第十話 じゃあまたね
「みこちん、今日は楽しかった」
「あ、ああ、俺も楽しかった……な、撫子……さん」
デートの別れ際っぽいけど、残念ながら違う。
でも楽しかったというのは嬉しい。どうやら彼女はあまり表裏が無さそうだし。割と本気でそう思っているような気がする。
「さん、は余計だぞみこちん。さあ、もう一度!!」
「う……わかった、撫子……うぐっ!?」
また、さんって言いそうになったところで、撫子さんが俺の口を塞いだ。
もちろん唇じゃなくて手で、だが。
柔らかくて白くて細い指の感触に意識が自然と集中してしまう。
「ふふっ、まあ今のはノーカンだが、明日からはちゃんと頼むぞ?」
「な、何で明日?」
ザリガニ料理はまだ先のはず。
「何を言っているんだ? 明日学校で会うじゃないか」
いきなり現実に引き戻される。
そ、そうだった……って、まさか、学校で名前呼び……!?
無理無理、二人でも恥ずかしいのに、みんなの前でとか無理だからっ!!
想像しただけで胃がキュッとなる。
「じゃあまた明日」
いかん頭の中で緊急会議を開いている場合じゃあない。
夢のような時間が終わってしまうじゃないか。
「ま、待って、荷物重いだろうし、もうすぐ暗くなるから送るよ」
「ありがとう。助かる」
にっこり微笑む桜宮さん……いや、撫子さんに思わず見惚れてしまう。
今日何度目になるかはもう数えてはいないけれど。
◇◇◇
「……みこちん家の庭は一体どこまで広がっているんだ?」
ザリガニ池を過ぎ、しばらく歩いたところで、撫子さんがたずねてくる。
そう……実は庭からは一歩も出ていない。
「ここだけの話なんだけど、な、撫子……さんの神社に隣接している山も家の庭なんだ。だからこのまま庭を通って帰れるよ」
「なんだって!? それじゃあ私たちはお隣さんじゃないか!! 今度お蕎麦を持って挨拶に」
いや、引っ越し蕎麦じゃないんだし、お隣さんっていっても、直線5百メートル近く離れているからね?
「と、とにかく、今度来るときは庭を通ってくると良いよ。最短距離だし、信号もないから」
「それは良いな、秘密の通路みたいでワクワクする」
俺はワクワクというよりドキドキしっぱなしだけど。
庭と言っても、管理が行き届いていない場所も多くて、敷き詰められた石畳が雑草で隠れてしまいそうな場所もある。後で草刈りしないとな。
外部からは完全に遮蔽された二人だけの秘密の回廊。このマジックアワーよ永遠に、という願い虚しく、あっという間に神社との境界線まで着いてしまった。
「じゃあ、俺はここで。これ合鍵だから持ってて」
部屋の合鍵ではない、神社との境目にある裏門のカギだ。
「わかった、失くさないように常に首から下げておくことにしよう」
大切そうに鍵をしまう撫子さんが愛おしい。鍵になりたいと生まれて初めて思ってしまった。
「ははっ、まあ合鍵はたくさんあるからそんな気にしなくても大丈夫だよ」
「いいや、その甘えが油断につながる。敵の手に渡らないとも限らん」
「て、敵!? そ、そういうものかな」
「そういうものだ」
にやりと笑う撫子さんが妙に頼もしい。武士か、モノノフなのか。
撫子さんの背中が見えなくなるまで見送る。
気付けばだいぶ日が落ちかけてきている。
「ヤバい、懐中電灯持ってきてないじゃん!!」
一応、通路沿いに電灯は設置してあるのだが、今は切ってあるんだった。このまま日が落ちればあたりは真っ暗になってしまう。
「電灯もチェックしておかないとな……」
面倒な作業も撫子さんのためなら苦でもなんでもない。
足取りも軽く家路を急ぐのであった。




