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黄金の夜

「ソルタン様、準備ができました」


 そのエルフの長の声は悲痛だった。だが他に方法がない。

 俺はこれからエルフの森を滅ぼす。カステッロが火種を撒き、俺が息の根を止める。

 エルフの魔法というものは特殊だ。母なる神樹の力を自らに宿して魔法を行使する。エルフは幼い頃から神樹とともに暮らす中で、その恵みを魔力という形で直接的に受けて育つのだ。地上の人間がその大気の中で暮らし、そこに溶ける魔力を操る魔女の魔法と比べても格段に距離が近い。

 つまりエルフが森に暮らすという意味は、神樹の支配下にある極小的な神樹の領域で生活しているということだ。


 だからエルフはその森を守り、森で暮らす。

 旅に出るときも、領域源となる神樹の特別な枝や実を加工してを持ち歩く。その形は弓だったりお守りだったり色々だ。領域自体を持ち歩かなければ自由に魔法は使えないが、持ち歩くことによってどこでも神樹の元にいるのと同様に魔法を行使できる。

 一方の俺は今、魔女の術式にはよらず、さまざまな概念を自分の中で仮定・定義・構築してその名で魔法を行使している。だからエルフと同様にたいていの領域で、魔力が存在する限り魔法を行使できる。けれどもその複雑な構築という工程がシームレスな魔力行使の妨げになっている。エルフの森で暮らす中で、魔力源との近接性と行使方法はとても参考になった。

 けれどもそれももう終わりだ。だからそんなことは今更どうでもいい。


 この32階層のエルフの森はもともと問題を抱えていた。神樹の力が詰め込まれた、もっと言えば領域外で領域を形成できるほど魔力を濃縮できるものは神樹の実とそれが実る枝だ。アブハル・アジドにとっての銀林檎の枝。つまりエルフの秘宝とは、まさにそこに住むエルフのための秘宝であり、人間が所持しても意味がない。

 けれどもこのエルフの森たるアブハル・アジドがダンジョンに閉じ込められて以降、アブハル・アジドの主観では800年は実をつけていない。

 ダンジョン内では新たに強力な実をつけるあて、強力な他の樹木との出会いもなく、すでに森は先細っていた。

 だからこの森のエルフは真にこの森から出られない。分けるべき神樹がすでにない。そう、すでにこの森のエルフの全てが他に避難できるほどの神樹がないし、新たな神樹を植樹できるほどの強力な実や苗木もない。

 節操なく動物に取り憑いて同化吸収しながら移動するコルディセプスとは違うのだ。


 だからこそ俺のコルディセプスとの交配はこの森、つまりアブハル・アジドにとって極めて得難く、その再生と新たな道標となるものだった。

 けれどもやはり時期に問題があった。

 森は人間に攻められようとしていた。今実をつければ人間はますます攻め手を緩めないだろう。だから交配は人間を追い払った後にしないといけない。けれども追い払えなかった場合は。


 その万一に備えても、俺とエルフは秘密裏に協議を重ねていた。

 エルフの森もエルフも残せないのであれば、アブハル・アジドを残そう。エルフはアブハル・アジドのもとで生きている。それがエルフたちの総意と決定だった。エルフにとってその本体は神樹であり、エルフ自身はその枝葉にすぎない。

 だから俺はその万一に備え、アブハル・アジドの魔法についての教えを乞うた。特殊な系統の魔法でコルディセプスの制御にも役に立ちそうだ。だが正直なところその万一は来なければ良いと思っていた。

