雷雲のフィールド
35階層は雷雲のフィールド。
北東西の三方を切り立った山脈に囲まれた湖のフィールドだ。一方向だけ開いた南側の海から温かい風が流入している。空はずっと薄暗い。垂れ込める様々な形の黒雲がすっかり太陽の光を遮り、その雲間を行き来する雷が光源となり、世界を明滅させている。
転移陣の間を出た瞬間、その空気の生暖かさは皮膚をぴりぴりと波立たせた。その雰囲気はなんていうか、夏の夕立直後のようだ。生ぬるく静電気に満ちているようで、とても気持ちが悪い。みんなの髪、とくにウォルターの金髪ががふよふよと宙を泳いでいる。いつもはウォルターはボス戦だけに参加するけど、サンダー・ドラゴン対策のために35階層初日に一緒に潜った。開口一番のウォルターの言葉はやべぇから始まる。
「やべぇ。マジやべぇなここ」
「こんなに雷が鳴ってるのにどうしてフィールドに落ちないのかしら」
「うん?」
「ギルドで調べたんだけど、雷の被害が発生するのはサンダー・ドラゴンのボスフィールドだけなの」
「どうなんだろうな。そういう地形効果なのか、雷がサンダー・ドラゴンの周りに集約されているのか、それとも雷自体がサンダー・ドラゴンの一部なのか」
「じゃぁこのフィールドの雷はサンダー・ドラゴンが発生させているの?」
「必ずしもそうとは言い切れない。半分は地形のせいだと思う」
ウォルターが言うには、三方向の山が海からの温風をせき止め、その温かい空気が山から降りる冷たい空気とぶつかることによって上昇気流が発生し、雷雲となるらしい。2つの温度が異なる空気が擦り合い電子のバランスが偏ることで、雷が発生するそうだ。
だからサンダー・ドラゴンがいなくてもこの地形がある限り、雷雲は発生するだろうという。
この階層の地形、つまり主なフィールドは水源地だ。
大きな湖に沿って歩いていくとサンダー・ドラゴンが住む岩屋に辿り着く。
「サンダー・ドラゴンはこの雷で攻撃してくるのかしら」
「そうかもな。そうすっと、ひょっとしたらサンダー・ドラゴンが使うのは雷魔法というよりは空間魔法かもしれない」
「空間魔法?」
「そう。雷を防ぐにはどうしたらいいか考えたんだけどさ。結構お手上げなんだよ。サンダー・ドラゴンは攻撃手段として雷撃を冒険者に当てにきている。ということは雷の落下地点を指定できるんだと思う」
それはそうでしょう? 当てるわけだから。
けれどもウォルターが言うには、雷の仕組みは私たちが認識しているものとは少し違うらしい。
最初に雷雲の下の方に溜まったマイナスの電子が地表に下りてくる。それが地面に辿り着いた衝撃で地面に溜まったたくさんのプラス電子が上空に立ち上ぼる。空から伸びたマイナス電子と地面から伸びたプラス電子が空中で結びついた時、地上から雲に向けて電流の柱、つまり稲妻が立ち上るそうだ。
それでこのフィールドのように常に雷雲が立ち込めている時、地面は既にプラス電子が滞留している。だから地上でも静電気がバチバチと鳴っているわけ。それでサンダー・ドラゴンは雷を『命中』させるために、ターゲットからプラス電子を意図的に立ち上らせ、そこに上空の雷雲から降りてきたマイナス電子を結びつけることで雷を落としているんじゃないか、とか。
「おいウォルター、それは普通に魔法を使うのとは何が違うんだ?」
「俺は魔法が使えないけどさ。例えばソルが炎の魔法を使う時は炎を作ってそれをポイって投げつけるわけだろ?」
「まぁ、そうだな」
ポイという音にソルが妙な顔をした。
「サンダー・ドラゴンは雷を投げつけるんじゃなくてさ、どこに雷を落とすかを指定するんだよ。例えば俺に落としたいなら俺に目印をつけて、それを雷雲と繋ぐとその線に沿って雷が発生するのさ」
