少しばかりの休日 3
「グラシアノ。いるか」
「あぁアレクと、ソル。こんにちは。ジャスとマリーは?」
「今日明日は攻略は無しだ。だが明後日からは潜る。その連絡に来た」
「そっか……」
グラシアノのその声は、寂しそうなようなほっとしたような、妙な音程で狭い部屋に響き渡る。
転移陣の間は暗い。だから隠れているのにはいい。けれどもずっとここにいるのは気が滅入るだろう。
けれども弟は、エシャグはこういう狭くて暗いところが好きだった。気がつけば狭いところに隠れてメイドが慌てて探していたのを思い出す。懐かしいな。誰かが探しにきてくれるのが嬉しいと言っていた。けれどもグラシアノのように1人で夜を過ごすのとはやはり違うだろう。
そのエシャグは魔族に殺された。俺は魔族の全てを憎んでいた、はずだ。グラシアノはその魔族だ。けれどもグラシアノと行動を共にして、グラシアノ自身を憎むべき敵と認識するのは次第に難しくなっていた。
いや、むしろ……。
「すぐに帰っちゃう?」
「いや、そうだな……ソル、どうする?」
「俺は素材を集めたい。転移陣近くなら2人でも問題ないだろう。アレク手伝え」
「そうか。じゃあ行こうか」
グラシアノはソルに大人しく両手を差し出し、ソルはいつもどおり封印のブレスレットを懐から取り出す。
毎日の光景だが、心が痛むようになっていた。とても。俺の国の魔族が人間をさらう時によく手足を縛って飛び去っていたのを思い出す。グラシアノはその魔族のはずなのに。
「なぁソル。今日はマリオン嬢はいない。だから封印はなくてもいいんじゃないか?」
「うん?」
「俺もお前も十分強い。仮にグラシアノが俺たちを襲っても何の問題もない」
「僕は、そんなことしない、です」
「……わかった。そうだな。だが今日は俺たちは二人だ。お前を守る余裕はない。ついてくるなら自分の身は自分で守れ。そうでなければ転移陣に隠れていろ」
「……ついていきます」
29階層の扉を開けるとざらざらと湿った風が吹き込んだ。グラシアノが伸びをしている。やはりあの転移陣の間でずっと小さくなっているのは堪えるのだろう。
この階層は岩場という点では16階層のワイバーンの丘の荒れ地と似ているが、段違いに大きな岩山がいくつもそびえ立ち、深い影を形づくる岩場のフィールド。いつもどこか遠くからズズズとゴーレムが蠢く音がする。岩だと思ったらゴーレムだった、そんなことが頻発するフィールド。
マリオン嬢の探知やジャスの鋭い五感があれば何も問題はない。けれどもそれがなければ少しの陰影にも細心の注意を払わなければならない。それでも転移陣からすぐの場所は、だいたいの階層ではフィールドに慣れるのにちょうどいい程度、つまり難易度が少し低くなっている。
そういえばグラシアノはいつもはジャスの後ろに、そして戦闘が始まるとマリオン嬢の後ろに隠れていたな。
「ソル、何が欲しい?」
「んー。ゴーレムコア。マッドゴーレムのコアが欲しいんだ」
「マッド? 泥か。そんなゴーレムの報告はなかったと思うが」
ダンジョンを先行するパーティは新しいモンスターを発見した場合、国又はギルドに報告する義務がある。些少だが褒賞も出る。
各貴族家がダンジョン攻略を競っているが、それは潰し合っているのではない。最終的にその利益は国や領地に還元されるのだ。貴族家の消耗は国全体の消耗に繋がる。ただでさえダンジョンは危険で損耗が大きい。
だから財宝や資源の報告は義務とはなっていないが、モンスターの出現情報や特徴は報告が義務付けられている。
「そうそう、でもこれだけの種類のゴーレムがいるんだからマッドゴーレムもいる、はずなんだよなぁ。あれは可塑性があって色々な原料に使えるんだ」
「あの……多分あっちにいます」
グラシアノがおずおずと転移陣の裏の方を指差す。フィールドの中心から離れる方向。いつもはひたすら中心に向かって進んでいて外縁部に向かうことはなかった。
