エルフの森で過ぎゆく日々 2
エアリーヌが冒険者を連れてきた。どうやら命を助けられたらしい。それには深く感謝した。
そういえばエアリーヌが成人してもう半年ほど経つのか。時間の流れは早い。それまではミルリーヌと共にこのエルフの森の入口を警備していたというのに。
森の外に出るようになればモンスターに襲われる危険性も高まるが、我々にとってこの辺りのモンスターの討伐は比較的容易だ。怪我を負う可能性はよほどの事情がなければ低い。
けれども森外の危険性は以前に比べて格段に高まっている。ダンジョン外から来た冒険者が森のエルフを攫っていくのだ。
エルフは帰属意識は強いものの、自由を尊ぶ。だからこの森のエルフも成人するまでは単独で森の外に出ることを禁じられているが、成人すれば自由だ。どこに行くにも憚られることはない。
……これまではそうだったが、一定の制限を設けなければならぬ時期にきているのかもしれない。そう考えるとエアリーヌは既に森を出ていて、ダンジョン外の冒険者に囲まれているという直近の森の事情を知らなかった。タイミングが丁度悪く、そしてタイミングが丁度良くマリオンという冒険者のパーティに助けられたのだ。感謝してもしきれない。
本来であれば森を上げて祝宴を開いても良かったのであろうが、エアリーヌは既にエルフの森に所属していない。現在はアレグリット商会の所属なのだ。そう考えればエルフの森がその無事を祝うべき筋合いではないのかもしれない。
けれども森を離れたとてエアリーヌは同胞だ。だからそれを助けたマリオンのパーティに対しては最大限の配慮をしよう、そのように長老会でまとまっていた。
けれどもその夜、エアリーヌからマリオンがエルフの森と協定締結を希望していると聞いた。
相互互助協定。それはエルフの森にとっては日増しに悪くなる情勢を考えれば、願ったり叶ったりだ。けれども何故。何か利益があるのだろうか。
そう思って会ってみると驚いた。その者らのうちの1人からなにやら恐れ多い気配、そしてもう1人からは抗いがたい気配を感じたのだ。
要件を聞くと土瀝青が欲しいらしい。何故あのような澱を必要とするのかと思ったが、森と地上では使い方や考え方というものが異なるのだろう。エルフの森の奥にあるという場所を考えなければ、寧ろ誰にでも自由に持ち去って欲しいものだ。
それから技術。なるほど。そのジャスティンという者は確かにこの室に入ったときからこの部屋の全てを探るように視線を動かしていた。彼であれば我らの技術を活用できるのかもしれない。
そして驚いたことに、マリオンはこの森の現状を正確に把握していた。
我々よりもだ。この長老会でも半分は冒険者が攻めてくる、など半信半疑であったのに。長い間の平穏が我々の中で戦争というものを風化させていたのだろう。一方、冒険者というものは常に戦いの中に身を置いている。見えるものが違ってくるのだ。
マリオンが語る冒険者が攻めてくる理由というのは考えてみれば当然であった。そもそもエルフの森がダンジョンに存在する以上、冒険者とは立場的に対立するのだ。そして冒険者が我らをモンスターと同視しうるということは目から鱗だった。そんな馬鹿な、と思ったが、森の外には差別というものがあるという話は、昔から伝えられている。
我らの森は随分長い間、他の世界とは切り離されていたから思いが及ばなかったのだ。
そうすると高い確率で冒険者は攻めて来るのだろう。どうしたらよいのか。
マリオンは術式付与という技術を持ち込んだ。それを防衛に組み込んではどうかと。
なるほどこれは素晴らしいものだ。バッファーがバフをかけることで、その効力が何倍にも跳ね上がる。是非とは思ったのだが、マリオンの使うバフの術と我らの使うバフの術が少し異なることに気がついた。
地上の者は『泥濘とカミツレ』の魔女の力を借りて術を発動する。けれども我らは神樹『アブハル・アジド』の力を借りて術を発動する。だから魔女の刻印を刻んだ術式を用いるのでは、我らの術では効果を増強することができない。
「ええと、それでは魔女の術式はこの領域では発動しないということでしょうか」
「いや、ここも魔女の領域内に包含されているゆえ、魔女の術式は通用する。しかしこのエルフの森を直接治めているのはアブハル・アジドだ。だからその効力は減衰するだろう」
「マリー、大抵の魔法はその管理者が敷いた法則に則って行使する。特に魔女というものは魔力行使をその手の内で管理したがるものだ。だからご丁寧にもどうやったら発動するかっていう筋道を立てて術式をばらまくんだよ」
「術式を? じゃあ私の魔法の呪文を作ったのは魔女なの?」
「そうだよ。だから呪文の最初に魔女の名前を唱えるだろう。それは魔法使いにもメリットはあってさ。プリセットされた一定の術式に基づいて魔法を行使すれば、その形にその地の魔力をハメやすい。そうしないと1から自分で魔力を操らないといけない。ここのアブハル・アジドも同じく何らかのプリセットを敷いているんだろう」
