それぞれの見る世界
例えばこの世界は、とても壊れやすい柔らかなものの上に成り立っている。
とても大きなウエハースとか、金魚掬いのホイとか、そんなもの。
けれどもその上に立っている者にはそのことは気がつきにくい。ウエハースの上部はパリッとしていて自由に走り回ることができる。その裏側の底がぐずぐずに溶け崩れていることなんて気づきもしない。それほどのスケールの物事だ。
けれどもわからないからと言って放っておくのは悪手だ。そのまま表面まで壊れが到達して台座が崩壊して仕舞えば、そうなってしまった後にはもう手立てなどない。人々は放り出され、結局その方舟に乗るもの全てが溺れて死んでしまう。
だからそれがわかる者がなんらかの対処をしようとした。
そしてその者らは魔女と呼ばれた。魔女は自らで世界を形造り、事象を改変し、なんとか世界が崩壊しないように保っている。
私たちの乗る世界とは、そういった不確かなものである。
ー『世界の真理』より。
ふーん、と思いながら私はその本を放り投げた。世界の真理、ねぇ。
実際問題、世界のその裏が水浸しになっているのか真空クレーターになっているのか、そんなことは考えたって仕方がない。
そんなものは、そうだろう、とかそうあれかし、とか賢しらに述べられていても、結局のところ実際に行って見て確認できて初めてああそうなのか、と実感を伴うものなのだ。そうでなればピンとこないものなのさ。危機感なんて湧きもしないだろう。
普通の人間にとっちゃ知れたところでどうしようもないんだから。そのうち世界が崩壊する、だなんてね。
だから私はピコピコとゲームを再開するんだ。
何回やっても上手くいかないこのゲーム、『幻想迷宮グローリーフィア』を。
たまにはガチにプレイして、たまには適当にプレイして。けれどもいつまでたっても上手くいかない。全くあーぁ、だぜ。
とりあえずコタツの上のカゴからみかんを一つ拝借。
白い筋は綺麗にとる派だ。爪でちまちまむいて、つるつるのオレンジ色になったところをパクリと頂く。冬蜜柑は甘くて美味い。だいぶん目が疲れてきたからゴロリと布団に横たわる。
流石に何度もプレイしてると飽きてきた。
いくらやってもトゥルーエンドに辿り着かない。
トゥルー、真実、世界の真理。
そんなものが本当にあるのかもわからない。
はーぁ。ともあれ飽きた。違うゲームも進めよう。
私は並行していくつものゲームをやっている。他にも広がる複数のモニタに目をやる。
いくつかのゲームのデバッグは既に終えたのだけど、積んでるゲームはまだたくさんある。乙女ゲー以外も普通のRPGもシミュレーションもいろいろと。手元には10本あまりのゲームデータ。
このデバッグが私の仕事。
もともとゲームは好きなんだけどね。まあ昔はよく廃プレイヤーと言われていたものま。でもなんていうか同じのをやり続けてると流石にちょっと飽きちゃうの。
わかってもらえるかなこの気持ち。
そう。それで『幻想迷宮グローリーフィア』は特に面倒臭いのさ。やれることがありすぎる。総アタックなんて考えたくもないほどには。困ったなぁ、困ったねぇ。
そう思って違うゲームにほんの少しだけ目を話している間も、グローリーフィアのモニタは光り続けていた。
◇◇◇
わからないことが多すぎる。
ここのところ俺はずっとモニタを眺めていた。
CRには各階層を映すモニタがズラッと並んでいる。それぞれのチャンネルが各階層に設定されて、その階層の任意の地点を映し出すことができた。
何故どこでも映せるのか。これまで誰も疑問に思わなかったようだ。無論過去の俺も。
疑問に思ってしまったのだから調べよう。そう思って、まだ誰も冒険者が到達していない下層階にペットをいくつか放してみた。モニタは指定すれば特定のペットを追い続けることもできる。自動追尾機能があるわけだ。そして次の瞬間、別のペットに視点を切り替えることも可能だった。けれどもペット側からはカメラがどこにあるのかはわからない。
流石にヘイグリットレベルになるとモニタに映した時点で『何かに見られている』という気分になるそうだ。そしてそれは正確に、ヘイグリットを映している時だけに感じられるものだそうで、その視点方向すらも特定された。けれどもそこには何もなく、その剣で切り裂いてもモニタ画面に剣先のきらめきが映るだけで映像が途切れたりはしない。見ていた俺はヒュっとしたが。
ということは、観測している何かが存在するのだろう。それが例えば波や振動とかいった力の集まりなのかもしれないし、微粒子過ぎて干渉できない存在だったりするのかもしれないが。前世SF的に考えれば空中散布されたナノマシンとか水分子搭載カメラとかそんなものが思いつくのだろうけれど、そんなSF設定を構築するまでもなく、ここは前世とは異なるものが普通に存在する世界だ。
つまり魔力という謎の存在のなせる技、なのかもしれない。
この世界に生きるペットどもにはそれは当然のことなのかも知れない。そういうものだと受容して、気にもしていなさそうだ。何故空気があって生きられるのか、なんて前世の俺も別に考えてはいなかった。それと同じものなのかも知れない。
けれども俺はこの機構が作動していることが気にかかる。
ようするに俺がCRからダンジョンを観測できる以上、監視をするための機構、つまりシステムが存在し、構築されているということだ。俺たちは何者かに監視されうる。何のためにこのような機構が存在する? 見るという行為は見ようとしなければ発生しないように思う。つまり、誰かがダンジョン内を見ようとして、創られたシステムだ。