 予想外に戦線は膠着した。その目的が兵糧攻めであることが見えてきた時、攻勢に転じることを最終的に決定したのはエルフの森だ。

 そして突然巨大な爆発が起こった。それは巨木を揺らし全てを薙ぎ倒す大きなものだった。


「何が⁉︎ 何が起こったのだ⁉︎」

「アブハル・アジドの方角だ‼︎」

「落ち着け! 敵が戦線を立て直す。まずは目の前だ!」

「しかし……」

「ここを抜かれればいずれ守りきれない!」


 俺の目に映るエルフの動揺は相当なものだ。エルフにとって神樹はその力の源だ。今も背後からはパキパキと木々が爆ぜる音がする。

 そぞろな防衛戦は優勢なはずの布陣を崩壊させ、かわりに敵は次第にまとまりを見せ始める。仕切り直しか、と思った時、奇妙なものが飛んできた。

 黒い、塊。

 そこに火矢が射掛けられ、それは突然燃え出した。そこまで大きな火ではない。だから最初は消火を命じた。

 水は確かに火を弱めた。けれども消えなかった。水弾を飛ばせば黒い粘体は弾けて炎を周囲に拡散させる。

 不必要にでかい水球で丸ごと包んでもぶくぶくと気泡を上げ続け、その熱を奪うのに20ほどを数える必要があった。


 さらに悪いことにその黒い塊は次々と投擲され、周囲の木々に火を撒き散らす。その延焼が次第に広がりマリーの描いた陣の一部を焼ききった時、さらにぼわりと炎はその大きさを増した。


 アブハル・アジドの方角に生まれた炎がこれと同じであるのなら。たとえ広範囲に広がっていたとしても消すこと自体は不可能ではないかもしれない。しかしそれをやれば俺の魔力が枯渇する。潮時だ。


「離脱する」

「火は消せたではありませんか!」

「ああ。だが全てを消すと俺の動かせる魔力に余裕がなくなる」

「そんな……」


 指揮下の部隊には近くの部隊の指示に従うよう伝令し、長の1人と共にアブハル・アジドに向かう。途中でマリーたちと会ったがやはりあの火は水では消せない代物らしい。ならば優先すべきことは別にある。

 アブハル・アジドのうろでは新たにエルフの長が2人ほど、悲痛な顔で待ち構えていた。


「確認する。アブハル・アジドを貰い受け、俺が実をつける。その苗を譲渡する。それでよいか」

「結構です」

「結局苗をどうするんだ」

「他の地に植えます」


 他。その当てがあるのか。

 なんとなく聞いてはみたものの、エルフの森の将来はそもそも俺が関与するべきことではない。

 本当であればアブハル・アジド自身が実をつけるのが最も良かった。コルディセプスを譲渡すれば事足りる。だがここに至ってはアブハル・アジドが実をつけてもカステッロに奪われるだけだ。だから俺が実をつける。


 体に施していたいくつかの防御機構を解く。敵軍に襲われたら死ぬ危険性があるがやむを得ない。アブハル・アジドを防御対象と自動認識してはまずい。その枝葉は受け止めなければならない。とはいえ最低限の強化はしたい。今俺の中で最も強いのはフレイム・ドラゴンだが、炎だから嫌がられるだろう。だからアイス・ドラゴンだ。


ーコルウクレズネに願う。6の棚4の項77目アイス・ドラゴンの宿り身。

 ソルタン・デ・リーデル、アイス・ドラゴンの心臓、アブハル・アジドの葉、不凍液、白銀水、虹水、魔力。


 鞄に用意していた素材を片端から飲む。

 全身が泡立つにつれ俺の皮膚表面が崩壊し、内側からアイス・ドラゴンの硬い表皮が迫り上がる。表皮の換装が終了する。糞痛ぇ。左右両腕の皮膚を見れば、確かに鱗に覆われrw薄っすらと白く周囲の温度を低下させていた。


「あの、ソルタン様何を」

「人の皮膚は薄すぎるからな。突き破っちゃうだろ。これならなんとか保つだろう。さて始める。俺以外は出ていけ」

「しかし……」

「いても構わないが、俺にお前らを守る余裕はない」


 結局のところ全員が出て行き、入り口が閉じられ闇が満ちる。いや、よく見たら空間はむしろ薄っすらと銀色に光り始め、それは次第に蛍の光のように静かに明るく明滅し始めた。

 そもそもここはアブハル・アジドのうろの中。アブハル・アジドの体内。すでに誰も立ち入れない閉じられた静かな空間。その内側。ひたひたと足元からアブハル・アジドに調整された魔力が満ちていく。アブハル・アジドが意図的に自らの魔力を滞留させて魔女の魔力を追い払う。内臓の隙間に、肺腑の内側にも降り積もっていく。

