氷原の階層
30階層は氷原が広がっている。
この氷の獄のフィールドはフレイム・ドラゴンの炎の獄に比べても、岩場などの遮るものが全くなく、そして視界は舞い散る氷雪で不明瞭だ。気温は常に氷点下。身を切るような風と氷の破片が襲い来るフィールド。ソルの防風防寒の魔法が常に私たちの周りを漂ってい、そうでなければ私たちの歩みはもっと遅かったことだろう。
このフィールドはひたすら白が広がっているように見えるけれども、その隙間には多くのモンスターが隠れている。
けれども私の探知があれば敵との位置関係はわかる。だから奇襲は警戒しなくて良い。ただし接敵はわかっても、近づくまで視覚で捉えるのが難しい。だからまず私が敵を見つけるとジャスティンがカラーボールを投げつける。ジャスティンの投擲が外れることはない。血の滲むような鍛錬によって。
カラーボールは私が発案してパナケイア商店やギルドに卸している商品。原理は単純で、コトクック鳥の卵の中身を抜いて代わりに水で溶いた染料と小さな鉱石を詰め込んで蝋で塞ぐ。コトクック鳥の卵はピンポン玉サイズの卵で、外からの衝撃には極めて強いけど内側から一定の衝撃を加えれば容易に割れる。ボールを投げればモンスターや物にぶつかった衝撃で中の石が殻にぶつかり破裂する。そしてその中の染料がモンスターにかかる算段。
カラーボールは前世では強盗対策で普通にあったものだけど、この世界には無かったもの。
アレグリット商会やカウフフェル商会を見て、ゲームには無かったものを開発できるということに気がついた。
擬態するモンスターの多いフィールドに潜る冒険者が購入していくらしく、それなりの売れ行きがあるそうだ。
30階層のボスはアイス・ドラゴン。
その魔力で猛吹雪を引き起こし、高高度から全てを凍りつかせるブレスを吐く。加えてその氷片は見るものの認識を阻害し、その白銀の姿を煌めきのうちに隠蔽する。
けれどもその所在については私かジャスティン、それからグラシアノが見つけだす事ができるし、一度カラーボールをぶつけることができれば、吹雪の中であってもその光沢を放つ極彩色を見つけることは容易だろう。
残る問題は2つ。
1つは環境対策。氷点下の凍てつく寒さと凍りつく風。不安定な足元とそれによる行動不全。だから私の術式装備を寒さ対策を主軸に構成した。断熱と防風。それから物理的には飛竜の爪を削ってブーツに設置し、スパイクを作った。視界対策としては風防とゴーグルを用意した。ゴーグルも氷雪が貯まらないよう表面を球形にするとか、アレグリット商会の職人と相談しながら作った。
当初権利関係は折半のはずだったけど、アレグリットの確保していた不凍スライムでコーティングして曇り止めをするアイデアと、その原材料のスライム供給を一任したことで1対2になっている。
そんな変なスライムはゲームの中でも聞いたことがないしギルドにも情報がなかった。けれどもそのスライムは生きたままゴーグル表面に張り付き、ゴーグル全面に付着する不純物を食べるのだ。
「あの、スライムを装備するのは危険ではないでしょうか。しかも顔に」
「あ゛? 嫌なら使わなきゃいい。お前らがなんとかしたいっつったんじゃねぇか」
「それはそうなのですが」
「コイツラは人を食ったりしねぇよ。手垢くらいは食うかも知らんがな。ほれ」
そういってアレグリットは無造作に不凍スライムの詰まった容器にバンと腕を突っ込んだ。あわてて止めようとするのをソルに遮られる。十五分ほど経過しても何事もないようで、スライムはふにふにと容器の中を漂っていた。そもそもあまり動かない。
「頭に使う装備だ。やはりテイムか何かしたほうがいい」
「んなもんしなくても大丈夫だっつの。まあしたけりゃすればいい」
「それから俺に1匹よこせ。自分で試す」
「かまわねぇよ、おら」
アレグリットは無造作にスライムを掴み一匹をソルに投げた。
この不凍スライムというものはソルも初めて見るようで、完全な新種らしい。ソルが少しだけ楽しそうな目をしながら懐から出したガラス容器に入れている。一体どこで捕まえているんだろう。新しいモンスターを発見した場合には報告義務があるはずなんだけど。
