新しい装い 2
私の頭は全く追いついていなかった。
孫は私の宝物だ。それが、存在しない? そんな馬鹿なとしか浮かばない。馬鹿馬鹿しすぎて、かえって心の中の何かが冷めていく。けれども一方でその冷たさは、本当に孫がいただろうかと馬鹿げたことを考え始める。
「わかった範囲はまだ少ない。だからこれはほとんどが憶測だ」
それは突然のことだったそうだ。
約800年前、この国の位置する巨島南部、この国の東のほど近くに次元の穴というべきものが発生した。その穴は他の世界につながり、様々な影響をこの地にもたらした。
そういったこと自体はままあると聞く。だから各地に魔女様がいらっしゃって、この世界が崩壊しないよう調整されていらっしゃるのだ。
その穴によって最初に発生したのは魔力の枯渇。
穴の向こうの世界には魔力が存在しないかほとんど存在しなかったらしく、浸透圧のような作用で大量の魔力が穴の先に吸い取られた。そしてこの世界でぽっかりと魔力の欠乏した部分に、代わりに穴の先から『幻想迷宮グローリーフィア』という呪いがこの国の中心ほど近くに落下した。それは『グローリーフィア』というダンジョンを生成し、『グローリーフィア』という魔王を発生させた。そしてその『グローリーフィア』を起点とする呪いは希薄となった魔力の隙間に混じり合い、その『ぷろぐらむ』に則って呪いを実行し、つまり1年ごとに全てを繰り返すようになった。
「信じがたいことですが、その『ぷろぐらむ』というものは魔法なのですか?」
「俺は魔法が使えない。だから魔法に詳しくはないが、少し違うみたいだ。『魔法』ってのはこの世界に溢れる魔力を使うんだろう? 『プログラム』は何ていうか、存在をそんなふうに定義するもの、それで定義された対象に定められた動きを行わせるもの、だと思う。そしてそれは無意識に働きかけるものだから、定義された対象自体はそれを感じ取れない」
「定められた? 無意識に? いったい誰が定めるというんです?」
「定めたのは、そうだなぁ、よくわかんないけど穴の先の世界の魔女みたいなものなのかもしれん。穴の先に魔力がないなら、魔力とは異なるものを魔力のように定めて使用しているいる、とか? ほら、ここの魔女も魔力の行使方法を指定して地元民に魔力を使わせてるんだろ?」
「セバスチアン殿。穴の先は異世界だ。そこがどのような場所かは行ってみなければわからないし、既に800年も前に穴は塞がった。だから結局わからない以上、調べようがない」
なんともはや漠然とした話だ。
けれどもお2人の、何故かありえないと思わせるその目の傷は、妙な違和感を醸してやまない。
「ウォルター様、そのぷろぐらむ、というものはどのような影響をもたらすのでしょうか」
「ノルウィ・バーガルディから自身がノルウィ・バーガルディであるという認識を奪い、『幻想迷宮グローリーフィア』に存在するエスターライヒ王国という箱庭の中でセバスチアン・カウフフェルという役割を与えた」
「役割、でしょうか」
「そうだ。おそらくこの近辺でノルウィ・バーガルディが最もセバスチアン・カウフフェル像に近かったのだろう。セバスチアン、お前、800年前に国外に出られないという申立をしたことを覚えているか」
「申立?」
「最初の繰り返しの後、この国の者はこの国の外に出ることができなくなった。その際、ノルウィ・バーガルディはその被害を申立てた。その時、自身の商会長として届け出をしていた名前をセバスチアン・カウフフェル、商会名をカウフフェル商会に変更している」
「そんな馬鹿な」
そう思いながらウォルター様が机の上に広げた用紙を眺めると確かにそのような内容で、間違いなく私の字だった。
本当に? 私はノルウィ・バーガルディなのか? その時初めて、ノルウィ・バーガルディという名がとても近くに感じられた。けれどもそれが何なのかはわからない。
「俄には把握できません」
「そうだろう。まあ仕方ない。それほどこの『プログラム』とは強固なものだ。それからセバスチアン。いや、俺らと居る時はノルウィと呼ぼう。お前の前歴がわかったのはたまたまだ。たまたまお前が商人で、大商会の登録をしていて、且つ変更届を出していたからだ。登録のない者や一般市民は誰が誰だかわからない」
「誰が誰だか? それではお嬢様もマリオン・ゲンスハイマー様ではなく、アレク様やソルタン様も本当は違うお名前だ……と?」
「名前どころの問題じゃないんだ。問題はお前やこの国周辺にいた存在のうちの一定数が、これまでの自分と全く違う人生を歩まされていることだろう?」
「一定数、でしょうか」
「どの範囲の人間がプログラムによって異なる人間に『設定』されたかはわからない。ほとんど全てかもしれないし、新たにキャラクターを『設定』されたのはプログラムの根幹に関わる数百人程度かもしれない。けれどもそれを当然とするために、国名や地位、人間関係についての認識をはじめとして、プログラムを円滑に施行するための認識阻害がこの領域の全ての人間に及んでいる。俺が本当は王子でないことなど誰も認識してないからな」
