新しい旅立ち
「よし、ヘイグリット。やれ」
「2人がいるけどいいの?」
「構わない。どうせ知られている。お前、祭りでぶっちゃけ過ぎなんだよ」
「そんなこと言ったってぇ。うぅん、ちょっと怖いかもしれないけど気にしないでねぇ。あともう少し下がってて?」
ヘイグリットは魔剣グリアーイオを背から抜き、両手で構える。その分厚い刀身は2メートルを超え、アレクが新しく設えた剣よりさらに大きい。ヘイグリットの身長よりも。
剣舞を思い出してジャスティンとともに急いでヘイグリッドから遠ざかる。
かしゃりと剣が引かれる音がする。あれは下段の構えというのかしら。
それから目なんて離していなかったはずなのに次の瞬間ヘイグリットの姿が消えていた。
その瞬間、ふわりと桜のような香りがただよった。
そして一瞬後、神樹から伸びた巨大な枝葉のいくつかが轟音と共に落下し、けれども地上に落ちたような音は聞こえなかった。
えっと?
「あの、何を」
「対価として神樹の枝葉をもらうことになっている。先程アブハル・アシドからも同意を得た」
「でも下に」
「下で回収してるやつがいるんだ。ヘイグリットの友達だ」
そういえば探知ではもう1つ影があった。
下、回収してる。ヘイグリットの友達。まさか。
そんなことができるのは44階層の階層ボスであるグーディキネッツくらい。
いえ。でもあのアレグリット商会のドワーフは特殊な道具はアレグリット商会以外の場所で作っていると言っていた。ええと、階層ボスがアレグリット商会で働いているというの? そんな馬鹿な。それじゃあアレグリットはやっぱり……ええと、なんなの? 魔王の手下? まさか。魔王の手下が街でダンジョンを倒すための武器を作るはずがない、よね。
魔王がそんなことを許すはずがない。それじゃアレグリットは魔王? まさか、そんなはずがない。ウォルターもバグ、いえバグじゃないかも知れないけれど、エンディングの1年を迎えてその性質が大きく変化した。ということは魔王グローリーフィアにと同じことが起こりうるのだろうか。
けれどもアレグリットには魔王の特徴である角や尻尾がない。だから魔王じゃない。よくわからない。
「お待たせぇ。本体以外は切ってきたわ」
「おう。アブハル・アシド。確かに対価は頂いた。エルフはなんとかする。いくぞ」
エルフをなんとかする? どうやって?
疑問だらけだ。
見上げると、いつの間にかあれほど深く茂っていた神樹の枝葉はわたしたちが立っている一本以外が全て切り落とされ、高く伸びる一本の太い幹だけが残されていた。その先端はやはり遠い。これまでは雲のように緑の枝葉が広がっていたけれどもすでにそれはなく、今は銀河鉄道を宇宙に誘う線路のようにキラキラ煌めく星の河にまっすぐと繋がっているように見える。
これまで長い間このエルフの森を守っていた神樹。その最後の姿はそれでも堂々として神々しい。
そしてその変化が私の心に刻み込まれる。ゲームでのエンドを示す『神樹の伐採』。本当に負けたんだ、ってことを。
ごめんなさい。ふいにそう思った。やっぱりここはゲームじゃない。そんな気がする。でも、やはりエルフの森は燃えてしまった。見晴台に走る今もオレンジ色の消えない火がはるか足の下をちろちろと揺らいでいる。
「ねぇ。エルフをどうするつもりなの? 降りられる枝はどこもカステッロ軍が抑えている。戦闘になるとまずいんでしょう?」
「あ? 別にそんなことしねぇよ。堂々とまっすぐ降りるさ」
「アレグリット様、お待ちしておりました。全員揃っております」
「聞いていたより少ないな」
先程までいた見晴台には多くのエルフが集まり不安の表情でアレグリットを見ていた。
グラシアノとウォルターの姿は見えない。アレクと一緒に先に出たのだろう。
「ふん。では確認だ。アレグリット商会は協定に基づきこの森のすべての資材を貰い受ける。そして全てのエルフを俺がテイムする」
「ちょっと待って。テイム、テイムって言ったの⁉」
「部外者は口を出すな。そして転移陣を潜り、新たな場所を確保しテイムを破棄する。それでいいな」
「問題ありません。何卒よろしくお願い致します」
テイム? テイムして、破棄する?
