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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

粛慎

作者: 小城

 この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。

 粛慎みしはせ。中央政権から見た辺境の民を呼ぶ名である。記紀に記された粛慎の名は、紀元7世紀に、蝦夷討伐に遠征した阿倍比羅夫と共に記録されている。彼ら粛慎は、比羅夫ら中央政権の者とも蝦夷の者とも異なる第三の姿を、その記録の中に残しているのである。

 西暦658年。越国守阿倍引田臣比羅夫は、水軍180隻を率いて、蝦夷討伐に向かった。飽田、淳代の蝦夷を討伐し、降伏させた比羅夫は、蝦夷の長、恩荷に位を与え、その郡領の支配を委ねた。

「この地から舟で海を渡った先。その島にも蝦夷はおります。」

「ならば、そこに案内してもらおう。」

 比羅夫は越国の豪族である。彼の父もまた、そうであった。然るに、彼の祖父がどうであったかは、比羅夫は詳しく知らない。もとより、越国で生まれたのか、あるいは、中央政権やその外の国から来たのか、それらのことは、一切、知らないし、知りたいとも思わない。ただ、彼は、己の一代の内に、中央政権の命じる通りに働き、蝦夷の討伐をし、その土地を平らげることこそを、己の生業としていた。

「こちらにございます。」

 蝦夷の恩荷は顎の張った横長な顔をしている。一方の比羅夫は、面長な顔をしていた。

「四方から囲み、徐々に囲いを狭めよ。」

 海を渡った先の島で比羅夫は、蝦夷の村を兵士に囲わせた。

「射て。」

 蝦夷は、川の傍らに村を作っている。彼らの住む土地は大抵、寒く、米が育たない。それは、北に行くほどそうである。そうであるから、たいていの蝦夷は、田を広げて、稲を作ることもなく、森に入って、獣を捕ることを生業にしていた。

「他に村はないか?」

 鉄の鏃に追い立てられて、村の蝦夷たちは、生け捕られた。まだ、冬が来るのは先である。比羅夫は、それまでの間に、できる限り蝦夷の平定をしておきたかった。

「粛慎の村がございます。」

「みしはせ?」

「彼らは、河を舟で下り、森で熊を捕って暮らしております。」

 恩荷の案内で、比羅夫は、そこに向かった。しかし、海岸沿いにある粛慎の村は、彼らの穴居が残るだけで、無人となっていた。

「彼らは、夏になると、海へ消えていきます。」

 それは舟を漕いでどこかへ行くということである。比羅夫が粛慎の穴居に入ると、奥には獣の頭骨が飾られていた。

「探すのだ。まだ近くにいるかもしれぬ。」

 斥候が散って行った。数人の兵士、蝦夷と共に、比羅夫は粛慎の穴居の中に残った。

 時を経ずして、兵士の一人が戻り、近くの川に粛慎がいると言うことを伝えた。残った兵士と蝦夷を引き連れて、その場所に、比羅夫は向かった。

「射て。」

 兵士に比羅夫が命じた。突然の奇襲である。粛慎は舟に乗っていた。彼らは、矢を避けて下流に向かった。しかし、下流の方から、兵士が舟に乗り、矢を射立てて来るのを見て、逃げるのを止めた。

