第百二十九話 私に出来ること
「待っていたよ椿姫さん」
「し、真さん!? どうしてここに?」
結界を出たところで待っていたのは、尊さまの弟、天津真さん。
今は海外の戦地にいたはずでは……?
「兄上が死にそうだって聞いてね。一か八かここへ転移してきた」
平気な風を装っているが、よく見れば真さんも酷い怪我をしている。おまけに無茶な連続転移で消耗も激しい。立っているのも辛そうだ。
「なんて無茶なことを……」
「無茶でも何でもするさ。兄上の代わりになる人なんて居ないんだから。さあ飛ぶよ、兄上じゃなくて申し訳ないけど時間が無い、つかまって」
「はい」
真さんに夢中でしがみつく。せめてとまだ真新しい傷口に触れると傷口が消える。
「助かる」
私の力は厳密には治癒ではない。怪我をした場所の状態を巻き戻すだけだ。時間が経った古傷は治せないが、出血で失った血も戻せるし元に戻せない場合でも命をつなぐ程度なら出来るかもしれない。
真さんのような転移持ちは滅多にいないし、皆前線で奮闘している。瀕死状態を治せるような治癒士も皆戦地もしくは遠隔地にいる、戻ってくるまで持つかはわからない。
そういう意味で真さんがここに真っ先に来たのは正解だ。私なら必ずここに居るのがわかっているから。
「転移!!」
「…………兄上」
「そんな……尊さま」
私たちが屋敷に到着した時、すでに尊さまは冷たくなっていた。
「ああああああああああああ……」
何故だ、何故? 誰よりも優しくて誰よりも争いを好まない彼がなぜ……?
私のせいだ……私がもっと早く結婚して一緒に暮らしていれば間に合った。私が……私さえここに居れば……
「……違うよ椿姫さん。貴女のせいなんかじゃない。椿姫さんはやるべきことを立派にやっていた。そのことは兄上がいつも自慢げに話していたんだよ。俺の許嫁は世界一だってね―――」
私がどれだけ尊さまを愛していたのか……その時はっきり気付いた。一度だって私は言葉で伝えたことがなかったことにも―――
後悔だけが全身を満たす。
根拠なくこの人は神様のような人なのだと思っていた。何でもできて強く優しい私の英雄。怪我もすれば血も流す生身の人間だという事すら考えたことも無かった。
馬鹿な人……貴方なら安全な場所で指揮をとることだって出来たはずなのに……本当に馬鹿よ……自分がどれほど世界に必要とされているのか……愛されているのかわかってない……だから……どんなに不格好でも、たとえ後ろ指をさされたとしても生きていて欲しかったのですよ……
「た、大変です、西宮司から緊急連絡、闇エネルギーが異常に活性化していると!!」
「マズいな……兄上が居なくなった影響がもう……? わかった、俺がすぐに当主を引き継ぐ、儀式を急げ」
「はっ、大至急」
真さんは本当に強い。悲しみを抑え込んで、やるべきことをやろうとしている。
「椿姫さん……」
「……わかっています」
「すまない……」
わかっている。真さんの苦しみも私にはわかる。だからこそ今やるべきことをやる。それは……私にしかできないことだから。
尊さまならきっとこう言うだろう。
『わかった。俺に構わず行ってこい』
真さんの転移で結界の麓まで送ってもらう。
「すまない椿姫さん、後は頼んだ」
「はい、真さんもどうか無茶しないでくださいね」
真さんまで居なくなったら日本は終わる。
「わかっている。俺は兄上と違って卑怯な臆病者なんでね」
ウインクして笑うその姿は少しだけ尊さまに似ていて胸の奥が痛む。
「つ、椿姫さま!! 大変です、け、結界が……」
「今行きます、英梨花は?」
闇エネルギーの活性化がどれほど恐ろしいのか私が一番よくわかっている。未熟な英梨花になんとか出来るものではない。
「それが……その、まだ結界内部に……」
「馬鹿なっ!? なぜ連れ戻さなかったのですか!!」
「……椿姫さまと約束したからと……絶対に守り切ると……」
馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿……何一丁前なこと言っているのです。手に負えなかったら逃げなさいとあれほど……
「英梨花!!」
結界へ飛び込む。埋めつくす闇の塊。
「不浄なるものども、下がれっ!!! 英梨花を離せ、我が名は東宮司椿姫、闇を照らし浄化するものぞ!!!」
『ギュエえええええ!?』
黒い海が割れる。
……居た!! まだ……生きてる!!
闇に沈んだ海底から英梨花をすくい上げる。
「英梨花、死ぬな、もう大丈夫、お願い……貴女まで失うわけにはいかないの……」
戻れ……帰ってこい!!
「……駄目だ、ここまで浸食されてるなんて……」
巻き戻しても再び浸食が始まる。戻しきれない。
「…………つ……ば……き……さま……申し訳……」
「喋らないで、体力を消耗します」
英梨花は手遅れだった。
一命はとりとめたものの、もはや廃人同然となってしまった。
「馬鹿な……英梨花を殺す? そんなこと私が許すとでも?」
『お気持ちはわかりますが、このままでは危険です。闇に浸食された人間がどうなるのか……椿姫さまもご存じのはず。それに……どんな影響があるのかいまだにわかっていないことも多いのです』
白衣衆の長から突き付けられた結論は残酷ではあるがその通りであった。闇に浸食されたものはやがて自我を失い人ではない何かに変わり果てる……英梨花がいまだにそうなっていないのは、単に耐性が人並外れてあるからであって、遅かれ早かれ……
殺してあげるほうが本人にとっても幸せ? そんなこと……
「私が責任をもって面倒をみますから……」
『椿姫さまは結界を守るお役目がございます』
そうなのだ……わが身の至らなさが悔しい。付きっきりで面倒を見ることなど不可能。活性化した闇のエネルギーに対峙しつつ、失った後継者も育てなければならない……出来る出来ないではない、やらなければこの国が終わってしまう。
「心配するな、英梨花の面倒は俺がみる」
「……真さん」
結局、英梨花は真さんの元で治療するということでなんとか殺されずにすむことになった。過去に回復したケースは無いが、今後のためにも治療法を見つけ出す必要があるという当主の強い意向で反対派を抑え込んだのだ。
「ありがとうございます。治療を続けてもらえると聞いて安心しました」
「気にするな。英梨花は兄上のことで犠牲になったようなものだからな」
「……それでもありがとうございます」
「……なあ椿姫さん、今は気持ちの整理がつかないかもしれないけど、良かったら俺の許嫁になってくれないか?」
「ありがとう真さん。でも私にとって許嫁は尊さまだけだから」
「そうか……きっとそう言われるんだと思っていたけどな」
極まりが悪そうに苦笑いで頭を掻く真さん。
ごめんなさい。でもその言葉が嬉しいのも事実なんですよ。ありがとう。
「あ~でも気が変わったらいつでも連絡してくれよ。十年でも二十年でも待っているからさ」
まったく……憎らしいほどあの方に似ているのですね。
でも……生涯気が変わることはないでしょう。
私に出来ること、尊さまも救えず、英梨花も救えなかった……そんな私に償えることがあるとするなら……それはこの結界を守り続けることだけだから。