それなら、でも。何故テイム?
先程のギローディエの姿が思い浮かぶ。そして地上ではモンスターはテイムされている。エルフはテイムして、売られる。奴隷のように。
「マリーちゃんそんな顔しないでぇ。ダンジョン産のエルフはモンスター扱いだから転移陣を使うにはテイムするしかないのよう。モンスターは階層を超えて移動できないでしょう?」
「転移陣? テイムすれば転移陣が使えるんですか?」
「うん。そうよ。あれ? 知らなかった?」
「ええ。その、本当に?」
「そう。一時的にテイムはするけれど、そのあとちゃんと解除するわ。そういう約束なの」
そんなことで階層を超えられるの? でも確かにテイムしたモンスターはテイマーに所属する。
モンスターは他の階層に移動しない。それはそもそもセーフティゾーンである転移陣に入れないから。入れたとしても次の階層を超えられない。そして転移陣を通らなければテイマーはテイムした魔物をダンジョン深層に連れて行けない。それじゃあテイムして、破棄すればいいの? グラシアノも?
そうしているうちにアレグリットは墨を持ち出し、エルフ一人ずつの手の甲にさらさらと模様を書きながら呪文を唱え、1人1人をテイムしていく。全てのエルフをテイムするのにさほどの時間はかからなかった。
そしてアレグリットはエルフたちを先導し、最もカステッロ軍の多い枝を降りていく。ダンジョン探索許可証を翳して美声を響かせながら。
「ヴェークマン子爵家パーティに所属するアレグリット・カッサールである。続くエルフ127名はヴェークマン子爵家の名でテイムした。よってヴェークマン子爵家の所有物である。手出し無用にされたい」
「まて。どういうことだ」
枝野終点に待ち構える兵士は、それでもヴェーグマン子爵家の紋章の穿たれたダンジョン 探索許可証を前にたじろいでいる。本当に貴族家であるなら、その資源は取得した者がちだ。
「どうもこうもない。ダンジョンではその所有物は先に取得したものが所有権を有する。よってエルフの所有権はヴェークマン子爵家のものである」
「そんな茶番が罷り通るか」
ざわつく兵士たちの奥から眉間にしわを寄せたカステッロが大股で現れた。
私たちはその様子を少し遠くから眺めている。
ゲンスハイマー家とヴェークマン家は無関係だ。巻き込むと面倒だから別の枝を降りろとアレグリットに言われた。ヴェーグマン子爵家は領地も遠く、お父様も王都での社交で会ったことがあるかどうか、という程度の関係だろう。
面倒ごとは少ない方が良い。本当に何とかなるのかとハラハラしながらも私たちは別の枝を下った。
予想通り、私とソルを背負うジャスティンはアレグリットと同様に許可状を示せば何の拘束もされず通された。おそらく他家パーティは通すように通達が行き渡っているのだろう。そして私たちが何の資源も持っていなかったからだ。
そしてアレグリットの朗々とした声が響き渡る。
「茶番ではない。早いもの勝ちだ。それは貴殿もよくご存知であろう? お初お目にかかる。カステッロ・ビアステット殿」
「お前が都下で流行りの『アレグリット商会』か。ふん、許可状は本物か。どうやって取り入った」
「取り入るもなにもない。子爵家には3枚の許可状が発布される。そのうち1枚を借り受けただけだ」
「……通さぬと言えば?」
「罷り通る。ビアステッド家がヴェークマン家を私掠するというのであればこちらは防衛するまでだ」
私掠。たしかにそれは私掠に違いない。
他の貴族家がダンジョン内で得た財を奪うことは禁じられている。
けれどもそれが通じるのは相手が貴族だからだ。貴族本人はダンジョン入場時に記録が取られる。だからその消息をもみ消すことはできない。けれども今カステッロの目の前にいるのは貴族家自身ではなくただの商人にすぎない。だからいなくなっても誰も気づかない。ダンジョン内では人は死ぬものだ。皆殺しにしてしまえば、どうやって死んだかなど、捜しようもない。
そしてアレグリットはたった2人に見える。だから何かあってもどうとでも誤魔化すことはできる。
普通ならば。
「お前らは2人しかいないだろう? 誰が」
その時、ヘイグリットが半歩ほど前に出て、唐突に空気が変わった。ジャスティンがソルを放り出して私の前に立つ。
