さりとて私は籠の鳥
「ジャスティン、通路の左奥にポイズンフロッグが三体います」
「了解しました。マリオン様、バフをお願いします」
「もちろんです」
ー『泥濘とカミツレ』の魔女の名において、ジャスティン・バウフマンに疾風と風羽を与えよ。
ー『泥濘とカミツレ』の魔女の名において、闇に沈む不知者をその沼深くに沈めたまえ。
「マリオン様、行ってまいります」
じめじめと湿った幅3メートルほどのレンガ張りの通路の奥で、私のデバフに呼応したように微かにグエェという音が響いた。
ジャスティンはわずかに頷くと音も立てず、かまいたちのようにその暗闇に飛び込む。
バフ・デバフというものはパッと見ではその効果が実感できない。けれどもジャスティンはいつも、確かに発動しています、と言う。
それを示すかのようにベファという大きな空気袋を踏み抜いたような気の抜けた気持ちの悪い音が通路の奥から聞こえた。
戦闘自体において、私は役に立たない。ただジャスティンが敵を殲滅するのを待っているだけ。寧ろ危険だからいつも隠れているようにと言われる。
けれども少しだけ心配になってその角から覗き込む。そうすると10メートルほど先で2メートルもあろうかという山が床面に倒れ伏している。それがダンジョン壁面に点々と設置されているか細いライトに浮かび上がる。
僅かに煌めく刃が見えた。デバフにもがくカエルの死角からジャスティンが影のように忍び寄り、瞬く間にシミターを一閃して飛び離れ、最後のカエルの背後に回りこんで首を断つ。
あっという間の早業。
ジャスティンは忍者のようにポイズンフロッグを始末した。終わりました、という声とともにジャスティンが振り返るまで30秒もかかっていない。
後は周囲を警戒しながら素材を剥ぐだけ。毒ガエルの毒腺と皮膜はそれなりの値段になるし毒防御の素材となる。ダンジョンという場所の危険性を考えるとまとめてマジックバックに放り込んで後で解体するほうがいいのかもしれない。けれども新鮮なうちに毒を抜いて置かなければ被膜や体中に毒が回ってしまう。
幸いにも私は感知系の魔法も使える。だからモンスターが近づいてこないか様子を見計らいつつ、可能な限り効率的に素材を剥ぎ取ることができる。うまく処理された素材は破格の値がつくことも多いから、可能な限りその場で処理したい。
記憶を取り戻した日の夜から、私は毎晩、ジャスティンと二人でダンジョンに潜った。
夕方の私の食事が終われば私は部屋に閉じこもる。そこから短く仮眠して、ジャスティンの業務が終わる夜半に王宮を抜け出す。ジャスティンは私の従者だ。城も詳しく、抜け道を知っていた。
ジャスティンとのダンジョン探索、それは新鮮だった。
これまで、今世でパーティを組んでいたアレクとソルは、出会った最初から殲滅力がとても高かった。とても強い。だから私はバフ・デバフをかけるだけで後衛に引きこもり、安心して戦闘の全てを任せていた。けれどもジャスティンはもともと従者で戦闘職ではない。だから最初は本当に戦えるのか二人で不安になって、スライムを倒すのですら慎重に慎重を重ねるほどだった。
けれども今はりっぱなシーフ兼前衛職として戦っている。
一緒に戦う中で、ジャスティンの特性がわかってきた。
防御は極めて薄い。けれどもその攻撃は鋭く、動きは素早い。そしてとても注意深い。だから安全マージンをきっちり取れば一定のレベル帯では無敵に近くなる。今いるこの階層でもすでに、油断さえしなければ無敵に近いだろう。
その強さの発露と萌芽は予想以上で、ひょっとしたら将来はゲームで言う所のアサシンや忍者にもなれるかも知れないほど。
「マリオン様、2匹の解体が終わりました」
「私ももう少しで終わるから休憩していて」
「ありがとうございます。探索を続けるのであれば、先を確認してきたいと思うのですが」
