第二十八話 美術部部長
「皆、遅くなったね」
「「「部長、お疲れ様です~!!」」」
部室の空気が変わる。
特に女子部員のテンションが目に見えて変わるのがわかる。
美術部部長の恋舞蘭人先輩。
亜麻色の髪にグレーがかった瞳はまるで少女漫画の主人公。フランス人の祖母を持つクォーターだって聞いたことがある。
おまけに代々絵描きの家系らしく、当然絵の実力も一流。そりゃあ人気なのも納得。
「百合、ちょっと良いかな?」
百合姉が部長に呼ばれて何かを話している。
部長と副部長、美男美女だしはっきりいってお似合いだ。そのまま絵画のワンシーンのようにも見える。
って、のんびりしている場合じゃなかった。コンクール用の絵、描かないと。
実は昨日まで題材を決めていなかったんだけど、撫子さんを描くことに決めた。
もう皆にバレてしまっているのだから、何の遠慮もいらないし。
「……天津、それ桜宮撫子かい?」
集中しているところに背後から声を掛けられて危うく悲鳴を上げそうになる。
「そ、そうですけど、よくわかりましたね? 部長」
まだ下書き段階なのに……。
「ふふん、この学校の女の子のデータはすべて把握しているからね」
変態だ……変態がいる。いや……ここは天才と言ったほうが良いのか?
「そ、そうなんですか、でもまだ下書きの段階ですよ?」
「自覚が無いようだけど、天津の絵は驚くほどリアルだからね。それに桜宮撫子のような最高の被写体であればわかるさ」
最高の被写体……純粋に芸術的な意味なんだろうけど、ちょっともやもやする。
でもそんな最高の存在と一緒に俺は暮らしているわけで……こんなことでいちいち気にしていたらバチがあたるかもしれない。
「そういえば桜宮撫子が天津の許嫁だという噂を聞いたんだけど」
うっ……部長、心なしか声の温度が低いんだけど。
「そ、そうですが……」
「そうか。まあ頑張ってくれ。私も本気を出すことになりそうだから」
ちょっと待てどういう意味だ? まさか……部長も撫子さんを!?
わかってはいたけど、モテ過ぎだろう撫子さん。はあ……胃が痛くなりそうだ。
許嫁って言ったって、実際のところ法的な拘束力や強制力があるわけじゃない。
ただ一緒に住んでいて、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりしているだけ……。
……あれ? よく考えたら俺すごいな。めちゃくちゃ有利じゃないか。
うん、余計なこと考えてもしょうがない。一番近くにいるのは俺なんだ。今、この時を、この幸せを噛みしめよう。
最高の撫子さんを描くことに集中するんだ。
以前よりもずっと鮮明にイメージできる。色んな撫子さんを俺は知っているんだから。
「へえ……これは負けていられないな」
部長はそうつぶやいて去ってゆく。
まったく……声までかっこいいなんてずるいよ。変態的だけど。
部室には筆を動かす音だけが聞こえている。
美術部には決まった活動時間はない。各々その日の作業が終われば自由に帰って構わないのだ。
そろそろ帰り支度を始める部員もちらほら出始めたころ……
ガラガラッ!!
「みこちん!!」
突然入ってきた撫子さんに部室が騒然となる。
「な、撫子さん!? 何かあったの?」
「いや、こっちは終わったんで一緒に帰らないか?」
じーん……貴女は女神か。これじゃあなんだか本当の恋人みたいじゃないか。
部員たちがキャーキャー騒がしいけれど、嬉しさが上回っているからもう気にならない。
うーん、だけどもう少しだけ進めておきたいんだよな……。
「天津はまだ終わらないみたいだから、私が送ろう」
恋舞蘭人部長が颯爽と現れて撫子さんに恭しく手を差し出す。
げっ!? いつの間にか帰り支度をすませたんですか部長!?
第一、送るってあなたの家は逆方向でしょうがっ!!
「丁度終わったところだからちょっと待ってて」
くそっ、撫子さんを部長と一緒に帰らせるなんて、そんな危険なこと許せるはずない。
「おお、それは良かった」
嬉しそうな撫子さんの顔をみると、隣で睨んでいる部長の視線なんて気にもならない。
でも、なんで百合姉まで睨んでいるんだよ。怖いんだけど!?
◇◇◇
「ふふふ、今日は一日大変だったな、みこちん」
大半は撫子さんの爆弾発言のせいだと思うけどね。
「たしかに。そういえば、撫子さんのドッジボール格好良かったよ」
あんなに褒めてほしいと思っていたくせに、俺自身は撫子さんに何も伝えていなかったと、今更気付く。はあ……本当に俺ってやつは。
「そうか? 褒めても何も出ないぞ?」
そう言いながらも満更でもないみたい? ご機嫌そうにリボンが揺れる。
話しているとあっという間に自転車置き場に到着。
「じゃあまた後で」
自転車で颯爽と去ってゆく撫子さん。一人取り残される俺。
なるほど……自転車置き場まで一緒に帰ろうということか。
うん、そうだよな。二人乗りは危ないし。校則違反は良くない。
「さて……俺も帰るか」
後悔は……していない。




