第六十二話 黒衣のリコリス
<登場人物>
●黒津頼人
宗主家である天津家を支える直下五家の一つである黒津家の長男。天津家のメイド星川葵に執着している。
●黒津剣人
宗主家である天津家を支える直下五家の一つである直下五家の一つである黒津家の次男。名門那須野家の令嬢で弓道部の那須野茉莉に執着している。
●那須野茉莉
名門那須野家の令嬢で弓道部のエース。桜宮撫子の親友。夜の街でチンピラに絡まれたところをに救われて天津命が気になり始める。黒津剣人とのお見合いで襲われるが、またもや天津命に救われて許嫁に。ツンデレ属性あり。
「……くそっ、あと少しだったのに」
那須野茉莉、名門那須野家の令嬢。直系五家同士の婚姻は勢力均衡のため原則認められていないので、実質那須野家との婚姻はこれ以上無いほど最高の案件だった。
それを差し引いてもあの強気で気位の高そうな性格と容姿は俺好みだった。
邪魔が入らなければ俺のモノになっていたはずだと思うと腹立たしいが相手が悪い。
まさかこのタイミングで宗主家が立ち入ってくるとは想定外だった。
忌々しいが、宗主家の人間に表立って対立するのはさすがにマズいからな。
だが、このまま泣き寝入りなど絶対にしない。欲しいモノは必ず手に入れてやる。どんな手段を使ってもな。
「どうした剣人。今日は見合いじゃなかったのか? てっきり戦利品を持ち帰ってくるとばかり思っていたんだが?」
声をかけてきたのは、兄で長子の頼人。俺が実力を認めている数少ない人間だ。へどが出るほど嫌いだが。
「頼人兄か。思わぬ邪魔が入ってな」
「邪魔? お前を邪魔出来る存在がそうそうあるとは思えないが……?」
「ああ、普通なら排除するだけなんだが、相手が宗主家の嫡男さまだったからな……」
「宗主家の嫡男? 天津命のことか?」
「なんだ知っているのか? 見た目はなよっちいんだが、俺のナイフと毒針をかわしやがった」
もちろん牽制で本気ではなかったとはいえ、まぐれではかわせない。さすがは宗主家ということなんだろう。
「……なるほど。天津命……やはり侮れないか。どうだ剣人、俺と組まないか?」
表情からは何を考えているのかまったくわからないが、どうせろくなことを考えていない。
「……どういう意味だ?」
「俺も天津命には邪魔をされていてな。出来れば奴を排除したい」
「……本気で言っているのか? バレたら家ごと潰されるぞ」
俺たち黒津家がいかに強くとも、さすがに国を相手には戦えない。それぐらいわかっているだろうに。
「はは、だったらバレなければいい。簡単なことだ」
我が兄ながら心底恐ろしい。整った顔に貼り付けたような笑みが一層冷酷な印象に映る。
「口で言うのは簡単だが、どうするつもりだ?」
「ふん……こういう時のためにアレを飼っているのを忘れたのか?」
「アレ? まさか……頼人兄……黒衣を使うのか?」
足がつかないように身寄りのないものを集めて鍛え上げた連中。暗殺をはじめとして、汚い仕事をなんでもこなす。
もっとも連中の親兄弟を殺して身寄りを無くしたのも我々というのも皮肉な話で笑ってしまうのだが。
「……面白そうじゃないか。協力しよう」
失敗したらしたで頼人兄に責任を押し付けてやればいい。上手く行けば俺が当主に成る目が出てくるやもしれん。
どちらに転んでも損が無いとはこのことだな……くくっ。
◇◇◇
「……というわけだ、リコリス、お前なら万が一もないとは思うが、失敗は許されない」
「……はい」
頼人さまからの直々のご命令。珍しいこともある。
わざわざ念押しをするのだから、大事な任務なのだろう。興味はない。いつも通りやるだけ。
「上手くいったら、お前も愛妾の一人に加えてやらんでもないぞ」
「……はい」
……若さまの愛妾? 困った。私はそっち方面の訓練は受けていない。
「ふん……素材は悪くないが、もう少し愛嬌を磨け」
愛嬌? どういうものかわからない。興味もない。
◇◇◇
「……あれか」
標的は天津命。16歳の高校生。宗主家嫡男、若さまによれば体術はかなりのレベルらしいが、動きはどうみても素人。私の目を欺いている? あり得ない。
同行者は二名。こちらはかなりの手練、特に銀髪の女は厄介……。
「ん?……あの女、若さまが執着している星川葵か。まとめて消そうと思ったが、その手は使えない……」
仕方がない。一人になるタイミングを待つか。
「あ、悪い、俺ちょっと寄ってくところあるから、二人は先に帰ってて」
「かしこまりました」
「……まさか他の女のところじゃないでしょうね?」
「茉莉……俺をなんだと思っているんだよ。まあ言われても何も言えないんだけどな」
……天津命が一人になったか。思わぬ好機が転がり込んできた。
どこへ向かうつもりなんだ? あれは……ゲームセンター? 何をするところなんだ?