結局の所、自分たちが使う分はテイムした。商品化にあたっては、危険性を表示してテスターを募ることになった。
そんな感じでいつのまにかパナケイア商会とアレグリット商会は時々業務提携を行い、新しい装備や道具の開発をする関係になった。
そしてアレグリットは魔王そっくりで最初は随分戸惑ったけれど、話すうちに魔王には似ても似つかないことを理解した。なんというかアレグリットはガサツで口が悪い。なんだか昔の友人を思い出して軽口を叩いていると、ソルが不機嫌な顔をする。
なんだか妙な関係。けれども私はアレグリットとの関係が心地よかった。
アレグリットというキャラはゲームには登場していない。そうすると純粋にこの世界の人間なのだろう。粗暴だけれども妙に憎めない人物。だからおそらく、ゲーム上存在するかも知れない設定や好感度というものには縛られていないはずだ。それなのに私に敵対的ではない。
アレグリットの態度は誰に対しても同じだったから、そもそも私に好意的といえるものではないだろうけれども、ともあれゲームのキャラではないというその一点で、私はとても安心していた。
この人はおそらくゲームが終わっても私に対する態度を変えないだろう。世界との間に『ゲーム』というよくわからないものが挟まっている私にとって、将来その『ゲーム』が取り払われた時に果たして何か残るのか、それはとても不安だったから。
それは別に恋愛とか友情とかそういったものとは全く無関係な、よくわからないなにかに歪められることなく私を純粋に1人の人間として扱う人間、という存在に安心感を感じていた。
そんな経緯で環境対策はある程度整った。
残る課題は飛翔対策。
けれどもこれも目処は立っていた。術式を刻んだ大きな布を持ち歩く。ちょうど余剰人員となるウォルターが持ち運んでくれる。
これを地面に設置して、そこにアイス・ドラゴンを誘い込む。フレイム・ドラゴンのときと同じだ。全力でデバフを打ち込んで、もし私が動けなくなっても、ウォルターとグラシアノに安全地点まで運んでもらう。不安要因が生じればそれぞれが警笛を鳴らし、どんな状態でも、たとえアイス・ドラゴンを倒した後であっても撤退する。
これであればおそらく最小限の被害でアイス・ドラゴンに勝てるはず。博打は打ってはいないはず。
けれどもここにもう1つ加えたい。
この階層にはマコグリアーテがいる。魔王そっくりの男性の姿をした木人形でグラシアノと同じ魔王の欠片。本当は28階層にも欠片がいるのだけれど、グラシアノが何も気が付かなかったからスルーした。28階層の欠片はあの時点で戦うには危険すぎるし、おそらくグラシアノの強化条件が達成できない。
けれどもグラシアノは今、ある方向を気にしている。おそらく魔力が働き、マクゴリアーテを感知しているのだろう。自分と同じ魔王の欠片を。
だから今ならイベントが回収できる、かもしれない。
「グラシアノ、どうかした?」
「あの、何でもないです」
「でもさっきからあっちを気にしてるでしょう?」
「その、あっちからちょっと変な感じがするだけで」
「あっち? 何もないように見えるが」
「ふぅん? 気になるなら行ってみっか。不測の事態はなるべく避けたい」
「あの、でも危険という感じでも」
「それは俺らが判断する」
『幻想迷宮グローリーフィア』ではグラシアノがパーティに加入している場合、マクゴリアーテとは戦闘になる。魔王同士は相入れない。戦闘になってマクゴリアーテを撃破すればその有していた力がグラシアノのものになる。これはそういうイベント。
グラシアノと出会っていなければマクゴリアーテが仲間になることもある。
魔王の欠片は集めれば集めるほど強くなる。そして最終的に1番強くなる欠片はグラシアノだ。
マクゴリアーテは木でできた人形の姿をしていて、そのおもちゃの国のような洞窟で大小様々なたくさんの人形と暮らしている。そして戦闘になると、それらの人形全てが鋭い牙を剥いて襲いかかってくる。けれどもその全ては木でできているが故に火に弱い。
私たちには全ての魔法を操る賢者のソルのがいる。だから私たちのパーティであればマクゴリアーテには勝てる。
そう思ってグラシアノの示す方向に向かった。けれども、そこには何もなかった。