「そう……ええとこの通路を50メートルほど行った所に少し広そうな空間があるみたい。その空間の入口付近まではモンスターはいなさそうだから様子を探ってもらえると嬉しい。私もすぐに行きます」
「わかりました。では」
ジャスティンはそう言って、また風のように姿を消した。
ダンジョンの明かりはとても小さく薄暗い。そしてジャスティンが向かった先は、その明かりすらなかった。通路の先は真っ暗だけれど、ジャスティンは夜目が効くから問題ないという。
けれども残された私にとってジャスティンがいないことは別の意味を持つ。たった独りでこのくらい通路にいる。そう思うとふと、寂しさが訪れた。恐ろしさというよりは心細さ。これまでダンジョンに潜る時は頼もしいアレクとソル、それから無駄に賑やかなウォルターがいた。
この深いダンジョンの中に1人。周囲にモンスターがいないと頭ではわかっていても、心細い。けれども文句は言っていられない。
これは私が私の運命を打ち破るために選んだ道なんだから。
探知を継続しながら黙々と素材を剥ぎ、ようやく終わって道具と素材をしまって立ち上がる。
ふぅ。
そばに置いたカンテラを掲げる。
モンスターや罠は何もない、ことは頭ではわかっている。
けれども闇の中をただ一人で恐る恐る進む。ゆらゆらとカンテラの光を反射してできる影の隙間は、頭の中に反して恐ろしさがじわじわと滲み出す。こんなにも真っ暗な世界は私の前世では既に存在しない。闇に潜む様々な伝承。前世を思い出したからこそ記憶に引きずられて更に恐怖が沸き立つ。
けれどもこの道の先ではジャスティンが待っている。
きっといつも通りに姿勢よく立って私を待ってくれている。そう思って私は一歩一歩を踏みしめ、やがてその空間の入り口にたどり着いて息を飲んだ。
そこはおそらく半径30メートルほどの巨大な空洞で天井一面に星空が広がっていた。
飛沫のように散らばるたくさんの白い点。
「お待ちしておりました。ここは素晴らしいですね」
「ええ、何かしらここ。空なんて見えるはずがないのに」
そう、ここはダンジョンの地下6階層。土の下のさらに下。だから星空なんて見えるはずがない。
ジャスティンは私の手からカンテラをとってふっとその光を吹き消す。
「あ、ちょっとジャスティン」
「ほら、こうするととても綺麗です。まるで故郷でマリオン様と一緒に見た星空みたいです」
そして改めて見上げると、光の点は数倍にも膨れ上がり、筋や雲を描いている。その天井は確かに星空にも等しかった。瞬きをしないことを除いて。
そうだ、ここはダンジョンの第6階層。そこにたまに現れるという『星空の岩場』に違いない。そこはヒカリゴケが星のように瞬く場所だと設定資料集に書いてあった。
ソルを攻略する時にはここでイベントが発生するからモニタ上では何度も見たことのある光景。けれども実際に見ると想像を遥かに凌駕する。
とどこまでも広がるその冷たく動かない瞬きは、私が想像していたものとは次元の異なる美しさ。
ふと壁や足元をみると、天井だけではなくあちらこちらから淡い光がぽうと漏れて私たちを照り返していた。まるで星空の中で浮かんでいるよう。その光景はとても幻想的で、そして小さい頃に屋敷を抜け出して一緒に見た星空が記憶の底から浮かび上がってきた。
こんなにたくさんの光ではなかったけれど。
それで私はその星空に気を取られた。そして少しだけ足を踏み外してよろけたところを素早くジャスティンが抱きとめる。その腕は懐かしくてとても暖かい。だから私はジャスティンからカンテラを奪い返して火をつけた。
私が一人でも立って歩けるように。
強いオレンジ色の光にジャスティンの少し残念そうな表情が浮かぶ。
ごめんなさい。でもこうするしかない。
「ヒカリゴケはいい素材になるわ。残りの時間はここで採取しましょう」
「わかりました」
二人で小さなため息を付いて、カンテラを大きめの岩の上に置いて採取を開始した。
◇
「マリー、今日も調子が悪い?」
「ウィル、ごめんなさい。まだ目眩がするの」