「目印をつける? 意味がわからない」
「雷というのは2地点を結んだところに走るんだ。それでこんだけ雷雲があるわけだから、ターゲッティングしたものと雷雲のどこかをくっつければいい。自分でわざわざマイナス電子、つまり雷の元をわざわざ発生させる必要はないと思うわけ。だってさ、自分を発生源にすれば自分とターゲットが繋がるわけだから、自分も雷撃を食らうんだぞ。だって雷で繋がるんだからさ。それに……そもそも雷って作れるものなのか?」
「魔女の術式には在るらしいが、俺は作れないな。あれは原理がわからん」
「原理がわかれば作れるのか?」
「多分な」
そこからソルとウォルターは電子がどうのとかアーク放電がどうのと専門的なことを話していたけれど、問題はこのフィールドだ。
雷は避ける必要がある。これはマスト。前世の知識で雷の温度は1000度にも達すると聞いたことがある。雷に直撃すれば死んでしまう。だからこそギルドでの攻略情報では、被害者数が甚大なのだ。
けれども雷はとても早い。それは光と同じ速さだ。目を上げて空に走り続ける稲光を見ても、これは避けるとかそういうレベルじゃはないと思う。雷を落とさせない。少なくとも私たちの上には落とさせない。あるいは雷が落ちてもダメージを受けない。
35階層を超えるにはそれが重要なこと。
最初は絶縁体で装備を作ることを考えていたけれど実効性があるのかは正直疑問。
何故ならサンダー・ドラゴンは襲いかかってくるからだ。電撃以外もそのドラゴンの鋭い爪と牙は脅威となる。
今まで考えていた素材はゴムだけど、サンダー・ドラゴンの攻撃でゴムが破損すればそこから雷は侵入する。僅かな隙間からも入り込むと思う。なにせ電気なんだもの。それにウォルターもゴムが絶対安全かどうかはわからないと言っていた。そもそもゴムが耐えられる電圧を超える雷が落ちてくるのなら、絶縁破壊といってゴムを貫通して電気が体に通るそうだ。
「ウォルター。サンダー・ドラゴンが雷を落とす位置を指定してくるなら、避雷針みたいなので落とす場所を変えられないかな?」
「そうなんだよな。ターゲットしてもフィールドにプラス電子は溢れているわけだからさ、他の所に落とせば被弾はしないと思うんだけど。でもボスフィールドに避雷針を立てていくとかそんな悠長なことが出来るもんなのかね? その間に攻撃されて終わりそうな気がする。でもちょっと考えてみるわ」
それから色々実験をした。
このフィールドには雷を操るモンスターが多数いる。それらのモンスターの電撃はそれほど強くはない。せいぜい痺れるくらいだ。他の階層で取得できる様々な素材がどの程度電気を通すのか、あるいは防げるのかを調べる。
「ねぇ。この雷獣は雷を撃っても痺れてる様子はないよね。さっきのウォルターの話だと電気が繋がった方もダメージを受けるんじゃないの?」
「そんならこの皮に絶縁性能があるのかな。マリー、この革で装備は作れるか?」
「作れないことはないと思うけれど」
「色々試したい。ちょっとこの階層は洒落にならん。元々はどうやってクリアしたんだ?」
「雷耐性装備を揃える?」
「そんなもの、まだ開発できない。それに雷耐性装備を揃えなくともダメージは負うがクリアできた。ダメージを負うってことは通電するってことなわけで、でも雷なんて一発食らうと死ぬぞ、まじで」
モンスター素材を剥ぎながら考える。雷獣の毛並みは電子が集まりやすいように毛が生えていて、触るとパチリと静電気が弾ける。
革にすると薄いから防具にするなら複数枚を重ねる必要があるだろう。その内側に何か絶縁できるものを張る?
