第二十九話 食事にする? それともお風呂?
「おーい、命くん!!」
校門を出たところで、聞きなれた声に呼び止められる。
「こんにちは、正樹おじさん」
直樹の父親で斉藤商店の店長、正樹おじさん。
「ちょっと寄っていけるかい?」
「ちょっとぐらいなら」
正樹おじさんに促されて店内に入ると、相変わらず学校帰りの学生でにぎわっている。
以前おじさんに聞いたことがあるが、子どもたちが小銭に見えるらしい。さすが生粋の商売人だ。
奥の応接室へ通される。ここは商談用のスペース。防音防諜処理がされているんだと自慢げに話していたっけ。町の商店にそんなものが必要なのかはともかく、大人の世界には色々あるのだろう。
「昨日頼まれた家政婦の件だけど、さっそく希望者が見つかってね」
席に着くなり正樹おじさんが教えてくれる。
「えっ!? もう見つかったんですか?」
さすがというか、昨日の今日でいくらなんでも早すぎないか。こちらとしては助かるけれど。
「ああ、元々あてはあったんだよ。本人に伝えたら喜んでやりたいと言うのでね。」
なるほど、やはりそういうことか。
「それで……いつから来てもらえそうなんですか?」
「明日から」
本当に早いな。
「えっと……じゃあ明日、ここへ来れば良いですか?」
「いや、直接学校へ行くそうだからこちらへは来なくてもいいよ」
「えっ!? 学校に来るんですか? 大丈夫ですかね」
「大丈夫だよ、学校には話を通してあるから。あと詳しくは本人と話して欲しいんだけど、住み込み希望だっていうから、よろしく」
そうなんだ。何から何までなんか申し訳ないな。手数料ぐらいとってくれても良いんだけど絶対に受け取ってはくれないんだよな……。
「あ、そうだ、すあま3箱あります?」
せめて少しでも売り上げに貢献をという気持ちが半分、今度こそすあまを食べたいという気持ちが半分……嘘です、すあまが9割です。
「……あるけどずいぶんと気に入ったんだね?」
それがですねおじさん……まだ食べれていないのですよ。すあま。
明日から家政婦さんも来るし、明後日は先生が引っ越してくる。
なんだか急に我が家が賑やかになりそうだ。
◇◇◇
家に帰ると、撫子さんの自転車が停めてある。
「撫子さんが居るんだよな……」
憧れの存在が家に居るという事実にあらためて感動してしまう。
何だろうこのお腹の底から湧き上がってくるこそばゆい感覚は。
「ただいま~!!」
家に帰ったら誰かが居るという感覚は久し振りだ。
思いがけず大きな声が出てしまってちょっと恥ずかしい。
『お帰りなさい。食事にする? それともお風呂?』
撫子さんがそんなことを言うわけないんだが、妄想するのはタダ。
「お帰りみこちん。遅かったな」
奥のキッチンから撫子さんの声が聞こえてくる。
うん、新婚さんってこんな感じなんだろうか? 顔がにやけるのを止められない。
「ああ、ちょっと斉藤商店に寄っていたんだ」
「おおっ!! もしやすあまか? すあまを買ってきたんだろう? なあ? 隠しても無駄だぞ、正直に話せ」
すごい勢いで玄関に走ってくる撫子さん。まるで主人の帰りを待ちわびていたワンコのようだ。
……なぜわかったんだろう。嗅覚か? 直感なのか? それとも霊能力的な何か?
「よ、よくわかったね。はい、お土産」
すあまの入った手提げ袋を撫子さんに手渡すと、幸せそうにすあまを抱きしめ頬ずりしている。
くっ……すあまになりたい。
「今、料理中なんでしょ? 俺がリビングに持っていくよ」
首をぶんぶん横に振って、すあまを背中に隠す撫子さん。
大丈夫だよ……盗ったりなんてしないからさ。あれ……? もしかして、また食べられないなんてことは……いや、でも、3箱もあるし……ね。
しかし俺は見てしまった。
すあまの箱に自分の名前を油性マジックで書いている撫子さんの姿を。
これは言い出せない。俺にも頂戴なんていまさら言えるわけがない。
最初に言えば良かったんだ、皆で食べようって。
これは新婚気分に浮かれて、はいお土産なんて言って手渡してしまった俺の痛恨のミスだ。
はは……すあま……食べたかったな。