「限定ひだにゃん全然足りなくなったから、人数分ゲットしておかないと」
げんていひだにゃん? とりあえず作戦通り天津命に接近するか。
「おい……お前、天津命だな?」
「え? あ、ああ、そうだけどどちらさま?」
「彼岸理子だ。一族の者といえばわかるだろう?」
「そ、そうなんだ……今ちょっと手が離せないからちょっと待ってて」
「……何をしているんだ?」
「え? クレーンゲームだけどやったこと無いのか?」
クレーンゲーム? なるほど理解した……あの道具を操作して中のぬいぐるみを……はうっ!?
にゃ、にゃにゃにゃ、にゃんだあの物体は……? か、かわいい……。
「おい……天津命、あれはなんだ?」
「ああ、あれは限定ひだにゃんのぬいぐるみだよ。ここでしか手に入らないアイテムなんだ」
「げ、限定ひだにゃん……」
「お? もしかして欲しいのか? よし、ついでに取ってやるよ」
え……? 取ってくれる……私に?
無防備な背中……今なら隙だらけ。
いや……殺すならいつでも出来る。まだその時じゃない。
「理子ちゃん取れたぞ、ほい」
はわわわわ……生で見ると破壊力が段違い。
「はふう……」
ふわふわでもっふもふ。抱きしめると不思議な気持ちになる。
「ふふ、幸せそうな顔しちゃって。よほど気に入ったんだな、ひだにゃん」
幸せ……? そうか……これが幸せという感情なのか。今まで一度も感じたことのない感情。
「……礼を言う。初めて幸せという感情を知った」
「初めて? そうか……それは良かった」
なんという無防備な笑顔。これから殺されるとも知らずに暢気なものだな。せめて苦しまないようにしてやる。
「一つじゃ淋しいだろ? もう一つやるよ」
「なっ!? も、もう一つ……だと!? 良いのか?」
「そんなに喜んでもらえるなら俺も嬉しいからな。ただし、他の皆には内緒だぞ? 二人だけの秘密だ」
ふん、黒衣をなめるな。死んでも口を割ることなど無い。
それにしても……同じひだにゃんなのに微妙に違う……か、かわいい。
「よしっ、これで全員分ゲット。あ、ごめんな待たせちゃって。それで用事って?」
私の任務は……天津命を……
「やっぱりアレだよな? 許嫁だろ?」
「え? あ……いや……ま、まあそんなところ」
今回の任務はただ殺せば良いというものではない。あくまで事故だと思わせる必要がある。これは好都合。
「やっぱりか……まあでもせっかく来てもらったんだし、家に来てみるか? ケーキとかお菓子もたくさんあるし、葵が美味しい料理作ってくれるからさ」
はうっ……け、けけケーキだとっ!? 一度でいいから食べてみたかったあの?
「い、良いのか?」
「もちろん、理子ちゃんさえ良ければ歓迎するよ」
……ま、まあ、いつまでに殺せとは言われていない。内部に入り込んでおけばいつでも好きなタイミングで任務を果たすことは出来る。
「おい、天津命、ケーキは何個までだ?」
「おっ? ケーキ好きなのか?」
「食べたことない」
「え? マジで? そっか……じゃあケーキ屋さん寄って行くか? 何個でも好きなだけ買って良いぞ」
「……うん」
ふん……もう少しだけ殺さないでいてやるか。天津命。