このマリオンは領域の外に出たことがないのだろう。領域を渡らないのでなければ魔女の魔法で何ら不足するものはないのだから。
求めに応じてジャスティンに素早さ上昇のバフをかけることを許したが、その効果は3割程度まで減衰されているそうだ。
こちらとしても試せてよかった。これで冒険者どもが攻め込んできたとしても、その魔法の効力、最もこの森で恐れられる魔女の火魔法の効果は抑えられるだろう。
「頭の名前を書き換えるのではだめなのかしら」
「そんな単純なもんではないんだけどな。マリーはアブハル・アジドがどんな存在か、イメージは全然わかないだろう? 全く効果がないとはいわないが、それであれば元のままのほうがまだマシだろう」
「ソルの魔法は魔女の魔法じゃないでしょう? 本当の効果はもっと高いの?」
「俺は独自で魔力を編み上げてんだよ。魔女やアブハル・アジドと同じくソルタンの魔法だ。だから魔力がありさえすれば、よっぽど特殊な場所じゃなきゃどこだって使える。領域を超えて旅するにはこのくらい出来なきゃ話にならない」
そうするとこのソルタンという若者はエルフの森でも自在に魔法が操れるということか。その事実は留意しなければならない。
結局の所、マリオンのゲンスハイマー家とこのエルフの森は正式に協定を締結することになった。
マリオンは当座、この領域の防衛のための魔女の術式を組み込み、同時にエルフの術式の研究をする。それは間に合わないかもしれないが、少しでも我らに協力しようという姿は長老会の心を打った。
この術式付与というのは新しい技術だそうだ。技術というものは連綿と伝わる魂だ。それを供与してもらえるというのだから、こちらも何でも協力しよう。現在の危機的状況を鑑みると、その協力の重要性は極めて高いのだ。
追ってこちらから人員を手配するということで協議を終えたところ、メンバーのうちのソルタンという者が特別な用事があると述べて残った。他のメンバーが立ち去ると、その若者の近寄りがたい雰囲気は増した。
「マリオンのパーティあるいはゲンスハイマー家としてではなく、個人ソルタン・デ・リーデルとしてエルフの森たるアブハル・アジドに申し入れる」
「アブハル・アジドに、でしょうか」
そのソルタンと名乗る若者の申し入れは不遜の極みといってもよい。けれどもその言葉にはやはり抗い難いものがあり、気がつくといつの間にやら長老会のみなは頭を垂れていた。
「俺は神樹コルディセプスの苗を宿している。コルディセプスとアブハル・アジドの交合を申し入れる」
そういうが早いか、ソルタンは左手の手甲を外し、その甲がパキリと割れてそこからしゅるりと神々しい枝がのびる。おおよそ直径1センチ、長さ15センチほどに伸びたところで懐から取り出した金色のナイフで切り取り、それを無造作にこちらに突き出した。
思わず受け取った腕が震える。
これがコルディセプス、様。人間や動物のうち、殊更強大なものに寄生して世界を渡ると聞く。長い人生においても初めてみるアブハル・アジド以外の生きた神樹。
「これが釣り書きだ。準備が整えば迎えを寄越してほしい。夜は紹介を受けた宿にいる」
ソルタンは返事も待たずにすぐにウロから出て行った。断られるとは思いもしないのだろう。そして返事などもはや明らかだ。このウロはアブハル・アジドの胎内だ。あの者にもわからないはずがない。アブハル・アジドが喜びに打ち震えていることを。
このエルフの森、正確に言えばアブハル・アジドがこのグローリーフィアに囚われてから、随分と長い時間が経ったらしい。アブハル・アジドは一般的な神樹だ。大地に根を張りさまざまな新しい植物を取り込んで実をつける。
だからかつて、このエルフの森がダンジョンに呑まれるより前は、定期的にさまざまな領域を渡り歩いて新樹を探し求めた。そしてアブハル・アジドの実と出会った神樹の実を交換するのだ。世を旅するエルフの一定数はこの役割を担っていると言っても過言ではないだろう。
けれどもこのダンジョンに囚われて以降、アブハル・アジドが実をつけることはなかった。新しいものが訪れないからだ。
だから最近の冒険者の訪れにはほんの少しだけ期待していた。珍しい植物があれば持ち込んでほしいと期待して森に招き入れたが芳しくはなかった。けれども望外だ。まさか神樹自身が訪れるとは。これでアブハル・アジドは新しい実をつけることができるだろう。
いや、新しい実を付けるどころではない。手元に息づくコルディセプスからはこれまでのどの神樹よりも強さを感じられた。コルディセプスの実を付けることによってアブハル・アジドとエルフの森は更に強大に栄えることができる、はずだ。
しかしその前に試練がある。まずはこの森を囲む冒険者からアブハル・アジドを守らなければならない。