「ここから離れた遠くへ行くと言っております。」

 蝦夷の中で、粛慎の言葉が分かる者を選んで、比羅夫は通訳をさせた。

「この川で魚を捕ることはもうしないと言っております。」

「そんなことはどうでもいい。」

 比羅夫の目的は、中央政権から離れたこの土地の平定であり、蝦夷の征服である。それらは粛慎にも、蝦夷と同じく、比羅夫に対する服属を要求した。

「服属の証を示せ。」

 通訳が語ると、粛慎たちは、比羅夫らを彼らの村に案内した。それは、先ほどの村とは異なるものだった。

「待て。」

 村があることを知った比羅夫は、兵士たちが集まるのを待った。そして、村を囲い、矢を射立てた。矢に射られて、何人かの粛慎が殺された。

「我等に服属せよ。」

 捕虜にした粛慎の長に比羅夫は要求を突き立てた。通訳を通して、そのことを了承した長は、比羅夫に熊の毛皮七十枚を献じた。

「あれも献じてもらおう。」

 生きた熊である。粛慎の村に捕らえられていた熊二頭の献上を比羅夫は要求した。

「豊葦原瑞穂国、越国守、阿倍引田臣比羅夫である。」

 そうして、第一回目の遠征は終わった。


「これらが粛慎より献上の品にございます。」

 都で大君に拝謁をした比羅夫は、遠征の成果と献上品を進上した。

「大儀であった。」

 大臣より御言葉を賜い、比羅夫は宮殿を後にした。そして、翌年の春にも、再び、比羅夫は遠征に出た。またしても比羅夫は水軍180隻を率いていた。今度の遠征の目的は巡見である。比羅夫は蝦夷の長を集めて、饗応させ、彼らに位と禄を与えて、その土地を郡領とし、統治を委託した。そうと言っても、彼らを持て成す宴の食物も、それらが採られた土地も、もともとは彼ら蝦夷のものである。そこに比羅夫が割って入り、称号を与え、中央政権の統治に蝦夷らを組み込んだのである。蝦夷にしたら、比羅夫らは第三者であり、暴力によって、不当に献上品を要求する盗賊でしかなかった。しかし、それにも、もはや、彼ら蝦夷たちは慣れてしまっていた。

「粛慎はどうしているか?」

 宴の席で、比羅夫は恩荷に尋ねた。

「渡島では蝦夷と粛慎が争っております。」

 それは全てに於いて、真実ということではない。昨年、比羅夫が行った渡島では、米が育たない。そこでは蝦夷も粛慎も狩猟をして暮らしている。その中で、必然的に、縄張り荒らしのような出来事が起こることもあり、それが戦いに発展することもある。しかし、その一方で、蝦夷と粛慎は、お互いに交易を営み、交流もしていた。中には、蝦夷と粛慎とで子を成す者もいる。

「阿倍臣様。どうかお助け下さい。」

 恩荷は平服した。彼の要請に応えて、この度も、比羅夫は水軍を率いて、渡島に行き、粛慎の村を襲った。

「この地は何と言う?」

「シリペッと申します。」

「この後方羊蹄しりべしを郡領とし、かの地を治める政庁とする。」

 比羅夫は粛慎49人を虜囚にしていた。その中の一人が何かものを言っていた。

「何と言っているのか?」

「何ゆえにこのような事をするのかと言っております。」

 通訳の返答に比羅夫は思考した。

「それが政治まつりごとだからだ。」

 比羅夫はそう答えた。兵士を率いて、軍を成し、粛慎の村を襲い、人を殺し、捕らえ、物を奪う。そのような現象が、山川海で獣魚を採って暮らしていただけの彼らの前に、忽然と姿を現した。その背景にあるものが政治であると比羅夫は述べた。

 都から遠く離れたこの土地で、自然と人々を王権の下、中央政権に組み込むことが、比羅夫の目的である。しかし、それらは、比羅夫や都人ら渡来人たちの身勝手な振る舞いであり、言い分である。蝦夷たちもそうであったが、もとより、粛慎たちは、比羅夫ら中央権力を必要としてはいなかった。なので、今さっき、比羅夫が答えた言葉を通訳が粛慎に伝えた所で、彼らの理不尽に対する答えにはならないし、それを理解することもままならない。だから、比羅夫の答えを、わざわざ、通訳は粛慎に伝えようとは思わなかった。

「連れていけ。」

 粛慎の虜囚は、舟に乗せられていった。彼らはそのまま海を行き、都にいる大君に献上させられる。それらの過程も目的も、粛慎たちには分からず、彼らの生殺与奪のやりとりは、政治という枠組みの中で、比羅夫を含めた限られた人たちの中で、淡々と冷徹に行われていた。


 翌年の春も、比羅夫は遠征に出た。今度は水軍200隻を連れた巡見である。

「阿倍臣様。どうかお助け下さい。」

 恩荷である。比羅夫の遠征以来、渡島では、蝦夷と粛慎の争いが過激さを増していた。結果として、比羅夫らのした所業は、火に油を注ぐ行為となっていた。

「案内せよ。」

 比羅夫の政治の目的は、王権による征服である。彼にとっては、目的が成されれば、その過程が、蝦夷や粛慎の間柄に油を注ぐものとなろうとも、どうなろうとも知らぬ事である。

