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少しばかりの休日 1

 朝、目が覚めた。

 外を見ると黒い雲が重く垂れ込めている。今日は雨が降るのかも知れない。身を起こすとすっかり気温は下がっていて、夜の間にしっとり湿った夜具が重く、少しだけ億劫だった。窓を見ると、既に太陽はそれなりに高く上がっている。おそらくいつもであれば冒険の支度を終えていたころだと思う。

 室内の動きを察知したのかノックが響く。


「ジャスティンです。おはようございます。お目覚めになられましたか」

「おはようございます。ちょっと待ってね、着替えるから」


 私たちが正式に冒険者を再開することができてからは、普通の冒険者と同じように朝からダンジョンに潜ることにしていた。それが普通。普通の冒険者の暮らし。

 私は今、宮殿からプローレス伯爵家の離れに居を移して、ジャスティンと2人で暮らしている。日中の私たちがいない時に伯爵家のメイドが掃除なんかはしてくれるけれど、基本的には2人暮らしだ。私の隣の部屋でジャスティンは起居している。

 けれどもこの世界ではそれは特におかしいことではない。ジャスティンは従者だから。女の主人に男の従者というのもおかしなことではない。いざという時に主人を守るには体格の点からも女性より男性の方が適任であることは、一般的に当然。そして男爵家という規模では従者が1人ということも全くおかしくない。普通はそこで何かが起こるだなんて想像すらしていない。


 そしてジャスティンもそう思っている。

 けれどもなんとなく、前世の価値観を引きずる私にとってはジャスティンとの関係にとても違和感があった。一緒に住むならそれは家族か恋人じゃないのかな。

 そして私とジャスティンの関係も少し通常とは異なっていた。

 行動は普通の従者と同じ。けれどもジャスティンの少しの行動の端々には、なんだか幸福感が溢れている。

 今も朝食を運んでお茶を入れるその指先に、そしてその足取りに、幸福のかけらが散らばっている。そしてそれは私と2人だけでいるときだけ。アレクやソル、他の人がいる時にはすっかり隠されているけれど、たった2人でいるときのジャスティンは静かに幸福そうだった。


 ジャスティンは私が好きだ。

 それはもう確信めいていた。けれどもその好きがどういうものかはよくはわからない。

 ジャスティンとの間にフラグを積んではいけない。けれども私もジャスティンも、実家を遠く離れてたった2人で王都に暮らしている。生活という面では他に頼れる人はいない。

 私の今世の記憶では、ジャスティンとは小さい頃は兄妹のように過ごしていた。大きくなってからは妙に距離を置かれていた。

 その記憶のせいなのかもしれないけれど、今のジャスティンは元の家族に戻ったような感じに思われた。やっぱりそれとは少し違うのかもしれないけれど。


「今日はどうされますか」

「そうね……。ダンジョンに潜らないとなると何をしていいのかよくわからないな」

「ふふ、マリオン様らしい」


 ジャスティンが開いた窓から冬の風が吹き込んできて、その柔らかい髪を揺らす。

 そして失礼します、と言って部屋を辞した。

 ジャスティンは従者だから、その仕事として私に食事を運んで、それが終わったからその仕事として隣の部屋に待機する。

 伯爵家が毎朝焼くパンを購入して、予め購入を依頼していたチーズとハムとバターを受け取り皿に並べて作られる簡単な朝食。それから私の好きなお茶。

 それで私の食事が終わった頃合いに、再びこの部屋にやってくる。


 ジャスティンは私が好きなのだろう。それは主従としてではない意味で。家族、それとも。

 家族としてならわかる。私の朧げな今世の記憶の中にもあるし、実際は兄妹のように暮らしていた時期もあった。けれどももしそれが恋愛感情というものなのだとしたら、それが生まれたのはイベントをこなしたから、なんだろうか。


 イベントによる補正というものは確かにあるんだろう。星空の岩を始めとしたダンジョン内で様々に発生するイベント。それを踏んだり踏まなかったり、イベント効果が発動したりしなかったり。

 ダンジョンは危険と隣合わせであるとともにとても不思議で幻想的な場所。それは時折、思いも寄らない形で現れ私たちを魅了する。

 それを一緒に目にして深まる絆。それはジャスティンだけじゃなくてアレクとソルの間もそうだった。


 用意された設定。用意されたイベント。用意された吊り橋効果。

 ジャスティンは幼馴染という設定上、アレクやソルより基礎好感度が高い。


 設定上。

 設定上、私を好き?