ゲームでは確かに雷耐性装備というものがあった。けれどもそれがなくても大ダメージを受けつつも倒せなくはなかった。
雷が落ちても生き残るってどういう状況なんだろう。それまでゲットしたアイテムの中で、何か見落としているのかな。例えば食べれば雷耐性がつく食べ物とかがあったりするのかな、うーん。
「ゲームにあって、今の世界にないもの」
「あるいはゲームになくて、今の世界にあるもの、だ」
「ウォルター、あなたは何なの?」
「俺はウォルターだ。それ以外にはない」
ふと呟いた言葉に対するウォルターの返答は明確だった。やはりウォルターは私と同じく『幻想迷宮グローリーフィア』を知っていて、ゲーム外から訪れている。つまり地球の日本から。
ウォルターの前世を聞いてみたい。けれどもこれ以上その話をするのは適切じゃない。みんながいる。
それにしてもゲームと違うもの、か。
1番大きいのは1年を経過したことだと思う。エンディングをスキップしたのが1番大きいのだろうけれど、それはバグの起点であって、現在直面しているバグの結果とは直接結びつかない。今発生しているバグは何だろう。そのバグはどういう効果を及ぼしているのだろう。世界が割れたのはどうして?
バグの効果で本来得られる雷耐性が得られていないのだとしたら、それじゃ攻略が不可能じゃないかな。
よく考えるとゲームとは色々な違いがある。
ゲームとの違いで1番最初に不思議に思ったのは、遭遇していないソルの星空の岩場のイベントが何故か宿屋で発生したことだ。
イベント進行はかなり崩れている。深層のボスは私たちが30階層を超える前に地上に現れている。エルフの森ではエルフの森に入るイベントが異なっていた。あれがゲームに設定されたイベントなのかどうかはよくわからないけれど、私たちも25階層以降はかなり強引でわけのわからない進め方をしている。土瀝青でエルフの森が燃えたことなんてない。
戦闘関連ではソルがコルディセプスを呼んだこと。25階層で呼んだけれども、本来は42階層で開放されるスキルだ。
それから、他に何かあったっけ。そうだ、他の貴族パーティが私、主人公より先の階層に到達することもなかった。ウォルターが廃嫡されるなんてことも。そもそも廃嫡についてはゲームにはそんな設定なんてなかったはずだ。
そう考えてるとゲームとは既に大きく違う。
何が違うの?
プロポーズはそのキャラが発言するわけだから、イベントをこなさずに発生してもおかしくはないのかもしれない。階層ボスも元々地上に現れることができるのなら30階層到達以前に地上に出てくることもできるだろう。前に少し考えた、ソルはもともとコルディセプスを呼ぶ方法を知っていて、上手く使えるレベルに足りなかった。それであれば呼ぶこと自体は元々できたはずだ。普通はしないだけで。
そもそもよく考えると『イベントが発生しないと物事が進行しない』というのは現実的に考えるとおかしい話だ。
そうするとイベントとというのは本来発生しうる物事を『特定のイベントをこなすまで発生させない』というマイナス方向の制限なのかもしれないな。その制限が解除されたから、イベントのタイミングと無関係に色々な物事が発生している、可能性。
でもサンダー・ドラゴンはどうなんだろう。攻撃力が弱く設定されていたのが解除された?
けれどもそれはおかしい。だって地球には元々サンダー・ドラゴンなんていないもの。ゲームレベルは一定で、『幻想迷宮グローリーフィア』にはダンジョン攻略難易度設定なんてなかったはず。それとも難易度を上げる方法が実はあった?
それにこのフィールドの他のモンスターは適正値な気がする。けれどもゲームでわざわざ弱く設定する必要なんてない。ゲームではあの設定がサンダー・ドラゴンの強さなんだ。
そうするとどういうこと?
この世界では今のサンダー・ドラゴンが世界基準?
わけのわからないことはもう1つある。アレクだ。アレクはキヴェリアという国の出身といっていた。ゲームではバーヴァイア王国だった。これはゲームとは明らかに違う。ソルとアレクは私の推しキャラだったからその設定は全部知っているもの。それにバーヴァイア王国というのはゲームの中には存在しない、と思う。聞いたことのない国名だ。
この世界はゲームの世界、なのか、それとも。




