マクゴリアーテの最後
「何もないぞ」
「ええと、その、あのあたり」
マクゴリアーテの住処は氷原の小さな洞窟。そう思ってみると、少し先に雪に覆われた地面が僅かに盛り上がっていた。
「マリオン様、モンスターの気配は感じません」
「あの、気のせいだと思います、多分」
「いや。妙な匂いがする」
ソルが鼻をひくつかせる。
小さく何かを呟いたソルの周りに複数の炎が現れて雪面に散らばった。炎はじわじわと雪を溶かし、次第にぽっかりと洞窟の入り口が現れる。
「隠し通路か?」
隠し?
確かに『幻想迷宮グローリーフィア』では隠された場所はたくさんあるけどマクゴリアーテの祠は特に隠されてはいなかったはず。
おそるおそるその岩肌の迫る通路を進みながらその印象の違いに混乱する。
『幻想迷宮グローリーフィア』のマクゴリアーテの祠では、洞窟入口からたくさんの可愛らしい人形が楽しそうに歩き回り飛び回っていて、まるでお祭りのようだった。けれども今の洞窟の中はすっかり冷え込み、随分長い間誰も使っていないように見えた。クリスマスの後に全ての幸せが失われてしまったかのような寂しさ。
行き止まりにたどり着く。
なんだかごちゃごちゃしていたけども全てが茶色と灰色でくすんでいて、そしてやっぱり何も動いていなかった。埃っぽく、大小の蜘蛛が色々なところに巣を張っている。
マクゴリアーテは誰かに倒されてしまったのか、それともここを出ていったのか。
「何だここは。どこかのパーティが拠点にでもしていたのか?」
「あの、調べてもいい?」
「罠があるかもしれない。ジャス、代わりに調べろ。お前が一番適任だろ」
「わかりました。グラシアノ、どこが気になる?」
「ええと、あのあたり」
ジャスティンがグラシアノの頭をひとなでして、廃材や色々なものが置かれた奥に進む。
『幻想迷宮グローリーフィア』ではここに罠は設置されていなかったはず。というよりたくさんの可愛い人形が洞窟の奥底に冒険者を引き摺り込むという、洞窟全体を利用した罠だったはず。
けれどもここにはカラフルな人形の一体もいない。
ジャスティンが進んで手前のものから片付けていると、唐突にその動きが止まり、そろそろとそのまま後ずさる。
「何かあったのか」
「頭部のようなものがありました。材質は木。敵意はなさそうですが危険性はわかりません」
『騒がしいな……』
その木片を擦り合わせるような声に合わせてジャスティンとソルが戦闘態勢を取り、アレクが私の前まで下がる。それによって動いた風が洞窟内を照らすソルの炎を揺らし、八方に伸びる私たちの影を震わせる。
「誰だ。そこで何をしている」
『私か。私は……マクゴリアーテという。何をしているかだって? 壊れているんだよ』
自嘲するかのような暗い声が響いた。
「壊れている?」
『あぁ。壊れたままだ。私は気がついたらこの洞窟にいた。そして間も無く外からモンスターが現れて襲われた。5頭ほどの氷狼の群れだ。手も足も出なくてね。それからはずっとこのざまさ』
氷狼?
マクゴリアーテ自体の強さはそこまででもない。けれどもたくさんの人形はどうしたの?
