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魔王の係属

「グラシアノ。メンテナンスだ」

「わかった」


 31階層におりてすぐ、転移陣の端で動く気配を感じる。

 グラシアノはおとなしく上半身の服を脱ぐ。もともとグラシアノの胸部に施されていた何かの顔のような黒い墨に加えて腰部に新しい墨が増えていた。それは体の側面、|腸骨稜《骨盤の一番迫り出した部分》を中心として脇腹から太ももの上部に至り、鼠径部を覆うように正中で大きく重なり咲く2輪の大花。どことなく体の側面に左右対称に咲く2対のヒマワリの模様のようにも思われた。

 マクゴリアーテを殺した後に浮かび上がったものだ。


「何か変化はあるか?」

「体が少し大きくなった。それから多分、前より魔物に命令しやすくなったと思う」

「どのくらい?」

「その、アイス・ドラゴンだと5秒くらい止められる。1秒くらいなら操れると思う。そのくらい()()()

「驚異的だな」


 ソルの言うとおり、それは驚異的なことだ。

 グラシアノはモンスターがどこにいるかなんとなくわかるそうだ。アイス・ドラゴンを1秒も操ることができるのならば、戦闘などどうとでもなるだろう。バランスを狂わせるのも、マリオン嬢の陣の上に落下させるのも。どこにブレスを打たせるにも思いのままだ。……逆に言えば動線がわかるのなら俺たちを狙い撃ちにすることも容易だ。


 けれども俺はグラシアノがそんなことをするとは思えなかった。一方でソルの危惧も十分にわかる。グラシアノは魔族で、本質的に人間の敵だからだ。でも子どもだ。しかし成長している。

 大人になったらどうなるんだ? 人を襲うのか。けれどもグラシアノを見ていても、そんな姿は思い浮かばない。しかし未来というのは未確定だ。魔族というものは子どもの頃は善良なのかもしれない。そして大人になれば……いや、それは人間も同じだろう。

 頭の中がぐるぐる回る。俺は一体何がしたいんだ。グラシアノに弟を重ねている。そしてその記憶はとても遠く茫洋としている。


「射程は?」

「多分10メートルくらい。でもその範囲に入れば距離は関係ないと思う。10メートル先でもくっついていても」

「ふうん。他に何か変わったことはあるか?」

「ある、と思うけれどわからない」

「どういうことだ」

「マクゴリアーテにいろんなものをもらったって感じた。スキルとかなのかもしれないけれど色々。でもそれの使い方がわからない」

「んーそうすっと熟練度の問題か?」


 熟練度。

 スキルは生来的に有している場合も多い。比較的多くの領域では10歳になる時にステータスカードが交付され、そこで思いもよらない自分のスキル、それから自己の可能性を知る。俺もそうだった。

 だが有しているだけではそれは有効活用できない。何にしたってそうだ。例えば剣技のスキルを持っていたとしても体が動かなければ話にならない。体を自由に動かすためには長年の鍛錬が必要だ。そうでなければどんな汎用的なスキルでも有効活用できない。

 つまりいわゆる熟練度を上げる必要がある。これは魔法も同じらしく、長年その魔力の操り方というものに熟練しなければ最適の効果が得られないし高度な術式は組めないらしい。


「ちょっと痛いが我慢しろ」

「ん、っ」

ーセクアナの泉よ、傷を癒やし給え。


 ソルの手のひらがぽうと光り、グラシアノの傷口をわずかに盛り上がらせた。

 黄金色の刃でえぐり取られた5ミリ四方のグラシアノの腰の肉辺を眺めて小瓶に封入する。その肉は肌色で、傷口の方は黒かった。


「スキルやら何やらはこの黒い何かという形で譲渡されているのかな、痛むか?」

「大丈夫です」

「グラシアノ。アイス・ドラゴンを一瞬でも操れるのなら一人で低層階にいけるんじゃないか? なんなら俺がなるべく送り届けよう。ソルも構わないだろう?」

「んー? ぶっちゃけると研究対象としては興味深いが優先すべきはダンジョン攻略だからな。グラシアノがそうしたいっていうならそうしてもいい。ボスと戦わずに逃げるだけならある程度は下れるだろ」

