エルフの森で過ぎゆく日々 1
探索の結果、エルフの森はおよそ60名程度の冒険者に囲まれていた。とはいえその3分の1は輜重のようだ。今現在急襲されることはない、と思う。
『幻想迷宮グローリーフィア』ではエルフの森は高確率で冒険者に襲撃される。原因をいろいろ考えてみたけれど、現実的な目線で見れば、エルフの戦略の幅がとても狭いからだと思う。このエルフの森にとって、そもそも森以外の種族と交流すること自体が初めてなのだろう。だから、現在エルフの取っている不適切なものを除外するという戦略の結果が何を生むか、想定しきれていないんだ。
1度禁を破れば立ち入れない。立ち入れない以上、それ以降その者がエルフの森から恩恵を受けることはない。恩恵を受けるためには掠奪するしかない。
そして人間とエルフは文化が異なる。例えば、特別に許されたものを除き、森へはいかなる理由があっても火の持ち込みは禁止だ。だからエルフも特別に許された飲食店等の限られた場所で、許可された範囲で煮炊きをする。だから冒険者はエルフの森では食事は外食に頼るしかなく、自分で煮炊きをすることはない。そういった細かな決まりがたくさんある。
人間にとってはエルフの文化とそれに基づく除外が不当であると認識する者も多いだろう。それがエルフの森自体への不満を醸造させ、人が集まることによってその不満が正当化され、そして攻め入ることへのハードルを下げてゆく。
「ザビーネ様、これ以上、冒険者の人数は増えるのでしょうか」
「そうですね……。カステッロ様ならより多くを動かせるでしょうから増えるでしょう。マリオン様はどうされるおつもりですか? ウォルターの依頼を受けているのですよね」
「ええ。だから採取が終わるまでは動けません」
「状況が変わったということで撤退されては。採取であれば後ほどでもできるでしょう」
後ほど。それはエルフの森が滅んだ後という意味合いだろう。
今エルフの森に滞在する冒険者パーティは私を別途すればザビーネ様を含めた4人だけ。とても叶う人数差ではない。エルフの森が滅んだ後はここで木材系の資源を手にすることはできなかったと思うけれど、土瀝青はどうなんだろう。
「そう、ね。状況に応じるつもりではありますが、なるべくギリギリまでここにいるつもりです。ここは得られるものが多いから。お気遣いありがとうございます」
エルフの森の知識、技術、素材。
素材はともかくエルフの森が消失してしまえばその知識と技術は失われる。
そういえばエルフの森に神樹があることは知られていないのかもしれない。神樹アブハル・アジドはひと目見ただけでは一際大きな巨木にしか見えない。
「それからあの、ウォルターはこの階層に止まるのでしょうか」
「当面その予定です。採掘があるでしょうし、お一人では転移陣まで戻れませんので」
「それでしたらしばらくは安心でしょうか、いえ、むしろ危険かもしれませんね」
「それはどういう?」
「カステッロ様はビアステット家の嫡子ですからウォルターとの関係は微妙です。そのご性格上ウォルターの存在は許せないのでしょうが、立場上、今のウォルターに手は出しづらい。それをどう見るかですわね」
ビアステット?