 しまったな。息できるかなこれ。無理そうだよな、仕方がない。呼吸器官の機能を最低限に止めると、この空間から音はますます無くなった。あとの音源は循環器間だがこれはゆるやかに動かしておく他はない。

 ひどく蒸し暑い。アイス・ドラゴンの皮膚を纏っているから余計にそう感じるのかもしれない。


 ここは外とは異なる領域で既に異界。この数日で把握した神樹の魔力の還流方法に従い体内循環を調整する。俺が死んだら元も子もない。

 そろそろ頃合いか。

 俺の中のコルディセプスをほんの少しだけ自由にする。最近はわりと抑え込むことに成功していたが、それでもこれの本性は寄生樹だ。油断すれば増えてくる。あまり活性化はさせたくないが仕方がない。少し油断するとすぐさま根を張り芽を出して、固いアイスドラゴンの皮膚表面ですら突き破るだろう。ほら。俺の胸の下でパキリと骨を砕く音がした。胸部の皮膚が迫り上がる。アイス・ドラゴンでも内側からの衝撃には弱いのかもしれない。まぁ体内から攻撃されることは普通ない。最初は細い枝がぷすりと胸から突き出てにょろにょろと若木が伸びていく。

 気づくと周囲からもアブハル・アジドの枝葉が伸びていた。

 つるりとした空洞であったうろの内側、床や壁から次々と焦げ茶色の枝や触手が生えてにじり寄る。糞。痛そうだが仕方がない。


 結局の所アブハル・アジドを得ることができれば、俺のさらなる強化に繋がる。だから結論的には悪くない。問題は俺のキャパが耐えられるかだ。拡張性は追加したがやはりギリギリのラインに思う。

 けれども最早止めることは出来ない。足の直ぐ側から生えた枝が足首に絡まり膝を捉えて腰に巻き付く。胸から生えたコルディセプスがそれを迎えるように絡みつく。2種の木々が絡まり合って蔦になる。その度に俺の表皮は引き裂かれて傷口は開いて溢れる冷気で流れ出る血はかたたっぱしから固まり、コルディセプスの枝は容赦なく生え太る。体内で心臓と肺が圧迫され、呼吸は止めているに等しいとはいえ喉の詰まりや嘔吐感がせり上がる。


 コルディセプスは特殊だ。強いものに寄生する。

 だから近寄ってきたアブハル・アジドに絡みつき、その枝に自らの楔を打ち込む。一方のアブハル・アジドも神樹だ。その程度では負けはしない。アブハル・アジドはコルディセプスに寄生されながらも花を咲かせる。わずかに(ふち)が桃色に染まった拳大の白い花が次々と花粉を飛ばす。それに触発されたコルディセプスは若草色の枝と柔らかな細長い葉を茂らせ、その間に親指大の小さく真ん丸でべとついた白い花を複数咲かせる。

 二本の神樹の複数の枝が俺の胸部を貫き、そこを中心に花や葉で飾り立てられたような、そう思うと異様な姿だ。なんだかな。マリーには見せられないや。


 アブハル・アジドの白い花は俺の周りの枝だけではなくウロの全ての壁面や床面で咲きほこり、焦茶色の幹と艷やかで肉厚な黄緑色の葉を広げている。まるで森の中にいるようだ。まさにこれこそがエルフの森の本島の姿なのだろうか。

 茶、緑、白。一斉にアブハル・アシドの花粉が舞い、同時に俺の胸腔にもその枝と花粉が更に深く潜りこむ。


 ー木々の長セルヴァンスに願う 我を土とし神樹の実を宿し育て守り給え。


 呪文の行使とともに体の中でバリバリと臓腑を削ぎ落とす音がする。2から5番までの胃腸と3の肺腑がどろりと混ざって耕され、そこに新たな実が根付く。せっかく作っていた体の予備パーツがどんどん消費されていく。まったくろくでもないダンジョンだ。

 いざとなれば確保している素材で即席の体をつくることもできるが、姿が人間から遠ざかる。やりすぎるとマリーに嫌われそうだ。けれども受粉した。そして新しい神樹の種が生まれた。