中心と外縁、このフィールドではその区別は容易だ。風景が違う。中心部に目を向けるほどフィールドはより複雑な岩塊で構成され、外縁を向けば次第に景色は平坦となり、一本の地平線にまとまる。その線がフィールド全域を囲っている。
その線が何なのか、唐突に世界を区切る壁なのか反対にどこまでも世界を繋げる地平線なのか、それはわからないが、流石のウィルでもわざわざ何もない方向に歩いていくことはなかった。
「なんでわかる?」
「その……なんとなくです。役に立ちたくて」
「なんで今まで言わなかった?」
「今初めて、なんとなくわかったので……。多分、今は封印されてないから、かも」
「ふうん? そうすると魔力で感知してるのか?」
「その……よくわかりません」
本当によくわからないのだろう。その声には困惑が満ちていた。
「ソル、ともあれそちらに行ってみよう。どうせ攻略のための探索じゃない。採掘だ。今までの方向にいなかったのなら反対側を見てみるのも悪くはない」
「そう、だな」
ソルはグラシアノに対していつも刺々しい。警戒している。
理由はわかる。グラシアノは魔族で、通常は敵だ。俺も魔族を皆殺しにするのに躊躇しないだろう。……エシャグの面影のあるグラシアノでなければ。けれどもソルは、そもそも誰に対しても敵対的だ。マリオン嬢に対する以外。
流石にダンジョン攻略の時だけは必要があるから俺やジャスを信用して背中を預けているが、それ以外には余所余所しい。基本的には無干渉だ。酔った時くらいしかその心を吐露することはない。それでも賢者にしては随分と人当たりがよく親切な部類と聞く。
そんなソルはマリオン嬢の前では更に人当たりがよくなる。やはり自分をよく見せたいというのがあるのだろうか。いや、それは当然のことだろう。ソルはマリオン嬢に求婚した。俺は、俺はどうしたらいいのだ。
俺はこのダンジョンを倒したらキヴェリアに戻る。俺にも国の立場がある。求婚するのであれば、マリオン嬢を国に連れて帰ることになる。けれども縁もゆかりもない国にいきなりついて来てくれと言っても難しいだろう。環境も大分異なる。それにマリオン嬢はこの国、エスターライヒで自ら店を始めた。求婚してもついてきてくれるとは思えない。そうするとやはり、俺がマリオン嬢を娶ることは無理なのだな。
そんなことを思いながらグラシアノの指差す方向に進むが、平坦な岩場が続くだけ、いや、進むにつれて地面が粘りを持ち始めた。
「あの、多分すぐ近くにいる、ような?」
「アレク、止まれ」
ソルは何かの呪文を口の中で唱えると、ざざりと背後から強い風が吹き、正面の荒れ地に積もる土や砂を吹き散らす。表面の砂礫が減少するにつれて、横たわる長大な人の形があらわになった。そしてその表面の偽装が剥がれたことに気づいた体長5メートルほどのゴーレムが、ゆっくりとその粘度の高そうな体を起こし始めた。
「確かにマッドゴーレムだ」
「いつもどおりでいいんだな」
「ああ。それからここの地面はぬかるんでいる。十分気をつけろ」
今日持ち込んだのはストルスロットに刃が立たなかった大剣。けれども普通のゴーレムであればその四肢を切りとばすには十分だ。その硬い関節部分に刃を打ち込めば破壊・分断する事ができる。そしてゴーレムは放っておけば元通りに寄り集まる性質がある。だからソルが切り飛ばした四肢を風で封じ、その間に頭部に埋め込まれたコアを取り出すか破壊する。それが対ゴーレム戦の基本だ。
大剣を構える。左から低く回り込んで突進する。ゴーレムは視座が高い。その懐に潜り込めばこちらの姿は視界から消える。懐に入った直後に地を蹴って右に回り込み、右足の膝裏に大剣を叩きつける。俺の動きに気づいた素振りはない。
けれども振り抜けるはずの刃は途中で止まった。
普通であれば破壊できたはず。けれどもインパクトの瞬間、違和感に気付いた。いつもと異なり押し込めるごとにその剣に加わる抵抗は強く、最終的に膝の半分ほどまで剣がめり込んだところで軌道が止まる。
何?