「でも……」

「ちょうど今日明日は休みだ。うまくやれば20階層くらいまで降りられるかもしれん。そこまで降りりゃソロでも生きてけるだろ。食いもんがある階層もある。どうしたい?」

「えっと」


 低層階ならグラシアノでも生き残るのは難しくはないだろう。グラシアノはそもそも魔族だ。デフォルトでそれなりには強い。

 冒険者に遭遇しても低層の冒険者ならならそれほど強くはないし、フードを被っていればすぐに魔族と気付かれることもないだろう。

 ここから先、モンスターはどんどん強くなる。危険性も増す。グラシアノが転移陣を使えない以上、低層に戻るにもより長い時間が必要で、実質的に不可能となる。

 それにこの不自然な状態が良いとは思わない。


「あの。一緒についていく。ついていってもいいのなら」

「そりゃかまわないぜ。戦力にもなるしな。けど戻るなら確かにここが最終地点になるだろう。いいのか?」

「行くとこないし、それに」

「それに?」

「僕はそこで1人で隠れて暮らすの? 下にいくと魔族がいる、んだよね、多分」


 単一種のモンスターしか生息しないモノダンジョンならさておき、このグローリーフィアと同様の様々な種類のモンスターが様々な地形で現れるダンジョンにおいては魔族が下層階に生息していることは多い。だからこのまま潜っていけば遭遇する可能性もあるかもしれない。

 それならば確かにずっと1人で浅い階層に暮らすより、同種族の仲間と暮らすほうがよいのかもしれない。

 けれども。


「お前な、言っとくがお前は一般的な魔族と大分違うぞ。だから魔族の集落なんかに行ったとしても溶け込めるかはわからねぇ」

「うん、でもずっと1人よりは、いいかな。それにみんなは一緒にいてくれるでしょう?」

「ふぅん。お前がいいなら俺は別にいい。アレクもそれでいいか」

「俺もグラシアノがいいならそれで……」

「おし、じゃあ話は終わりだ。同期する。座れ」

「うん」


 グラシアノは大人しくソルに背を向けてぺたりと床に座った。

 長めの艶やかな黒髪を首筋で2つに分けるとそこには加工の跡がある。

 グラシアノはソルに傀儡の魔道具を埋め込まれている。テイムではない。

 この魔道具はあらかじめ設定した事項のみ、対象を拘束するものらしい。だからプリセットされたいくつかの命令、例えば俺たちを攻撃しないといった予め定められた簡単なものに反しない限りは自由に行動することができる。けれどもいざという時には完全に支配下に置かれる。


 いざという時。それはグラシアノが敵になる、グラシアノが操られる、そんな様々な事象が想定されている。

 グラシアノを支配下に置けるのは事情を知っている俺とソルだけだ。けれども俺は魔法の素養があまりないから緊急時の機能を停止、つまりグラシアノが意識を失いその場で倒れる効果のある『STOP』という呪文だけを教えられている。

 マリオン嬢とジャスに秘密にしていることが酷く後ろめたい。反対するかもしれない。だからソルも秘密裏に、というよりは説明せずに行っている。


ー構造の担い手ゴヴニュに願う。理の糸を紐解き全てを明かせ。


 詠唱の終了と同時にソルの手がふわりと金色に光ってグラシアノの首筋に触れる。そうするとその光はグラシアノの全身に薄く広がった。

 しばらくするとグラシアノは二度ほどぱちぱちと瞬きして金色に変化した瞳を開けてゆっくりと立ち上がりソルと向き合う。


「どうだ?」

「うーん、わかんね。意味がわからん」

「マクゴリアーテも魔王なのか?」

「おそらくな。それでその要素がこの腰に移ったんだろうが……問題はこれがマクゴリアーテだけなのかってことだ」

「ちょっと待てソル、他にもいるのか? その、魔王、が」


 ソルとグラシアノは同時に俺を向いた。

 今グラシアノの意識はその内深くに沈み込み、傀儡の魔術具に封入されたソルの意識の一部がグラシアノの体を動かしている。


「グラシアノとマクゴリアーテの本質は極めて似通っている。だからグラシアノが魔王だというのならマクゴリアーノも魔王だ。そんで他にも、少なくとも同じようなのが2人いる」

「2人?」

「ああ。グラシアノとマクゴリアーテの間に少なくとも1、マクゴリアーテの先に少なくとも1が繋がっている。グラシアノがマクゴリアーテの力を上手く使えないのはその間の何かが情報を断絶しているからかもしれん。そうか、純粋に熟練度が足りないのかもしれん」

「あるいはその複合、か」

「そうだな。じゃぁ調子を試そう」

「まて2人共。31階層は未踏だ」

「近くなら平気だろ。確か平原だから見通しもいいはずだ」


 31階層。

 ギルドの情報通りなら広大な草原が広がる『百獣の平原』。

 ソルとグラシアノが揃って転移陣の扉を開く。その途端、柔らかな風と草の香りが吹き込んでくる。見渡す限りのなだらかな平原に1メートルほどの丈の高い緑の草が生い茂り、薄青色の爽やかな空の青と世界の色を二分していた。再びざわりと強い風が吹いて草をざざりと揺らす。