そしてCRのモニタを担当しているのはアビスユー。アビスユー自身もそれを使用することはできる。しかしそれは定められたシステムに則って運用しているだけであり、その機序については理解していない。そもそも『システム』が存在するということはそれを規定した何者かがいるということだ。それをアビスユーは認識していない。
現在のところこのカメラに干渉できるのはアビスユーだけのようだから、目下何ができるかを調べさせている。
それ以外にもよくわからないものは多い。というよりわからないものだらけだ。
システムとしては俺の使う魔法。これはどんな原理で動いているんだ。
俺は最強だから当然のようにだいたいの魔法が使える。さすが俺。
だが使う俺ですら何故使えるのかがわからない。呪文を唱えれば魔法の効果が現れる。そして使うとなんか疲れる。ゲーム的にはMPを消費しているのだろう。けれどもどういうシステムで魔法が使えるのか、MPとは何なのか。それが俺にはさっぱりわからない。
例えば火が燃える。前世では何かを燃料として燃焼しているのだろうと想像がつく。けれどもこのファイアーボール的に突然発生する火は燃える燃料もない所から突然現れる。さらに発火のモーション、つまり摩擦するときの熱や振動、気化熱なども発生せず、言葉、つまり発音のみで唐突にそこに発生する。
何故だ。やはり音を受容する見えない何かが存在し、その効果を発動させているとしか思えない。
ためしに同じ呪文をヘイグリットに唱えさせた。けれども術の効果は発生しなかった。
俺とヘイグリットは何が違うと言うんだ。まあ俺が圧倒的なのは当然なのだが。色々試したがまだわからない。これは継続して研究しよう。
謎といえばヘイグリットや特定のネームドの奴らも謎だ。
彼らは元々俺のペットではない。俺のペットというのはこのダンジョンで俺が自由にポップさせられるやつだ。ゴブリンだとかスライムだとか、予めこのダンジョンにプリセットされたモンスターを任意に作出できる。そして色々なペットをかけ合わせて、適当に新種をクリエイトすることもできる。
しかしヘイグリットを始め、何人かの奴らは俺ではポップできない。この世界に復活の呪文や死者蘇生薬があれば別だが、ネームドは死んだらおそらくそれまでだ。これは多分知識やら経験値とかいったものがあり、作り出せないものだからだろうか。
ヘイグリットは武技の達人だ。武技というものは鍛錬したからこそ身につくものだ。主人公たちが戦っているフレイム・ドラゴンやストルスロットなんかの階層ボスは強力だが、奴らは生来の力で戦う俺のペットだ。だから倒されてもすぐに初期状態のものがポップする。
そしてヘイグリットたちとペットの一番の違いは、ヘイグリットたちはこのダンジョンが発生する以前の記憶を有していることだ。
例えばヘイグリットは魔人だ。そういえば魔人というのは変な種族だ。倒した相手を食ってその力を自らのものとする。まあようするにカニバ人だ。ヘイグリットは戦いの中に身をおいて多くのものを倒して食らい、また自己研鑽を積み上げてここにいる。きちんとしたバックストーリーを持っていて、ゲームでは攻略対象になっている。
つまり時間の経過とともに変化することが織り込まれている。ということは、だ。初期状態でRリポップすることは予定されていないのだ。
そしてわけのわからないのはここからだ。
ヘイグリットは俺の強さに心酔したから、このダンジョン発生時から俺の配下になっている、という設定だ。そしてそれはヘイグリットの認識とも一致する。そして何故かダンジョンが発生した当初からここに住み着いている。そこの論理が繋がらない。
ヘイグリットはこのダンジョンが出来た瞬間に俺がいるCRまで押し寄せて来て俺と戦って傘下になったというのか? そんな馬鹿な。ここは50階層あるんだぞ?
だがヘイグリットの認識ではそれで間違いないという。何かおかしい。
それから俺が一番危惧を抱いている点。それは俺の記憶は1年少ししかないことだ。そこから導かれる帰結。
つまり俺はダンジョンが発生したと同時にポップしたはずなんだ。フレイム・ドラゴンや俺のペットたちと同じように。だからおそらく俺が最強なのは、俺のペットと同じように生来持っている能力。だから俺が倒されると、原理的には新しい俺がポップするはずなんだ。
けれどもトゥルーエンドがもたらされた場合、おそらくそうはならずにこのゲームが終了する。
終了するとどうなるんだ?
そして俺の認識では俺がポップした時点で既にヘイグリットは俺の部下だった。
けれども同時に、俺の記憶にもヘイグリットと戦った記憶がある。確かに挑まれ打ち破り、ヘイグリットは俺の手下になった。
ヘイグリットはダンジョンと一緒にポップした俺の傘下で、ダンジョン発生時から俺と一緒にいるにもかかわらず。
つまり、どういうことなんだ?
何かがずれている。
その帰結は、何かが俺の記憶や認識を改ざんしているということだ。
誰が。何のために。何を改ざんしている。
ヘイグリットは何故ここにいる。
いつからここにいる。それより俺の記憶の中の過去は真実なのか。俺の記憶が1年しかないというのは真実なのか。
わからない。
この『幻想迷宮グローリーフィア』とは何なのだ。