「一度下がれアレク!」
「しかし剣が、いや」
影が差したことに気づく。
見上げると巨大な拳。上空から振り下ろされるマッドゴーレムの左拳を避けて大きく後ろに飛ぶ。けれども足元。いつのまにか俺の足元はマッドゴーレムの作り出すぬかるみに浸されていた。その泥の塊のせいで思うほどの飛距離は稼げず、マッドゴーレムの拳は予想より至近距離でぬかるみに叩きつけられた。その飛沫が左半身に付着し体がズシリと重くなる。
再び振り上げられるゴーレムの左腕。その勢いでびしゃりと降りかかる泥土。
避けようと足に力を込めた瞬間、その粘度の高い土塊はすっかり絡みつき、左足が動かないことに気づく。泥から、抜けない。足を切り落とすにも今日は短剣を所持していない。大剣はゴーレムにめり込んだまま、引き抜くことも叶わない。
不味い。
そう思った瞬間、ゴーレムの胴体に向けて複数の火球ドドンと打ち込まれる。ソルの魔法だろう。けれど足りない。ゴーレムは揺れて僅かに仰け反り勢いを殺したが、その左拳は大量の泥の滴りとともに降り落ちてくる。
「耐えろアレク!」
体のすぐ近くをソルの巻き起こす強い風が逆巻き、ぼたぼた落ちる泥が硬化し、その中で身を縮める。
何本か骨はイカレるだろう。だがおそらく致命傷は避けられる。その程度であればソルが治す。
けれどその後、この泥から抜け出さなければ先がない。どうする。
やめて、というグラシアノの叫びを聞きながら衝撃を待つ。けれどもしばらくしても来なかった。
ガントレットのすき間から見上げると、マッドゴーレムはその左拳を俺の1メートルほど上で止め、不自然な形で固まっていた。
すかさずソルが飛び出しマッドゴーレムの至近から風の刃で首を切り落とし、頭を砕くとマッドゴーレムは崩壊を始め、漸く俺は荒い息を吐いた。危なかった。
俺を固める泥も次第に力を失い崩れ落ちていく。大剣を回収するころにはマッド・ゴーレムはただの泥の塊と化していた。
「すまない。俺の見込み違いだ。粘度を計算にいれていなかった。それからマリーのバフを計算に入れていた。すまない」
「いや、対応できない俺の力不足だ。ぬかるみに向ける注意が不足した」
「それからグラシアノ。お前は連れて行けない。信用できない」
「どうして。僕は邪魔は、してない、です。あの駄目なら、封印、してください」
「駄目だ」
直前に響いたやめてと言うグラシアノの声。不自然に動きを止めたゴーレム 。直接は見ていなかったが、ソルの反応からはおそらくグラシアノの声の直後にゴーレムが動きを止めたのだろう。
そこから導かれる帰結。
働かない頭を無理やり動かす。
動きを止められるのであれば、ある程度は思いのままに動かせるかもしれない。逆に襲わせることもできる可能性がある。俺はグラシアノの体格と母国での魔族の強さを照らし合わせて、グラシアノはそれほど強くないとあたりをつけていた。けれどもグラシアノが強力なモンスターを操れるのならばその前提が変わってくる。
……それであれば俺はソルに反対できない。
グラシアノに今は害意はなさそうだが、その不確定要素は俺が思っていたより大きすぎる。
……だが。
俺は先程大怪我を負うところだった。助けてもらった。
「ソル、封印では駄目なのか」
「こいつが本当のことを言っているのかわからない。実際はいつも使えるのかもしれない。それに封印が有効なのは俺が近くにいる時だけだ。転移陣に入った直後は安全が確保できない。あらかじめ転移陣の外のモンスターに遠距離攻撃を命じていれば安全はどうなる?」
「僕は何も、しない、です」
「できる可能性があるならそれは排除するべきだ。マリーを危険に晒せない。だからここでお別れだ」
グラシアノは狼狽える。
「しかしここで放り出すわけにはいかないだろう」
「連れて行くわけにはいかない」
「あの、僕をテイムしてもいい」
「グラシアノ⁉︎ テイムの意味がわかって言っているのか?」
テイムは奴隷化も同じだ。
モンスターはテイムされればテイマーの支配下に置かれる。だからテイマーの言うことに逆らえない。それが何であっても。死ねというものであってもだ。普通はそこまで命じないが、ソルは躊躇わないだろう。
俺の国でも多くの者が魔族の奴隷となり死ぬまで辛酸を舐めている。
俺は嫌だ。奴隷になるくらいなら。
「うん。でも他にどうしようも、ないんでしょう? 僕は多分みんなと一緒じゃないと生きていけないの」
「モンスターが操れるのなら安全だろう? 何故襲われるふりをしていた」
「ふりをしてたんじゃなくて、モンスターは本当に襲ってくるんだよ。それに動きを止められるとわかったのは今日なんだ。それも一瞬しか出来ないの、まだ。だから一人じゃ死んじゃう。それから思い出したんだ。みんながあの大きな目玉と戦っていた時に」
「何を思い出した」
「……僕が、魔王の一部だったこと。だからみんな、僕を殺すでしょう? だってみんな僕を殺すためにここに来てるんでしょう? だから多分僕が生きて行くためにはテイム、されるしかないのかなって……」
そう言って顔を上げたグラシアノの表情は酷く昏く沈んでいた。魔族に殺された時のエシャグのように。