 その中に少しだけ足を踏み入れる。

 転移陣の中にいればモンスターは襲ってこないが一歩足を踏み出せば襲いかかってくる。


「うわぁこれめんどくさいな。でかけれりゃ見分けがつくだろうが小さいのがゆっくり近づいてきたらわかんね」

「15階層と同じように俺の魔法で焼き払おうか?」

「うーん、ここのモンスターって集まってくるんだろ? 燃やしたらやばくね?」

「そうだなぁ。お。ちょうど良く鳥が飛んでくるな。やってみろ。近づきすぎれば撤退しよう」

「オッケー。10メートルって言ってたよな」


 グラシアノのソルがふぅ、と息を吐く。

 集中している。半裸の体の黒い文様から薄っすらと闇がにじみ出て体の表面に広がっていく。故郷で魔族が魔法を使う時には同じように体に闇を纏っていた。

 見上げると猛禽類のような鳥型モンスター。他の階層でもよく見るタイプ。それが少し先の青空をわずかに蛇行しながら滑空し、そのままスピードを上げて突っ込んでくる。

 早い。10メートルなんてあっという間だ。

 ソルが呪文を唱えると俺たちとモンスターとの間の空間が僅かに歪み、そいつは吹っ飛ぶように横に流された。風の呪文で飛行を妨害したのだろう。けれのもモンスターはバランスをとって先程よりは少し遅い速度で再びこちらに向かってくる。大幅に速度が落ちる様子はない。


「だめだ」

「撤退」


 同時に響くグラシアノとソルの声に速やかに転移陣の内側に退却すると、モンスターはこちらには興味を失ったかのように優雅に飛び去っていった。


「やはり同じか」

「そうだな。俺じゃ使えない。でも10メートル以内に入ったものなら干渉できそうな感じはした」

「そうするとやはりこのグラシアノ固有のユニークスキルあるいは魔王の特性としてのスキル、そうか間にある1の断絶」

「その断絶っていうのは何なんだ?」

「うーん、説明し難いな。とにかく何か線が途中で切れている気がする」

「とりあえず戻すぞ」


 グラシアノは再びソルに背を向けて座りソルが首筋に手を当てて呪文を唱える。

 するとガタとグラシアノが揺れて、再び目を開けた時にはもとの瞳の色に戻っていた。


「あの」

「問題ない、が聞きたいことがある。お前の仲間は他に何人かいるのか」

「……わかりません。でもそうかもしれない」

「そいつはどこにいる?」

「それも全然わからない。いえ、同じ階層にいればわかるんだけど」

「では今後気配があったら教えろ」

「今後……、あの、これまでの階層にもいる、のかもしれない」

「何故だ? 感覚があったのか?」

「ううん、ないけど封印されている時だと思うからいてもわからない」


 細い尻尾の先をいじりながら思い出すように呟く。

 これまでの階。グラシアノの封印をやめたのは29階層。

 グラシアノがいたのが26階層で、その間とすれば27階層か28階層。


「あのね、僕と魔王は繋がっていた、気がするんだ。その線はなんとなく一本で、僕が端っこで間にマクゴリアーテがいて。でも僕とマクゴリアーテの間が抜けている気がする。よくはわからないけど」

「ふぅん。じゃあその間の奴を探しに行くつもりはあるか。また『かわいそう』な状態になっているかもしれない」

「『かわいそう……』」


 ソルはその間を埋めたいのだろうか。けれども何のために。

 グラシアノは俺たちに攻撃ができない。ソルにとってはそれは確定的になったのだろう。だから攻略に役立てることを考えている。

 けれどもグラシアノは転位陣を使えない。31階層に戻るには再びアイス・ドラゴンを撃破しなければならない。この3人で。


「まて。戻るとして俺とソルの2人じゃアイスドラゴンは倒せない。現実的じゃない」

「ああ。だから賭けだ。アイス・ドラゴンを1秒操って引きずり下ろして追加で10秒止められるのなら、その間にアレクが首をはねて殺せる、と思う。それに間のやつを回収してグラシアノが強化されればより長期に操れる可能性がある」


 あのアイス・ドラゴンを?

 冷静に考える。そんなことができるのかどうか。俺の剣はアイス・ドラゴンの首を飛ばせる。

 アイス・ドラゴンの問題はその視認性と飛翔だ。グラシアノはアイス・ドラゴンの場所がわかる。近接した時に動きを操り地面に倒す。フレイム・ドラゴンもそうだったが引きずり下ろしさえすれば新しくアレグリット商会で作った剣で倒せるだろう。それに29階層以上のモンスターなら、動きを止められるのであれば俺とソルで突破できなくもない。

 最初に踏破したときより熟練度も着実に上っている。


「あの、戻ってこれるの?」

「おそらくな」

「それじゃあ僕、間の誰かに会いたい」

予告的お知らせ:9章最終話(68話目)の後、半月から1ヶ月ほど休載予定です。ご了承下さい。

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