「ちゃんとゆっくりしないとダメだよ。そうだ、今度美味しい果物を持ってくるから楽しみに待っていて」
「ありがとうございます」
『そのままくたばればいいのに』
ウォルター付きの護衛が私にだけ聞こえる角度でそう呟く。従者として控えるジャスティンが口を開こうとするのをそっと止める。護衛はジャスティンの今にも噛みつきそうな表情を見て『おお怖』と面白そうに呟いた。
ジャスティンは今ダンジョンで鍛えているとしても、護衛と従者では強さの違いは圧倒的。争ってもジャスティンが怪我をするだけだ。今はまだ。
それに婚約者であるはずの第一王子の護衛と争っても何の特にもなりはしない。
そもそもこの護衛の反応は間違ってはいないのだ。
私の家は男爵家。貴族は王族の下に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続いて平民に至る。つまり男爵家というのは貴族と平民のその間の地位なのだ。
だから私はもともと王子、それも第一王子と結婚できる立場にはない。だからこの扱いは当然のことなのだ。私が死ねばまともな身分の王太子妃を国内外から募ることができるんだから。
つまり私こそがこの王宮の異物で、排除されるべき存在。けれども私はこのマリーの部屋に閉じ込められている。誰も望まない、来るべき結婚式を迎えるために。
まあ、この後に及んでは結局王宮の外に出ても針の筵なのは変わらない。そう考えると閉じこもれる王宮の中のほうがだいぶんまし。ほうと息をつく。
結婚式での冷たい視線もよく考えたら当然のこと。平民に毛の生えたくらいの低位貴族のくせにと国中から蔑まれている。そんな私の味方は実家からついてきてくれた従者のジャスティンだけだった。
「マリオン様も倒れたくて倒れたわけじゃありません。緊張だってしますよね、王子との結婚式なんですから」
『王子』と発音する時だけ、ジャスティンはその声に微妙な感情を混ぜる。
ジャスティンは私の幼馴染。私より2歳年上。ジャスティンの両親は私の両親の従者をしている。男爵領の実家はそれほど大きくない。だから貴族と従者といっても一緒に食事を囲むことだってあるし小さい頃はまるで兄妹のように過ごしてきた。
それでこの王都に来てからは、私が何故かずっとウォルターを好きだった事も知ってたはずだ。
ごめん、ジャスティン。私、ウォルターはむしろ嫌い。
けれどもそういう思いを伝えるにはジャスティンとの関係はなんだか微妙すぎた。
「でもまあ、これももうしばらくの辛抱です。マリオン様が魔王を倒されれば祝福されるに違いません」
「そうね。早く魔王を倒さなければ」
「だから今は少しでもお眠りになって体調を回復させてください」
少し寂しそうに笑うジャスティンにとても申し訳なく思う。
ジャスティンは変わらない私の表情にわずかにうなずいて、失礼します、と告げて分厚いオークウッドの扉の向こうに戻っていった。
私とジャスティンの関係は主人と従者。ジャスティンは従者だから来客や手紙の取次がその役目。静かになった部屋には私一人。そう、私はこの王宮にいる間は大抵一人きり。寝ているか、さもないと窓から街を見下ろして過ごしている。
ちょうど遠くに広がる小麦畑はその収穫をあらかた終えて、きれいな黄金色から黄土色に減色していた。その色褪せた感じが私の今の環境によく似ていると感じる。
けれどもそのうち秋が過ぎて冬も去ると若草色に輝く祝福された春が訪れる、はず。
その時に備えて、そのために私は魔王を目指すんだ。
ふかふかのベッドに横たわる。
目を閉じればジャスティンの姿が浮かんだ。
短い深緑の襟足に少し濃い青の瞳。昼間は従者服を身にまとっている。『幻想迷宮グローリーフィア』では安心できるお兄さん的キャラ。すらっと背が高くてそれなりに格好いいけれどもあまり特色がない。
ジャスティンもようは緩衝材キャラだ。ウォルターよりもポイントは低いけど。