第五十四話 雅先生の引っ越し
「美味い!! もう一枚!!」
撫子さんが凄まじい勢いでフレンチトーストを消費している。
たしかに今まで食べたことが無いほど美味い。サックリふわとろもちもち、使っているパンも卵も同じなのに……これはもう魔法だよ。
俺たち着実に胃袋を掴まれていっているな。もう葵無しでは生きていけないかもしれない。
「ご主人さまのおかげで、料理の力も上昇したようです」
マジか……そんなところまでパワーアップするの? それなら怖い思いをした甲斐があったな。
「それでみこちん、体力アップは私だとして、耐久性アップは葵か母上のどちらかだろう? それならばもう一つ何か変化があるはずではないのか?」
あの……撫子さんの中では桜花さんは許嫁枠なのか。まあ本人たちが良いなら俺に異存はないのだが。
「うーん、今のところよくわからないなあ」
そもそも力が解放される条件もよくわかっていないし。
「……命くんはおそらく私を許嫁と認めていないのだろうね。年増だし。だから力が……」
桜花さんが悲しそうに目頭をおさえる。
「みこちん、そうなのか!?」
撫子さんがいきり立つ。
「御主人さま、大奥さまが可哀想です!!」
ち、違うんだ葵、とりあえずナイフをしまおうか。俺は桜花さんが大好きなんだって。
「口に出してくれないと伝わらないなあ……しくしく」
くっ……絶対に嘘泣きだし、心が読めるんだから伝わってるはずですよね!?
「お、俺は桜花さんが……大好きですよ」
「命くん……よく恥ずかしげもなくそんなことを口に出せるね?」
なんて言われると思っていたんだけど……。
「ありがとう」
からかわれると思っていたのに、そんなこと言われたら調子狂う。真っ直ぐに見つめられると心臓が止まりそうになる。
「よ、よろしくお願いします」
「む……命くんの神気が跳ねあがったね。どうやら力が解放されたようだ」
おおっ!! 言われてみればたしかに……今なら空も飛べそうな万能感。さすがに空を飛べるようになったとかではないだろうけれど、どんな力が解放されたのか気になる。
「やっぱりみこちんは母上を認めていなかったんだな……」
「大奥さまが可哀想です……」
「深く傷ついたよ……命くん」
えええ……俺が悪いのか? いや……俺が悪いんだろうなこれは。
力の解放条件か……桜花さんとは撫子さんや葵と同じレベルで接していたから、やはり物理的な接触だけじゃ駄目なんだ。俺自身が許嫁として受け入れなくてはならないということなんだろうか?
「お、桜花さん、俺に出来ることありますか?」
そのつもりはなかったとしても、傷付けたことは事実。
「ぎゅってして欲しい」
かわえええええ!!! おかしいだろ? なんでこの人こんな可愛いんだよ。
「ふふ、年齢なんてただの数字だよ命くん。さあ早く!!」
言われなくても喜んで。両手を広げて待っている桜花さんをぎゅっとする。
「みこちん、私もぎゅってしてくれ」
「御主人さま、私もぎゅってして欲しいです」
撫子さんと葵が黙って見ているわけもなく。
なんだこのご褒美展開……ああ俺はこのあと死ぬのかもしれないな。
◇◇◇
「それで命くん、今日は雅先生が引っ越してくるんだろう?」
……そうだった。バタバタしていてすっかり忘れていた。
「はい、午前中に来るって言っていたので、もうすぐじゃないかと」
「こんにちは~!!」
噂をすればなんとやら。相変わらずのゆる~い声。
間違いなく雅先生だ。
「やっほー、命くん!!」
斉藤商店の正樹おじさんの声も聞こえる。軽トラで先生の荷物を運んできたのだろう。
「先生の荷物はこれで最後だよ」
正樹おじさんから荷物を受け取る。
「何から何までありがとうございます斉藤さん。おかげで助かりました。天津くんも手伝ってくれてありがとう~」
「いいってことですよ、いつも直樹がお世話になってますから。命くん、これすあまの差し入れ。みんなで食べて」
「あ、ありがとうございます!! 正樹おじさん」
ヤバい……嬉し過ぎて涙が。
「……そんなに好きだったのかい、すあま」
若干引き気味の正樹おじさんだがそんなことは気にしない。これでやっと俺もすあまを食べることが……ん? 四箱か……嫌な予感がするけど、もうひと箱くれなんて言えるわけない。
「そんなことより葵ちゃんをよろしくな!!」
肩をバンバン叩いてくる正樹おじさん。おお……力が解放されたおかげで全然痛くないぞ。
「ちょ、正樹おじさま、恥ずかしいです……」
照れる葵だが、どこに恥ずかしい要素があったのか?
そういえばこの二人の関係ってやっぱり親戚関係なのかな?
「じゃあな、店があるから俺はこれで帰るよ」
たずねる間も無く、正樹おじさんはすぐに帰ってしまう。
まあ良いか、その気になればいつでも聞けるわけだし。
「ここが先生に住んでいただく離れです」
昨日葵がきっちり掃除してくれたらしくて、塵一つ落ちていない。むしろ元よりも綺麗になっているような気がするんだが?
「わああ……こんな綺麗なところに本当に良いの~?」
部屋に入るなり歓喜の声を上げる雅先生。
「もちろんです。さすがに食事とお風呂は本館まで来ていただくことになりますけれど」
「月五千円で三食お風呂付とか……天津くんは神さまなのかしら~?」
神さまじゃないですけど、わりと神さま由来の力はあるみたいですよ。どちらかといえば、これから毎日全員分のお弁当を作ってくれる葵の方がよほど神さま女神さまのような気がしますけど。
まあこちらとしても、人を雇って維持管理してもらうよりも余程メリットがあるので、お互いにウィンウィンの関係だ。本当は月五千円も要らないんだけど、先生がそこだけは譲らなかった。まあその方が気兼ねなく暮らせるのなら俺はどちらでも構わないけど。
引越し作業自体はすぐに終わった。びっくりするぐらい先生の荷物が少なかったから。
今日は一日引越しの手伝いをするつもりで予定を空けていたから、午後の予定がまるまる空いてしまうことに。
さて、どうしよう?
「それなら先生と葵の歓迎会をしないか?」
撫子さんの提案で歓迎会を開くことになった。
目的はわかっている。
すあまだ。
ようは歓迎会にかこつけて、すあまを食べようという魂胆だろう。
人数は五人、すあまは四箱、このままだと俺が食べられない可能性があるが、策はある。
まずは箱からすあまを出して大皿に出してしまう。そしてケーキやお菓子をたくさん買ってきて、すあまへの注意を分散させる作戦だ。
くくっ、俺も学習しているのだよ撫子さん。
「じゃあ、俺はお菓子とか飲み物を買ってくる!!」
何事も先手必勝。
「それは良いな。頼んだぞみこちん」
皆に見送られていざ買い出しに出発だ。




