第一話 高嶺の花の君
「父さん、母さん、行ってきます」
仏壇の写真に向かって手を合わせてからリュックを背負う。
一人暮らしをするようになってからもう半年。この家の広さにもようやく慣れてきた。
だけど……掃除するのが結構大変なんだよな。
俺一人ならひと部屋でも十分だし、今は週末だけ親戚のおばさんが手伝いに来てくれているから何とかなっているけど、ずっとこのままっていうのも……。
いっそのこと売ってしまえば良いんだろうけれど、思い出が詰まったこの家を手放すなんて今は考えられない。
それに……この広い庭。
こっちも手入れが大変なんだけど、やっぱり愛着がある。
幸い保険金やら遺産やらがあるから経済的に困るということもないし。
離れは全く使わないのも勿体無いから、格安、破格の条件で住んでくれる人を募集しているけど、駅からも遠いし、見つかったらラッキーぐらいに考えている。
まったく……なんでこんなに無駄にデカイんだ我が家は。
母屋の方は思いきって家政婦さんでも雇ったほうが良いかもしれない。
『何かお困りですか、御主人さま?』
可愛いメイドさんがにっこりと笑いかけてくる。
いやいや、それはメイドさん、何考えているんだ俺は。
しかもクラスメイトで妄想するとは……。
「あ、やばい、遅刻する」
すぐに考え込んでしまうのが俺の悪い癖。
高校までは約1キロ。しかもほぼ坂道ときている。
よりにもよって、今日はリュックが重い日だ。
自転車が使えればなんてことは無いんだが、うちの学校は3キロ以上離れていないと自転車許可出ないんだよな……。
戸締りをして家を出る。
今日も一日平和に過ごせますように。
◇◇◇
「よう、命、朝からお疲れだな」
ニヤニヤしながら声をかけてくるのはクラスメイトの直樹。
「……お前は良いよな、玄関出たら目の前校門だし」
直樹の家は、学校の前にある文房具などを扱う雑貨店だ。ある意味チートな存在だが、宿題を忘れました~という伝家の宝刀が使えないという弱点もある。世の中そう甘くは無い。
「それより、新作書いたんだよ、読んで感想プリーズ」
「また書いたのか? 後で読んで感想送っとく」
「サンキュー!! 俺のモチベはお前にかかっているからな、感謝してるよ」
直樹は「小説家になってやる」という小説投稿サイトで小説を書いている。
人気は……まあ、俺に読んでくれと言ってくるぐらいだから、お察しだが、文房具に特化した独特の作風にコアなファンも少数ながらいるらしい。
俺は小説とか詳しくないし、気の利いた感想なんて言えないけれど、奴によれば率直な感想は書き手にとって貴重なんだとか。ふーん、そういうものなのかな。よくわからない。
俺も評価するためにユーザー登録させられたりしたけれど、こうやって話題を作って声をかけてもらえるのは正直有難かった。
今でこそこうやって笑えるようになったけれど、半年前はこの世の終わりみたいに思っていたからな……。
塞ぎこんでいた俺を見かねたんだろう。こうやって、事あるごとに声をかけたり、誘ったりしてくれる。なんだかんだで優しい奴だと思う。たぶんな。
俺の席は教室の最後尾の窓側。
授業中ぼんやりと黒板を眺めれば、花が咲いたような大きなリボンが目に映って揺れる。
最前列に咲いた高嶺の花の君。
交わることはなくても、こうやって遠くから愛でるぐらいは許されても良いと思うんだ。