 みんなが私を好きなのは私が設定上の主人公だから。それは大きい。そうだと思う。

 ウォルターのラックが高いのと同じように、私には好感度補正のバフがかかっている、ようなもの。

 でもだから、みんなが私が好きなのか。イベントに沿って好感度を上げるから私が好きになるのか。よくわからない。

 その好感度っていうのは一定値が上昇する『設定』なのか、冒険の果てにある『共感』なのか。


 じゃあ私はアレクとソルが好きなのか。アレクとソルが好きなのは前世からで、けれども今の世界で見るアレクとソルは、私の認識していたものとはだいぶん違う気がする。その行動も、過去も。私が二人を好きだとしたら、それはどこからくる気持ちなの。


 それじゃあジャスティンが好きなのか。

 なんだかよくわからない。今世の私にとってジャスティンは幼馴染で、とても親しみやすい。けれどもこれも設定上の話? 設定上私はジャスティンに好意を抱いているのかな。この気持は私の気持ちなのか、それともそう定められているから沸き起こっているものなのか。

 そう考えると、なんだかとても気持ちが悪い。何かに心まで決められているようで。


 私の今世の記憶。それはなんだか曖昧だ。

 ラノベ設定にあるように今世の人格を前世の人格が塗りつぶしてしまった、のだろうか。

 今世の私と今の私に不連続性を感じない。

 最初は常識の違いを強く感じたけれど、私自身がその新しい常識に慣れてしまえば違和感はなくなった。

 今世の私は今の私。けれどもひょっとしたら、私の意識がここにあることで『今世の私』はどこかに閉じ込められたり葬り去られたり、しているのだろうか。

 そんな感じもしない。わからない。


 なんだかわからないことだらけ。

 けれどもこの柔らかく焼き上げられたパンをちぎった時に漂う小麦の香ばしい香りも、少し脂肪分の強いバターの酸味も、全て私が受容しているもの。


 そう思っているとまたノック。

 私は朝食を食べ終えた。いつもなら防具を身にまとって冒険に出かけるけれど、あいにく今は剣を作っているところ。

 ストルスロットは倒せなくても経験を積んでフィールドに慣れる。そんな選択肢もあった。

 けれどもそれは明日からにした。今日は一日休息をとって英気を養う。自由行動にしよう。

 昨日そう提案した。みんなはすぐに冒険に出かけられると言っていたけれど。


 だから今日は街に出かけよう。

 ダンジョン攻略も重要だけれども、やはり街の発展も重要だ。

 いずれにせよ、トゥルーエンドを迎えるためにはダンジョンを倒さないといけない。そのためにはやはり、王都を開発しなければならない。そのためには、王都の開発状況を把握しなければ。

 だから今日は街を探索するんだ、ダンジョンではなく。

 普通の服に着替えて。

 いつもの防具じゃなくて、最初に王都に来た時に来ていた平服を身にまとう。


「どちらから回れますか」

「そうね、まずはギルドに行ってみましょう」


 プローレス伯爵家は貴族街の中程にある。そこからこの石畳の坂道をたどりながらギルドのある商業地区へと抜けていく。ジャスティンは私の少し後ろを歩く。従者だから。

 少し前まで王宮から暗闇の中を往復していた静かな道は、昼の光の中では人とざわめきが溢れていた。もう10日ほどで一年の最後の日が訪れる。最後の日は静かに過ぎるのを待ち、翌日の朝に新しく太陽が再生することをみんなで祝うのだ。

 この世界の大晦日は地球と違って冬至の日。最も太陽の力が弱くなる日。ゲームの時間表記では当然のように年末年始があったけれど、それも地球時間とは違っていたのかな。説明書や設定資料集にはそんな記載はなかったと思うけど。


 そういえば今世では常識だと思っていたけれど前世では知らなかったことはたくさんある。

 一番の衝撃はご飯があんまり美味しくない。まあ、地球世界でも日本のご飯の美味しさは特級品というのだから比べるべくもないのだろうけれど。

 それから身分制度。前世では身分差別はよくないと思っていたけれども、それは身分が不要だからだ。この世界では人は簡単に死んでしまう。村ごと他国の軍や野党に焼かれたり、モンスターに襲われて全滅したりなんてざらな話。全てを超越できるほどの飛び抜けたスキルや能力でもない限り、個人単位で身を守るすべはない。

 だから庇護を求めて国に所属する。その対価として税や労役を負う。貴族はその税を用いて国を発展させている。


 だから、ジャスティンはやはり従者であって私の隣に並んだりはしない。飛び抜けた能力を持っていないのだから。

 男爵と言えども私は貴族令嬢。この世界で特別な地位や能力のない一般市民と結ばれることは、王族と結ばれるより難しいだろう。そんなことがいつのまにか常識として、私の中に染み込んでいた。

 ぽたりと何かが頭に落ちて、見上げると真っ暗な空からは小さな欠片がこぼれおちていた。唐突に黒い影で空が塞がれる。ジャスティンが私に傘をさした。そしてその傘に入るのは私だけ。これが私とジャスティンを隔てる見えない何か。ジャスティンは雪に降られながら、私の少し後ろを歩いている。

 だからその距離を埋めるために急ぎ足でギルドの扉を抜けると、そこは相変わらずざわざわと賑わっていた。

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