何かがふわりと空気を揺らがせ広がっていく。エルフから悲鳴が上がる。
最初はそれがなんだか分からなかった。ヘイグリットが立つ地点を中心に全てが凍りついていく。そんなよくわからない感覚。そしてそれが染み渡って私のもとにたどり着いた時、全身が総毛立ちそれが何かを理解した。
殺気。
唐突に世界が変化した。
その殺気に全身が雁字搦めになる。この空間では生存が許されない。殺気はそう告げる。だから生きていることを気づかれてはならない。
息をすれば、少しでも動けば殺される、急に訪れたら私が今ここで生きていることが奇跡に思えるような世界のズレ。私は世界の淵に立っていて、そよ風が吹くだけで容易にこの世界から転げ落ちているようなどうしようもない絶望感。武術の心得なんて全然ない私にも明確に伝わる死の香りがじわりと足元を這い回り、空気に拡散していく。
怖い、息ができない。ひゅぅという変な音が喉から漏れる。でも、吐いた息を、吸い込めない。吸い込んだら、殺される。
ーニー、ヘリトレ、防壁、展開。ぐ、ぅ。
いつのまに意識を取り戻したのか、ソルの唱えた呪文によって何らかの守りがなされたのだろう。ヘイグリットから感じる圧力がほんのわずかだけ弱まる。
でも目が離せない。動けない。声を出すことすらもできない。
アレグリットがヘイグリットの頭をパシリと叩く。
「馬鹿、やりすぎだ。加減を考えろ」
「えぇ? 知られてるっていったじゃない。酷いわぁ」
「程度問題だ馬鹿。カステッロ殿。もう一度言うが通さぬというなら押し通るまでだ。力ずくで」
「……撤退する」
カステッロの絞り出すような言葉でふいに、今までの圧が何だったのかというように全てが溶けて世界が元に戻る。
おそらく時間にしてはほんの一瞬だったのだろう。けれどもそれは私にとってそれはとてもとても長い時間だった。おそらくジャスティンにとっても。ジャスティンの頭部からはぼたぼたと大量の汗が滴っている。私も大量の汗を手のひらにかいていることに気がついた。
エルフのうち何人もがぱたりぱたりと倒れはじめる。極度の緊張に耐えかねたのだろう。無理もない。私の頭も足元も酷くぐらついている。
その後、カステッロ軍は発言の通り転移陣へと引いていく。
アレグリットは頭をばりばり掻きながら倒れたエルフの介抱にあたり、ふとこちらを向いて先に行けというジェスチャーをする。ヘイグリットも片手を上げてヒラヒラとこちらに振っている。
その表情はにこやか。敵では、ない。少なくとも今のところは。
よかった。
それによって初めて、大きく息をつけた。私の足元もぐらりと揺れた。
ジャスティンが気を失ったソルを再び背負う。足早に、なるべく早くその場を離れるように、無言で足を動かす。
上手く呼吸ができない。足がもつれる。頭が混乱する。体から体温が失われる。鉛のように体が重い。
けれども、けれども何よりも早くここから立ち去りたい。
怖い。
それほど、それほどヘイグリットが発する気配は恐ろしかった。
「真理、あれがヘイグリット、なのですね」
「……えぇ」
「私たちがいずれ倒さなければならない、相手」
そう。そうだけど今はそんなことを考えたくはない。一刻も早くここを逃げ出したい。
転移陣にたどり着いた頃にはカステッロ軍は既に撤退していた。
そしてアレクとウォルター、グラシアノが待っていた。グラシアノをここに置いておくことは気がひける。だからアレクが残ることになった。アレクがいればきっと、アレグリットたちが攻撃することはないだろう。おそらく。だってヘイグリットとは48階層に至らなければ戦闘にはならない。そうに違いない。そのはずだから。そう心に言い聞かせた。
私たちは翌日は休むことにした。
アレグリットたちはおそらく速やかにあの階層を離脱するだろうけれども、1日は間を開けたかった。
ひょっとしたらヘイグリットがまだいるんじゃないか。
そう思うと恐ろしすぎて。
これが戦い? 殺し合い?
私はその日初めて、明確な殺意というものを味わった。
以前に予告した通り、1ヶ月程度休載します。
再開は3月上旬~中旬を目処にしております。
この話は全15章程度を予定しております。10章はサンダードラゴン戦とドワーフの鉱山街です。
引き続きお読みいただけると大変嬉しいです。
ありがとうございます。