「なぜ襲われたのに生きている」
『それは氷狼に聞いて欲しいが……そうだな。単純に動けなくなったから興味を失ったんじゃないか? 私は木で出来ているから食べられもしない。動いていたから襲って、動かなくなったから放置したんじゃないか』
ざりざりと、諦念のこもった声音だ。
本当に『魔王の歓喜』マクゴリアーテ? なんだか酷く違和感がある。ゲームの中のマクゴリアーテはクリスマスのサンタのような派手な衣装に身を包んだ陽気なキャラだった。
「ソル、周辺には壊れた木人形のパーツが散らばっていました。頭部と同じように多少の埃を被って蜘蛛の巣がかかっています。通常のゴーレムであれば再生するはずですがその様子もありません」
『再生か。そういえば壊れたままだな。なぁ、ここで会ったが何かの縁だ。せっかくだからきっちり壊していってくれないか』
「壊すだと?」
『ああ。氷狼が立ち去ってからずいぶん経った気がするが、ここに来たのはお前らが初めてだ。もう誰も来ないかもしれない。真っ暗な中でずっと暇なんだよ、本当に』
氷のような重く湿った呟き。積み重なった絶望を滲ませる乾いた声音。
暇。
マクゴリアーテはどのくらいここにいるんだろう。洞窟は雪で埋まっていた。この階層はずっと冬で、雪は溶けることはない。
雪の上の僅かな隆起。そんなものは風と共にできあがり、風と共に失われる。わざわざそこを掘り返そうという者はいないだろう。
そうするとマクゴリアーテはずっとこのまま。真っ暗闇で冷たいここに。それはなんだか、ゲームの中の楽しそうなマクゴリアーテを知っている分、酷く、寂しい。
「断る」
『そうか、残念だ』
「あの」
「何だ、グラシアノ」
「かわいそう」
「そうは言ってもな。罠の可能性が拭えない」
「でもみんなは僕を助けてくれた。罠かもしれなかったでしょう?」
「お前を助けた時は最初人間だと思ってたんだよ。 魔族と知っていれば助けなかったさ」
「あの、ソル。この人は多分僕と同じなんだ」
「へぇ」
そういえば最初に出会った時、グラシアノはたくさんの黒虫に襲われていた。その黒虫は魔族のグラシアノに死をもたらすほどでは無かったけれど、氷狼であればグラシアノは死んでいたかもしれない。
グラシアノもマクゴリアーテも何故モンスターに襲われるの? ゲームではそんな描写はなかったけれど。魔王なんだから、モンスターに襲われるなんて全く考えていなかった。そうでなければ中層に一人でいられるわけがない。
仕方がない、とソルが呟き、ジャスティンを伴って奥に向かう。しばらくしてソルは一つの頭部を無造作に掴んで戻ってきた。
それは確かにマクゴリアーテ。けれども艶やかな黒髪と端正な顔は汚れ、左の角は折れていた。魔王、それからグラシアノによく似た風貌。そしてゲームとは全く違う凍りつくような無表情。
『うん? お前は俺によく似てるな』
「そうだね」
『昔どこかで会ったような、そんな気がするな。どうも私はこの洞窟以前の記憶がない』
「そう。僕もそうだった」
『もし許されるなら、折角だからお前に壊してほしい。なにか縁があるような、それがいい結論のような、そんな気がする』
グラシアノは迷うように左右を眺める。
グラシアノがマクゴリアーテを撃破することがグラシアノの強化条件。けれどもグラシアノのような6歳くらいの子どもに見える存在に、意思のある無防備な者を殺させるのはなんだか酷く残酷なことのような気がする。
「グラシアノ、好きなようにしろ」
「……あの、どうしたら壊れるの?」
「ゴーレムは頭の中心にコアがある。それを破壊すれば動きが止まる」
グラシアノは護身用に持たされていたナイフを懐から抜き、決意したようにマクゴリアーテの額の真ん中に押し当てる。目があったのか、一瞬だけグラシアノに複雑な表情が浮かび、マクゴリアーテはそっと目を閉じた。
力が込められたナイフはそのままパキリと音を立ててその表面を割り、ずぶずぶと刃が中に沈んでいく。一定の深さに到達したところでマクゴリアーテの表面がパキリパキリと割れて木片が剥がれ落ち始める。きっとコアに達した。
『ありがとう。お礼に君にせめて祝福を』
「祝福?」
『どうかその行く末が楽しさで満ちますように』
「ありがとう。マクゴリアーテ」
崩壊を続けるマクゴリアーテがぱちぱちと瞬きをした。
「マクゴリアーテ? ……そうだ、私はマクゴリアーテだ。思い出した。……そうか、そういうことか。ふはは、面白い。……そして全てはもう遅い。では何もなし得なかった私の力をグラシアノに贈る。私を連れて行ってくれ」
「わかった」
グラシアノがそういうが早いかマクゴリアーテの崩壊は早まり、というよりはその素材が溶け落ちてその内部から光が現れ、チカチカと楽しそうな光はグラシアノを包んでパッと消えた。
アレクとジャスティンが止める間もない出来事。こんな演出だったっけ。やはり記憶とは全く違う。けれどもその光はゲームより眩しく、そして儚かった。
「グラシアノ、大丈夫ですか⁉︎」
「あの、大丈夫です、あれ?」
「どうした⁉︎」
「なんだか、眠くて」
「俺が見る」
ソルがグラシアノを座らせて脈を取ったり額に手を当てたりするうちに、グラシアノはジャスティンにもたれかかってくぅくぅと寝息をたて始めた。グラシアノが寝ているのを見るのは初めて。それはそうだろう、だって危険なダンジョンで寝るなんてことは状態異常をかけられた時くらいで、急いで起こすものだから。
日常。
魔族も私たちみたいに寝るんだ。当然と言えば当然。きっとグラシアノは毎日転移陣の隅っこで寝ているんだろう。あの暗くて薄暗い場所で。それは酷く不憫に思われる。前々から思っていたけど、その寝顔はなんだかやっぱりただの子供みたいだ。けれども私はグラシアノが魔王の欠片だということを知っている。でもその魔王の欠片というのが何なのか、厳密には知らない。
マクゴリアーテを吸収したグラシアノはおそらく少し成長するだろう。今は体が大きくなる準備をしているの?