 結局のところ俺はこうやって俺にできることを増やしていくしかできない。けれどもそれによってマリーを守ることはできるだろう。それからマリーが望むものを手に入れることも。

 この俺の新しい力の名前はもう決めてある。ニーヘリトレだ。


 そう思った途端、ゴフリと口の中に血の味がする。育ちすぎだ。全く。

 ニーヘリトレは俺の中で新しい小さな領域を展開しながら根を張り始める。その力を体中に循環させれは、ほんの少しだけ体が楽になった。

 ニーヘリトレはコルディセプスとアブハル・アジドを混ぜた新しい実だ。その両方に干渉し、育てれば制御しうる。このウロに満ちたアブハル・アジドの魔力を円滑に行使する事ができる。

 でも仕事があと1つ残っている。


 ーコルウクレズネに願う。6の棚4の項79目ニーヘリトレの移し身。

 2の心臓、コルディセプス、アブハル・アジド、黄金の水、風精霊の理力、魔力。


 パナケイアを作ったときと同様に心臓を1つ捧げて体内で絡みつく神樹を合成し、苗木に変える。

 それをナイフで胸からえぐり取り、ついでに胸から生え出るコルディセプスと侵入するアブハル・アシドを切り取って開放部を塞ぐとそれを支えに立っていた俺の体はドサリ崩れ落ちた。過積載だ。足に力が入らん。


 神樹であっても実をつけるには受粉してからしばらくの時間がかかるのだ。

 けれども俺は魔力と代替物質を調合して促成栽培ができる。

 手元には脈打つ心臓から芽を出した白金色を帯びる神樹の苗木。俺から生まれた神樹は着床すべき地を見つけるまで俺の予備心臓を動かして生命を保つだろう。

 うん、やっぱ余裕がない。随分頭がクラクラする。内蔵を丸々1セット以上持っていかれたわけだから仕方がない。増やすのに随分かかりそうだ。

 けれどもこれをエルフに渡せば依頼は完了だ。


「アブハル・アジド。苗は成した。エルフを入れろ」

「ソルタン殿、どうなされました!」


 アブハル・アジドは速やかに扉を作ると同時にエルフたちが飛び込んでくる。外気の流入と引き換えに満ちていたアブハル・アシドの魔力は霧散し、同時にそこかしこに張られたアブハル・アジドの枝葉は維持できずに砕け散り、白い花弁が舞った。妙に幻想的だ。ふぅ。ようやくまともに息ができる。

 無様に倒れた俺の体は未だ動かないが、エルフたちは俺の少し先に転がっている苗木を見て息を呑む。


「これが新しいアブハル・アジド」

「その苗だ。新しい苗だから厳密にはアブハル・アジドとは違う」

「もちろんです。けれどもなんと神々しい」


 それは確かに小さいけれども、拍動にあわせて白金色の光を揺らめかせていた。


「それを地に植えれば新たな神樹が育つ。その木の下であればここと同じようにエルフの力を使えるだろう」

「ありがとうございます! これで何とかなるかもしれません。ソルタン様は……」

「俺はしばらく立ったら回復するから放っていけ。それに俺が見つかっても冒険者として入っているから捉えられることはない。あと、アブハル・アシドは力を使い果たした。アブハル・アシドの魔力回路はもう保たない。早く行け」

「しかし……」


 だめだ、眠い。

 意識が朦朧としてきた。


「お前らが出ていけばアブハル・アジドに一時的にここを閉じてもらう。それで見つからない。早く行け。あとマリーに会ったら大丈夫と伝えろ」

「ソルタン様、ありがとうございます。感謝に耐えません。アブハル・アジド。これまでお守りくださり誠にありがとうございました」


 深く礼をして立ち去るエルフたちを見て、なんとなく、アブハル・アジドとエルフたちの間には会話が成立しているような気がした。なんだか妙な疎外感だ。俺とニーヘリトレの間にもそのうちそんなものができたりするのかな。

 やがて入り口が閉じて薄暗くなり、白い花の名残がふわふわと頭や体の上に落ちてきた。ニーヘリトレを作るのに力を使い果たしたのだろう。俺も限界だ。目を閉じると、俺の腹の中でニーヘリトレの領域がふわりと広がるのを感じた。

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