の結晶で「ラブラブときめきプレゼント」も恩寵だというのならば……ガラスの靴がなくなれば、効果も消え去るだろうか。
女神も魔法が消えればガラスの靴も消えると言っていたし、可能性は大いにある。
だがひとつ目を叩き割ったらコレットのドキドキが始まったので、もう一つを割ってこの効果が更に強化されては困る。
ここは自然に任せた方が安全かもしれない。
「エリク様。ガラスの靴って、いまどこにあるの?」
「俺の部屋に大切にしまってあるよ。見に行く?」
自室に置いている時点でちょっと衝撃だったのに、何を言い出すのだこの王子は。
『絶対に来るな』という全力の否定的な手紙を送ってもなお、『恋心をこじらせて発熱』などという噂が流れているのだ。
この上エリクの部屋に入ったなんて知られようものなら、どんなことを言われるのか恐ろしくて考えたくもない。
そしてエリクはそれを喜んで受け入れるのだろうから、本当に始末が悪い。
「絶対に行かない。持ってきてくれる?」
「うーん。今渡すと、また叩き割られそうだからな」
余計なところで鋭いが、まさか肯定するわけにもいかない。
「わ、割らないわよ。何でそう思うの?」
「ここ」
そう言ってエリクは本に近付いてページを指差す。
頬が触れてしまいそうな程に近いが、ここで声を上げたら意識していますと白状するようで悔しい。
唇を噛んでときめきに耐えるコレットの横で、エリクが記述を指でなぞった。
「女神は万能に近いが、唯一時間と心は完全には掌握できない。だからそれらに干渉するためには自身の……」
「ややこしいから省略して。要約して」
エリクの顔は近いし、声は耳が震えそうな美しさだし、何だかいい香りもする。
それに文章をなぞるのが速すぎて、コレットにはよくわからないのだ。
とにかくさっさと教えてほしいし、少し離れてほしい。
じりじりと距離を取るコレットを見て、エリクは楽しそうに微笑んだ。
「要は、女神の恩寵の結晶は二つ一組。一つを失うと急速発動し、もう一つを失うと消失する」
それはつまり、ガラスの靴のもう一足を割れば、一気に事態が収束する可能性があるわけか。
これはまさかの希望の光。
コレットはキラキラと輝く瞳でエリクを見つめた。
「あの、ガラスの靴を持ってきてくれない?」
「この流れで持ってくると思う? 女神の恩寵が何を引き起こしたのかはともかく、コレットの様子を見る限り、それは俺には不利に働きそうだ」
完全には理解していないようで、無駄に鋭いのが腹が立つ。
不満が顔に出て少し頬を膨らませるコレットを、エリクがじっと見つめる。
「……何?」
「こうして近くで見ると、ますます可愛いなと思って。やっぱりコレットのこと、好きだな」
本当に幸せそうに、とろけるような笑顔で言うのだから困ってしまう。
「そういうことをあちこちで言っていたら、勘違いされて刺されるわよ」
「何、心配してくれるの?」
「気にするところ、そっち?」
嬉しそうにこちらを見ているが、喜ぶところではないと思う。
「社交辞令でドレスを褒めるくらいはするけれど」
エリクにとっては適当な社交辞令でも、相手の御令嬢は天にも昇るような気持ちになっていそうで……やっぱり刺されるかもしれない。
「でも、可愛いとか好きなんて言わないよ。誤解されても面倒だし、利用されるのも不愉快だからね」
エリクは以前『何をしても好意的にしかとらえられない』と言っていた。
祝福か呪いか、はたまた単純に魅力がとんでもないだけなのかはわからないが、きっと苦労したのだろう。
コレットの拒絶を喜ぶくらいなのだから、変態の根は深い。
いっそ調子に乗って女性を侍らせるような人だったら気楽なのかも……いや、駄目か。
『全部を盲目的に肯定するというのは、何も見ていないのと同じ』と言っていたし、上辺だけでエリクのそばに寄って来る人間にはもう疲れたのだろう。
だからと言って、コレットに対する執着はちょっとおかしいが。
まあ、その執着も本人の意思ではないのだが。
「じゃあ、私にも言わないで」
もちろんコレットはエリクを利用するつもりなどないが、一緒にいれば誤解を招くし、正直威力が強いので勘弁してほしい。
すると冷たい眼差しから一転して、エリクは優しい笑みを浮かべる。
「コレットは仕方ないよ。可愛いし、好きだし」
「やめてええ!」
慌てて声を上げて言葉を止めようとするが、エリクは小さくため息をつくと椅子から少し腰を浮かせてこちらに近付く。
「どうして? 俺は正直に言っているだけだよ。コレットが可愛くて、好きだ、って」
前髪が触れ合うほどに真正面から接近され、その真剣な瞳に目を逸らせない。
ああ駄目だ、この視線からは逃げられない。
――捕らわれる。
寒気と動悸が一気にコレットの体を駆け巡った瞬間、扉を叩く音が室内に響き渡った。
次話 「絶対に間違えない」
何故その選択肢で二択が成立すると思ったのだ、変態よ。
明日も1日2話更新予定です。
【発売予定】********
12/21「さあ来い、婚約破棄! 愛されポンコツ悪女と外堀を埋める王子の完璧な婚約破棄計画」
(電子書籍。PODにて紙書籍購入可)
12/30「The Dragon’s Soulmate is a Mushroom Princess! Vol.2」
(「竜の番のキノコ姫」英語版2巻電子書籍、1巻紙書籍)
是非、ご予約をお願いいたします。
詳しくは活動報告をご覧ください。