魔族? 魔王? それともただの子供?
「グラシアノは大丈夫なのかしら?」
「体に異常はなさそうだが今日はここまでだな」
「そう。少しここを調べてもいいかな」
「ジャスと一緒なら」
奥を探す。
ゲームではマクゴリアーテを倒せばたくさんの財宝が見つかる、はずだ。けれども見回ってみたけれど、めぼしいものは何もなかった。本来入手できるはずの武器や防具、アイテム、そういったものは何の一つも。代わりに散らばる廃材。そして見つけてしまった作りかけの人形。
ひょっとしてゲームのあの賑やかな人形たちはマクゴリアーテが作って飾り付けたものなのだろうか。マクゴリアーテの小さな世界。マクゴリアーテはその世界の王様だった。けれどもマクゴリアーテは氷狼に襲われてあの華やかな世界を形作ることはできなかった。
『何もなし得なかった』
その言葉が重い。マクゴリアーテがなしたかったことって何だろう。みんな生きている。人間もモンスターも魔族も。この世界で。
ゲームで定められた人生を? それともそれは自分がしたいこと? それとも、定め?
マクゴリアーテは私の知っているマクゴリアーテと全く違っていた。けれども最後に少しだけ、ゲームのマクゴリアーテと同じ雰囲気を感じた。『思い出した』。何を? 何を思い出したというの? ゲームの設定を?
そしてゲームに飲み込まれた、のだろうか。
グラシアノの主観ではグラシアノの意識が生まれたのは私たちがフレイム・ドラゴンを突破した時。
だからグラシアノもマクゴリアーテも、ポップしたのはおそらくエンディング後の世界線。
どうしてグラシアノやマクゴリアーテはモンスターに襲われるのだろう。私がエンディングを拒否してしまったから? バグを引き起こしたから?
そうすると、私は何なんだろう。
最初に違和感を感じたのはセバスチアンだ。
セバスチアンは私たちがフレイム・ドラゴンを突破した時にクエストを出した。
けれども私たちよりも早くフレイム・ドラゴンを倒したパーティはいる。ウォルターのパーティも他の貴族家も。けれどもクエストは私がフレイム・ドラゴンを倒した時に出た。
偶然かもしれない、そう思った。
けれども他にもいくつか同様の事があった。全てが同じかはわからないけれど、私の行動に連動して世界が動いている節がある。
その前提が同じなら、きっとこれからも同じ事が起こるだろう。
ポップ。イベント進行。
どうして私が行動すると突然色々な物事が起こるの?
わからない。ひょっとしたらここはやはりゲームの中で、私が、私がそのゲームの主人公だから?
でもその前提を突き詰めると私たち自身ですらこのゲームの開始時にポップしたのではという疑問が湧く。そしてそれ以前の記憶をプリントされている、可能性。
そう思うのは、私の今世の記憶は未だにぼんやりしているからだ。思い出そうと意識しなければ過去の出来事は思い出せない。
よくわからない。
私は何なのだろう。みんなは、何?
そしてこの世界は。
なんとなくそのヒントはアレグリットにあるような気がしてきた。
ゲームには存在せず、エンディングのはずの1年が経過した後に現れてこの世界に変革を与えている人。