今世の貴族関係の記憶を遡る。ビアステットは公爵家。この国の貴族として最も高位な家の一つ。
ウォルターのお母様、皇后様は現ビアステット公爵の妹御。とすればカステッロとウォルターは従兄弟にあたるのか。ウォルターはこれまで王族としてビアステット家とは切り離されていたけれど、それが廃嫡となった。
「そういえばウォルターはビアステット家の継承権を有しているのでしょうか。本人は全く気にしてないか気づいていなさそうでしたが」
「ああ……高位の貴族では有名な話なのですが、マリオン様はご存知ありませんのね。そこが今、とても微妙な問題なのです」
ビアステット家の継承権は一風変わっている。現当主と当主代理、そしてその先代と次代の当主及び当主代理うち10歳以上の者、最大6人の合議それに基づいて領の統治が行われる。
原則、当主の長男と次男が次代の当主及び当主代理となる。当代及び先代が死亡した場合に補充はないが、次代の当主または当主代理が死亡した場合、家内の男子が繰り上がる。現当主に他に子がない場合、先代当主直系女子が生んだ男子で他家に婿や養子に入っていない者が継承権を持ちうる。継承権を持つ男子以外の子女及び当主として相応しく無いとみなされた男子は、10歳になった時点で他家に出されて承継権を失う。各代の当主及と当主代理は対等で、全ての財産を共有し、複数の同じ妻を娶る。そんな関係だから、同じ家で同じ価値観で育つことが絶対なんだそうだ。
現在の領地運営協議の参加者は王都に住む先代当主とカステッロ、領地に住む当代当主とその当主代理の4名が参加している。
先代当主の弟は既に死亡くなり、現当主にはカステッロの他に女子が2人と5歳の男子がいるけれど、5歳の男子は10歳になるまで正式な継承権と協議の参加権はない。この次男が死亡した場合、現当主に新たに男児が生まれない限りは、現当主の妹の男子であるウォルターが継承権を持ちうる。
「でもウォルターは多分、ビアステット家に入るなんてちっとも考えていないわ」
「ウォルターを預かっている先代当主もそのつもりはないらしいのだけど、ビアステット家にいる以上、どこかの養子か婿に出さざるを得ないのよ。でも今は難しいの」
「ウォルターは王子に返り咲こうとしてるからなぁ」
「ビアステット家も王家に戻せるなら戻したいそうなのだけれど」
そういえば『幻想迷宮グローリーフィア』ではウォルターがパーティに加入していれば、エルフの森で敵対する冒険者側の攻勢が緩くなる傾向があった。前世ではウォルターのラックせいかと思っていた。けれども探索許可証をもっているのはみんな貴族。だからウォルターの王族という立場が、敵対する側の遠慮やら忌避感を生んでいたのかもしれない。
けれどもウォルターは今、極めて微妙な立場にある。王族としての役目を果たせないとみなされて廃嫡されたのに、今のウォルターは国の発展に尽力している。エスターライヒを発展させ、貴族位に居ながら王族としての務めを果たしている。普通に考えれば一旦廃嫡されれば通常は復位の目はないのに。
貴族とはその領土を富ませる者。
貴族であるならその領地の発展を目指すべきで、ビアステット家にウォルターが入るのであれば、その領地の発展に寄与させるだろう。けれどもウォルターはビアステット領の発展には全く役立ってはいない。
ウォルターは先代ビアステット公爵の孫にあたるけど、現ビアステット公爵やその嫡子であるカステッロにとってはどうなんだろうか。全く異なる家で育った異分子に他ならないだろう。ひょっとしたら事故死といった暗殺を目論む、ような関係なのかもしれない。
ウォルターからはビアステット家についての話は全く聞かない。本人は王族に戻るつもりだから、ビアステット家の継承権なんて気にもしないか、気づいてもいないのだろう。
はぁ。なんでウォルターはあんなに能天気なのかしら。ウォルターだからか。
「60名であればエルフの森が負けることはないでしょうけれど、もうしばらく膠着するか諦めてほしいところですね」
「マリオン様はダンジョンの者でも親エルフ派なのですね」
「ダンジョン……? ああ。ここのエルフはおそらくリポップしない類のエルフなのだと思います」
「ダンジョンなのに……? そんなことがありうるのでしょうか」
ダンジョンのモンスターはポップする。
野良亜人というか、ダンジョンのなかでポップする亜人やエルフもいる。けれどもここのエルフは一度滅べばリポップしない。
あれ? 何故だろう。
「ザビーネ様も28階層でリポップしないユニークモンスターに遭遇されたのでしょう? そのような存在は一定ありうると思います」
「それは、いえ、そうですね。確かにリポップしないモンスターもいます。ここのエルフも同様とお考えの根拠をお教え願えますか?」
それは私が『幻想迷宮グローリーフィア』をプレイしてリポップしないことを知っているからだけれど、けれどもそれ以外にもここには説明になりそうな特殊性がいくつかある。
ここをセーフティポイントにしているのはエルフの森の中心である神樹アブハル・アジド。そして神樹アブハル・アジドもユニークモンスターでリポップしない。
「エルフの森はセーフティゾーンになっています。セーフティゾーンは通常の悪意ある、ダンジョンでポップするような存在は入れません。とすればエルフの森のエルフは通常のモンスターとは異なると思われます」