「粛慎たちは弊賄弁へろべの島に拠って集っております。」

「馬身龍。かの地に巣くう賊共を討ち平らげるのだ。」

「承知。」

 能登のとの馬身龍まみたつは比羅夫の腹心であり、同郷人である。そのような信頼できる彼に比羅夫は軍の指揮を任せた。

「阿倍引田臣比羅夫なるぞ。弊賄弁島に拠る粛慎共よ。我等、蝦夷共の請いに従い、汝らを討ち従えむとするものなり。若し、大人しく、虜囚になることを承けなば、命限りは助け参らせぬ。」

 比羅夫の勧告を粛慎たちは承けることはなかった。比羅夫は、自らの舟に積んである絹や鉄器を海岸に置き、それを囮に粛慎たちが和を請うことを期待したが、粛慎たちは、その宝物たちを一瞥して、拒絶した。

「射て。」

 比羅夫は島に籠もる粛慎を、蝦夷と共に襲った。かつては、王権に侵食される側であった蝦夷も、今では、その一部となり、粛慎を侵食している。比羅夫が来るまでは必要とされなかった中央権力も、今の蝦夷たちにとっては必要不可欠なものとなっている。それは、一概に、蝦夷が中央権力に平らげられ、服属させられたからであった。

「進め。」

 海戦が終わると、比羅夫らの兵士は剣を取り、島に乗り込んだ。粛慎たちも、始めは木の棒に羽根飾りを付けて旗とし、舟を漕いで戦ったが、それも敵わぬと知ると、急いで、島の砦に退却した。というのも、比羅夫らの矢は鉄の鏃であるが、粛慎たちの射る矢の鏃は石でできていた。彼らの射る矢は、比羅夫らの着けた鉄の挂甲よろいを貫くことはできなかった。それでも、熊の毛皮を通す粛慎の鏃は、威力と当たり所により、鉄や革の挂甲を穿つことがあった。その運が悪く巡り合わせたのが、馬身龍である。この粛慎との争いにより、粛慎に彼は殺された。そして、また、粛慎たちも虜囚になることを嫌い、妻子共々、自らを殺した。比羅夫は、道々で捕らえた粛慎を虜にして、馬身龍の骸と共に、故郷に帰って行った。


「阿倍引田臣比羅夫。此度の功績により大花下たいけげに叙する。」

「有り難く存じます。」

「以て、益々、大君にお仕えなされませ。」

「承知。」

「能登馬身龍の死を大君は悼く感じられておられる。」

「彼の魂も喜んでおりましょう。」

 大君に虜囚を献上した後、故郷に戻った比羅夫は、塩漬けにしてあった馬身龍の骸を改めて、喪に服し、埋葬した。大花下は第八等位である。この度の比羅夫の大花下への叙任は馬身龍の死に報いる意味もあった。

「安らかなれ。馬身龍よ。」

 棺に入れられて土中の塚に埋葬される馬身龍の骸を比羅夫は眺めていた。そんな大花下となった比羅夫の胸の内には、馬身龍が何故に死んだのかという一点の曇りが残っている。哀れ石鏃に射られ、運悪く命を落とした馬身龍。そんな彼が死んだ理由と背景にも、比羅夫の言う政治なるものがあるのだろうか。彼の死によって、比羅夫が得たものは、大花下という中央政権の枠組みの中で空虚に作られた称号である。

 もちろん、比羅夫はそれらに不満があり、納得していない訳ではない。それでも、何故か、喜ばしいはずの冠位と称号が、埋葬されて行った馬身龍の骸を見ていると、どこか虚ろな物に思えて来る。

 それは、生まれた時から中央政権に仕えていた比羅夫にとって、権力というものとは異なる次元に於いて、苦しむ人がおり、悲しむ感情があることを知った瞬間であった。

「行こう。」

 比羅夫はその場を後にした。比羅夫の感情に、一欠片の変化が生じたその瞬間は、また、今まで、彼が執り使って来た政治というものに、今度は比羅夫が執り使われることになった瞬間でもあった。彼の感情の変化は、彼の見ている世界を一変させ、それまで得体の知れていた政治というものを、得体の知れない存在にしていくことになる。

 そして、馬身龍の死から二年後に、新羅征討の後将軍として朝鮮に渡り、白村江での負け戦に遭う比羅夫は、唐、新羅の軍兵士に追われる中で、かつて、自らが討ち平らげた蝦夷や粛慎の身の上のことを、馬身龍の死によって感じた、ほんの一欠片分だけを、その身に染みて感じることができたのである。

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