第二十二話 コーヒーはブラックで
「うっ……!?」
身体の痛みで目が覚める。横目で時計をみると5時をちょっと過ぎたところ。二度寝するには微妙な時間だ。
「桜花さんは……もう起きているのか」
右隣に寝ていたはずの桜花さんの姿はない。
「くーくー」
撫子さんは……まだ寝ている。くーくー言っているから起きているのかと思ったが。
まあ、他人の寝息なんて聞く機会なかったから、もしかしたら俺もくーくー言っているのかもしれないな。
それにしても……可愛い。
コアラのように左腕に抱き着いている撫子さんの寝顔は、控えめに言っても天使。普段の凛々しい表情も良いが、無防備で安心しきったこの姿は、きっと俺にしか見ることが出来ないだろうから。
ああ……このまま時が止まれば良いのに……そろそろ朝食の準備をしなければならないのが悲しい。
「むにゃむにゃ……すあま~逃げて~」
……一体どんな夢をみているのかすごく気になる。
だがそれ以上に気になることが。
昨日もそうだったが、どうやら撫子さんは寝ているとパジャマが乱れるらしい。
今現在は俺の左腕がボタン代りになってかろうじて隠れているが、外してしまったらどうなってしまうのか……。
仕方がないよな。見たい見たくないという次元の話じゃあないんだ。
起きなければならない。これは決定事項。
慎重に左腕を引き抜いてゆくが、見ないようにすればするほど感覚が研ぎ澄まされてヤバいことになってきた。
あと少し……あと少し……。
「うーん、待て、行くんじゃない!!」
再び腕にしがみつく撫子さん。
振り出しに戻ってしまった。ガッカリ感はゼロだ。むしろありがとう。
だが……俺のことをすあまだと思っているのだろう。思い切り噛みつくのはやめて欲しい。美味しくないよ?
ふう……ようやく腕を外すことに成功。
だがそこに達成感はない。あるのは疲労感とそこはかとない悲しみだけ。
しかも奇跡的に着衣の乱れも直っている。なんてこったい。
せめてもの救いは、腕にくっきり残る撫子さんの歯形。
あらためて撫子さんの寝顔を眺める。
少しぐらいなら……ほっぺを触るぐらいなら。
「いや、駄目だ、煩悩退散!!」
撫子さんに布団を掛け直して部屋を出る。
「おはよう、命くん」
下へ降りてゆくと、庭の方から桜花さんの声が。
「おはようございます、桜花さん」
何かのトレーニング中のようで、まるで舞を舞っているような姿に思わず見惚れてしまう。
かと思えば蜂のように鋭い突きと蹴りが繰り出される。
動きやすいジャージ姿とはいえ、人間にこんな動きができるものなのかと感心してしまう。
「ふふっ、どうしたんだい? そんなボーっとして」
「な、何でもないです。朝のトレーニングですか?」
「ああ、桜宮家に代々伝わる舞闘術だ。いつもなら撫子も一緒なんだけどね。幸せそうで起こすのが可哀想だったから」
桜花さんにウインクされて恥ずかしくなる。
「ち、朝食はパンとコーヒーで大丈夫ですか?」
「悪いね。それで構わないよ。これからシャワー浴びるけど、一緒にどうだい?」
冗談なのかもしれないが、健全な男子高校生をからかわないでほしい。
「だ、大丈夫です、どうぞごゆっくり!!」
くすくす笑う桜花さんから逃げるようにリビングへ向かう。
「おはよう、みこちん」
目玉焼きとウインナーを焼いていると、匂いにつられて撫子さんが降りてきた。残念ながらパジャマに乱れはないけれど髪は乱れて寝癖がついている。これはこれで眼福である。
「撫子、先にシャワー浴びたほうが良いんじゃない?」
お風呂場から桜花さんの声が。
「うむ、そうさせてもらう」
シャワーを浴びて寝癖を直した撫子さんは、さっきまでのコアラと同一人物とは思えないほどの凛々しさだ。後光すら感じる眩しさだ。着替えた制服効果もすさまじい。
「撫子さん。コーヒーは何か入れる?」
「……ブラックで頼む」
「私もブラックで~!!」
桜花さんもシャワーから戻ってきた……って何でバスタオル一枚なんですかっ!?
「ん? そりゃあ家族サービスだよ命くん」
たしかに俺にとってはこれ以上ないほどのサービスだが、朝から刺激が強すぎる。
もう絶対に心の中読まれているよね? というツッコミは今更だな。
「みこちんの焼いたパンは最高だな!!」
「たしかに焼き加減が絶妙だね」
トースターで焼いただけなんですが、褒められて悪い気がするはずもなく。
談笑しながら三人で朝食を食べる。
久しぶりの家族団らんが本当に心地よい。あったかくて大切な時間が慌ただしく過ぎてゆく。