「なるほど、たしかに」
「それからエルフの森には文化があります」
「文化、でしょうか」
「そう。その積み重ねがあるとしか考えられない。あの重層的に複雑に築き上げられた回廊や自然に組み込まれた家屋。エルフの森は独自の技術や文化体系を持っていると思います。そういったものも含めていきなりポップすると考えるのは難しいのではないでしょうか」
「そうするとあのエルフの森は随分前から存在するとおっしゃるの? このダンジョンは1年と少し前に現れたばかりですのよ」
ザビーネ嬢は理解しかねるという様子で眉をしかめた。
そこがわからない。けれどもエルフの森のエルフたちは長年あそこに住み続けていると自己認識している。1年4ヶ月ほど前にダンジョンができたとすると確かにおかしい。けれども少なくとも、『幻想迷宮グローリーフィア』ではエルフの森はリポップしなかった。
「ザビーネ様のおっしゃることはわかります。確かにグローリーフィアが出来た時期を考えると全くあわないもの。でも可能性はあると思いますし第一」
エルフの森の周辺をぐるりと一通り回って、私たちは再びエルフの森の勢力圏内に戻ってきていた。
見上げるとそのまま後ろに倒れてしまいそうな巨木で構成された森。年季の入った階段やそこからつながる集落。
「こんな立派な集落が突然現れて、そして滅んでも一晩経てばまた現れる、とは思えないのです」
「それは…そうですね」
ザビーネと別れて再びジャスティンと2人でエルフの森を回る。
今までのは所謂敵情視察。ここからは防衛戦の構築のためだ。設置型の術式陣を刻むにはどこがよいのか、どのような術式を付与するのが効果的かを確認して回る。
対人戦と考えればやはり行動阻害などの効果。けれども設置型にするとエルフにも効果を及ぼす。そうすると冒険者だけが通るような動線を作る必要がある。動線。ウォルターが言っていた考え方。そして『幻想迷宮グローリーフィア』ではたいていの場合、火が掛けられるから防火効果。効率的に防火をするためには消火設備を併設したほうがいいのだろうけれど、これだけ広いと一朝一夕にはいかない。
「マリオン様。冒険者はやはり攻めてくるのでしょうか」
「そうね。おそらくは。そしてこの森は火に包まれる、可能性がある」
「火に……これほど広いのにそんなことは可能なのでしょうか」
「どうやるのかはよくわからない。私の夢はとても断片的で、気がついたら森が燃えて追われていたから」
『幻想迷宮グローリーフィア』はあくまで主人公視点でイベントが進む。主人公が戦っている間にも、別の地点で複数のパーティによる攻防があり、おそらくその何処かが突破されるのだろう。主人公が気がついたときには、エルフの森は炎に包まれている。だから誰がどうやって火をつけ、森が燃えるのかはわからない。
けれどもジャスティンには説明しづらいな。ゲームというとあまりにあまりだから夢で見たということにはしたのだけれど。
「夢の中では燃えたエルフの森はリポップしなかった。だからおそらくこのエルフの森もリポップしないと思う。こんな立派な施設がリポップするとはとても思えない。けれどもザビーネ様がおっしゃることも確かで、この迷宮ができたのは1年4カ月ほど前。どう考えても時間が合わない」
「私も午前の会議では、彼らが1年そこらで出現した方々のようには思われませんでした。長くこのエルフの森に住まわれているように感じます」
「やっぱりそうよね」
「それにこの階段や道。経年の変化による黒ずみや同化が見られます。所々に数十年、場合によっては数百年の歴史を感じる。そもそもリポップとは何なのでしょうか。どういう原理で起こるのでしょう。生まれて育つわけでもなく、そのままの姿で突然現れるのですよね」
リポップ?
ダンジョンで倒したモンスターが再び現れること。
そう考えるとたしかに妙な気がする。低層階であればそれほど広くはないから複数パーティであたれば階層全てを殲滅することもおそらく不可能ではない。けれども一定時間が立つとモンスターは再び復活する。大人の姿で。いったいどこから現れているの?
「ねぇジャス。リポップするモンスターって個体差はあるものなの?」
「個体差、ですか?」
「そう。全く同じモンスターが発生するのか、それとも同種の異なる個体が発生するのか」
「それは……なんともいいかねます。たくさんのモンスターがいますしリポップしたものと遭遇しているのかどうかすら区別が付きません。そうですね……低層階のボスを周回すればわかるのかもしれませんが」
「そうすると、全く同じものということも考えがたいわよね。入る度に配置や種類なんかが少しずつ違うし、ギルドには階層ボスには個体差があるように報告されているもの」
そうするとリポップというのはコピーアンドペーストのように無から有を機械的に作り出すものではないのか。
可能性としてはどこかダンジョン外から合致する個体を強引に転移させて連れてくる。
あるいは遺伝子情報やなんかのバリエーションがあるものが保管されていて、その中から急速培養・育成する。
なんとなくSFっぽい。
というよりこの『ダンジョン』っていうものはそもそも何なんだろう。




