第三十八話 星川葵
「あの……席を寄せてもよろしいでしょうか?」
あ……そうか、教科書とか無いんだよな。それでさっきから見ていたのか、
気が利かなくて悪いことしちゃったな。っていうか、ここは雅先生が気を使うところじゃないのか?
「ああ、悪かったな、気が利かなくて。良かったら使ってくれて良いよ。俺は教科書の内容全部覚えているから」
星川さんに教科書を手渡そうとすると、受け取ろうとしない。
「そういうわけにはまいりません」
結局、席をくっつけて教科書を星川さんに見せてあげることになってしまった。
成り行きとはいえ、これはヤバい。至近距離の美少女オーラがすさまじい。良い香りもするし、撫子さんや桜花さんで修行を積んだ俺でなければ耐えられなかっただろう。直樹、俺に感謝するんだな。
昼休み、ようやく緊張の時間が一旦終了だ。隣に美少女が座っている以上、迂闊にあくびすらできない。
「お食事はどうなさるのですか?」
「ああ、俺は学食で食べるつもりだけど、星川さんは?」
「よろしければお弁当を作ってまいりましたので、ご一緒しませんか?」
『……出来れば、二人きりで』
最後だけ耳元でささやくようにたしかにそう言った。
せっかくのお誘いだが、それは無理だ。
「ごめん、一緒に食べる約束している子がいるんだ」
「それは残念です。それでは、お弁当が食べられるような場所を教えていただけませんか?」
まあ、それぐらいお安い御用だ。校内も不案内だろうし。
星川さんを連れて中庭へ案内する。
ベンチもあるし、木陰もあって花壇もあるから景色も良い。お弁当を食べるならここがおすすめなんだよな。屋上でも良いんだけど、変な奴らがたむろしていることがあるから、やっぱり中庭一択。
うちの高校の学食は、基本無料で美味しいので、ほとんどの生徒が学食を利用する。
最高のロケーションにもかかわらず、中庭を使っている人はほとんどいないのだ。
ベンチに荷物をおろし、星川さんは相変わらず無表情ながら、少しだけ面白そうに目を細める。
「……もしかしてまだ気付いてらっしゃらないんですか?」
「へ……? 気付くって、何を?」
「……おかしいですね? ちゃんと正樹おじさまに伝えておくようにお願いしていたのですが……?」
正樹……おじさま……だと!? まさか……この子。
「もしかして今日来るって言ってた家政婦さんって、星川さんなの?」
「……家政婦ではございません。メイドです。お間違え無きようお願いいたします、御主人様」
ぐはああっ!? いや、たしかにメイドさん来たらいいな~ってちょっとは思っていた。嘘です、すっごい思ってましたけれども。まさか本物のメイドさんが来るとは。
「あの……さすがに学校で御主人様は……」
「……? 何故ですか?」
「いやだって、皆から何を言われるかわからないだろ?」
ただでさえ撫子さんの件で目立っているのに、クラスで御主人様呼びされたら……死ねる。
「なるほど……かしこまりました。学校では天津さまと呼ばせていただきます」
わかってもらえて良かったよ。とりあえず一安心……いや待て、さま呼びもマズかろう。
「あの……天津さまはさすがにアレなんで、天津か天津くんで……」
「駄目です。どうしてもというならばご主人様と……」
「わかった……俺の負けだ」
最近分かったことがある。俺は押しに弱い。正確には美女の押しに弱い。
「あと、そのメイド服なんだけど……」
「……お気に召しませんでしたか? ご安心ください。フリフリのクラシカルからミニスカフレンチスタイルまで取り揃えておりますので」
マジでっ!! いや……そうじゃない。めちゃくちゃ興味あるけどそういうことじゃない。
「いや、とっても似合っていると思うんだけど、学校では制服の方がいいと思うよ?」
「かしこまりました。明日からは制服改メイド服を着用いたします」
……普通の制服はないのだろうか? なんか聞けない圧がすごいからツッコまないけど。
「あ、そういえば家に住み込みってことで良いんだよな? いつから来れそう?」
「出来れば今日からお願いします。荷物は正樹おじさまが運んでくださるので」
「わかった。俺は放課後部活があるけど、星川さんはどうする?」
「私もご一緒させていただきます」
「……美術部だけど良いのか?」
「私、絵も嗜んでおりますので」
……絵も?
「家政婦……いや、メイドだからって、学校では単なるクラスメイトなんだから、好きにした方がいいぞ? せっかくなんだから色々見て回ったら?」
勤務時間外まで行動を縛るなんて申し訳ないしな。
「ありがとうございます。では、好きにさせていただいて美術部を見学させていただきます」
まあ一緒に下校するならその方が都合が良いか。また騒ぎになって注目されるのは嫌だけど……。
とりあえず撫子さんには話しておかないと面倒なことに……いや、撫子さんなら、「そうか、わかった」で終わる気がする。
「じゃあ星川さん、俺は学食へ行くけど、そういうことなら一緒に行かないか?」
ここに一人残してゆくのも気が引けるし。
「……葵とお呼びください」
うっ……すごい圧だ。袖を掴んで離してくれない。そして顔が近い。
「じゃ、じゃあ……葵さん」
「……葵とお呼びください」
駄目だ……壊れたレコーダーのように同じセリフしか言わない。そしてさっきよりも顔が近い。え……次失敗したらキスされてしまうん?
「…………葵」
「はい、それでは学食へまいりましょう」
「あ、ああ……」
俺は負けたのだろうか? いや、深く考えるんじゃない。
俺は押しに弱い。正確には美女の押しに弱い。それだけのことだ。




