第十六話 桜宮桜花
「お茶で良い?」
「あ、ありがとうございます」
由緒正しい家系の桜宮家だから、大きなお屋敷にでも住んでいるのかと思っていたんだけど、意外にも古い木造アパート住まいだった。
「驚いた? 亡くなった夫が質素倹約主義者だったから」
お茶を淹れながら、俺の内心を見透かしたように桜花さんは笑う。
「はあ」
そうか、桜花さんの旦那さんって亡くなっていたのか。気になって仕方がないけれど、好奇心で聞いても良い話ではないだろう。
「でもね、ここにも住めなくなりそうで……」
熱いうちに飲んでと言いながら、桜花さんは表情を曇らせる。
「ど、どういうことですか!?」
「命くんにも関係がある話。金満成金って知ってる?」
「もちろん知っていますよ、うちの学校の生徒会長ですよね? たしか市長の息子だったはず」
金満成金……イケメンで金持ち。スポーツ万能で生徒会長。男女問わず人気は高いけど、あまり良くない噂もちらほら聞こえてきている。いつも取り巻き連中を引き連れている印象だ。
「その通り、彼の父親、つまり市長から、撫子を息子の嫁に欲しいと言われているんだよね。断ってはいるんだけどしつこくて。先日しびれを切らしたのか、取引を持ちかけてきた」
「……取引?」
「実際は脅迫みたいなもの。どうやったのかわからないんだけど、このアパートの権利を手に入れたらしくて、婚約するなら家賃は無料にするけど、断るなら出ていってもらうって……」
なんて奴だ。金にものをいわせて相手を思う通りにしようとするなんて。
「しかもあの男、私まで狙っているんだよね。愛人にならないかって……」
「駄目ですっ!! そんなの絶対に駄目だ」
しまった、つい大声を出してしまった。
「ふふっ、そんなに必死になって。何だか嬉しいよ、命くん」
桜花さんは一瞬驚いたみたいだったけど、すぐにニヤニヤしながら、真っ赤になった俺の顔を覗き込んでくる。
「いや……あの、なんというか、ただすごく嫌だったから……」
ぐはっ!? 我ながらなんの答えにもなってない。
「ふーん……それなら命くんが貰ってくれる?」
桜花さんの顔が近い。まともに目が合わせられない。
「な、ななな何の話ですかっ!?」
「ん? 私をお嫁さんにしてくれるかって聞いたんだけど?」
撫子さんの可憐な魅力そのままに大人の色気まで纏ったのが桜花さんだ。その圧倒的な破壊力に俺の理性やら冷静さなんてものはどこかへ消えてしまいそうになる。
いやいや、駄目だ、俺には撫子さんが……って、彼女でも何でもないけど、とにかくそれはマズイ。いやまて、そうなったら撫子さんが俺の娘に? なんだかそれはそれで……ないないない、真に受けてどうする俺。
「あはははは、冗談だってば。本当に可愛いね、命くん」
恥ずかしくて死にそうだ。やっぱりこの母娘には俺の心の動きなどお見通しなんだろうな。
「さすがにこの歳でお嫁さんはないよね。私は愛人で良いよ」
「ななな、何言っているんですかああ!?」
あははと悪戯っぽく笑う桜花さん。
うーん、俺には百年経っても女性の心がわかりそうもない。
「母上、一体何の騒ぎ……」
突然ドアを開けて入ってきたのは撫子さん。
「おおっ!! みこちんじゃないか!! なんで家にいるんだ……ってどうした?」
「…………」
「撫子、命くんが困っているから服を着て来なさい」
「ああ、すまなかったなみこちん。今着替えてくる」
こ、これがいわゆるラッキースケベという奴なのか!?
一瞬しか見えなかったが、下着姿の撫子さんが脳裏に焼き付いてしまったよ。