「王子では、ない?」
「そうだ。俺は王子じゃない。けれどもそれも些細な事だ。それでお前らは800年間も他人の人生を歩んで、すっかり元の自分の人生の記憶を遠くに追いやっている。ノルウィ・バーガルディ。お前は誰だ」
「私は……」
酷く頭が痛む。
ノルウィ・バーガルディ。確かに遥か過去にそう呼ばれたことがある気がする。
この国はエスターライヒではなくサマルアリア。アルバート様はアレックス様。
「ウォルター様も違うお名前をお持ちなのですか?」
「ああ、名前は別にあるが……俺の本当の名前は言えない」
「言えない?」
「王子が王子でない名前を持つとまずいだろ? だから誰も知らないほうがいい。ただでさえ廃嫡とかわけのわからない状況だからな。変な要素をふやしたくない」
「わかりました」
たしかに王子を異なる名前で呼べば不敬となるし、余計な揉め事の種にもなるだろう。
そしてウォルター様の次の言葉は予想を超えるものだった。
「お前の孫が病気になったのもプログラムのせいだ」
「なんですと!」
「ノルウィ・バーガルディがセバスチアン・カウフフェルに適合したように、お前の孫、実際は違うのだろうが、そいつはヨハン・カウフフェルに適合した。元から体が弱かったのかもしれない」
「仰る意味がよくわかりかねるのですが」
「このプログラムは人の意思が干渉できないものについては干渉し続けられないんだよ」
「干渉できないもの、ですか?」
「たとえば物は下に落ちると言った物理法則とかだな。世界の法則を変え続けるほどの力はない。それで教会のステータスカードやギルドの登録システムといった魔女が設置した基幹システムや、魔女の術式によって不朽の魔法がかけられたもの、こういったものは人の意志が介在しないものだから、プログラムも手出しをしにくい。というか人が介在しないからプログラムがその存在に気づかないんだ。それでギルドの受付記録を確認したところでは、この800年間ずっと、お前は特定のパーティが25階層を突破した日に必ずギルドにパナケイアの発注をしている」
そんな、馬鹿な。
思わずガタリと椅子が揺れた。
そんなはずはない。頭に孫のヨハンの顔が浮かぶ。少なくともヨハンが病を得てから、私は八方手を尽くしたのだ。古今の秘薬を取り寄せ、名医や公明な魔術師を呼び寄せた。その記憶はとてもクリアでそのやりとりは全て思い出せる。それでもダメだったから悩み抜いてギルドに依頼を出したのだ。
「ありえません。私は孫のために」
「お前が孫のためにこの1年あまり手を尽くしたことは事実だ。けれどもお前の頭の中で募集を出すタイミングを決めたのはプログラムだ」
「意味が、わかりません」
「お前はパナケイアを発注することを悩んだはずだな」
悩んだ……。
それは確かに悩んだとも。悩んださ。
何故ならパナケイアを手に入れるということは誰かの死を願うことと同義だ。誰かの苗床となって育った神の実。私の孫の、ヨハンの命と引き換えに誰かの死を運ばせる。私は常々商売は真っ当にを心が崖てきた。だから依頼書にも詳しくは書かなかった。いや、書けなかったのだ。そのような人道にもとるような行いを。心苦しくて。
だからギルドに依頼を出したのは悩み抜いた上だ。
だからソルタン殿が誰も犠牲にならずにパナケイアを実らせたと伺って驚愕した。そうして心底ホッとして、ようやく重い心の支えが取れたのだ。
「そう。バグはわからないレベルで少しずつ行動に干渉する。元々の想定していた登場人物に似た思考回路や知識を持つ人間を特定の役割に設定し、そのように思考を誘導するんだ。目を覚ませ、ノルウィ。お前にも大切なものがあるはずだ。忘れている何かが」
私が忘れているもの。
私にとって大事なものは孫と商会と、それから最愛の妻。妻? この国で出会ったこの国で商売を始めるきっかけとなった。
……何故だ。何故名前が思い浮かばない。その姿は霧の向こうにあるように茫洋としている。わからない。先程は浮かんだような。
「ノルウィ殿、何か見つかったら、決して忘れないよう強く魂へ刻みつけなくてはなりません。メモでは無意識に捨ててしまう」
「俺たちはこの呪いを抜けなければならない。抜けなければ、また名前も何もかも、自分が誰かも忘れて永久に繰り返すことになる。お前の孫も1年毎に病を得続ける」
「そんな。それではどうすれば」
「わからない。わからないが『セバスチアン』ならやらず、『ノルウィ』本来ならやりそうなことをやるとか、設定を壊していくのが1つだと思う」
「……わかりました。未だわからぬこともありますが心得ます」
私。
本来の私ならすること。『設定上』というのはその設定がわからないからなんとも言えないが、普段と違う行為を否定するのではなく大切にする、のか。
わからないが日々の気づきを大切にしようと心に決める。
私はノルウィ・バーガンディ。




