魔王のかけら
今、私たちは困惑に直面していた。
それはグラシアノと名付けられた魔族の子どもについて。その子どもは26階層の暗闇の中にいた。
「それでこいつどうすんのさ」
「連れて行くしかないだろう」
「連れてくってどこにだよ」
「わからないがここに置いて行くわけにも行くまい」
グラシアノは魔族だ。どこかのパーティに見つかれば殺されてしまう、と思う。私たちが闇の中でグラシアノを置いていけば、グラシアノを見つけるパーティはいないかもしれない。グラシアノは確かに虫型モンスターに襲われていた。グラシアノは虫型モンスターを倒すことはできない。やがて衰弱して死んでしまうかも。
「マリーとジャスはどうなの」
「私は……マリオン様のご意志に従います」
ソルはグラシアのを警戒していた。
私の目を真っ直ぐ見る。グラシアノもピクリと恐怖の視線で私を見た。子どもに怖がられるのはとても落ち着かないし気がとがめる。それにジャスティンは私が駄目といえば従うだろうけど、グラシアノを腰にまとわりつかせるままにしていた。だからグラシアノが嫌ではないんだろう。故郷の弟たちのように。
私は事態を把握しきれていないけど、確かにこのまま置いて行くのは忍びない。けれどもパーティを危険に晒したくない。そんなジレンマが私の中を渦巻く。
「とりあえず今日の探索は中断して転移陣まで戻って考えましょう?」
「……わかった」
暗がりの中をソルの浮かべる炎に囲まれて来た道を戻る。その揺れる炎は周りの岩肌を時に反射し、唐突に明滅してゆらゆらとした影を形作る。
私は、というか私以外のみんなもゆらめく影を踏みながらグラシアノを観察していた。けれど、グラシアノはビクビクと怯えながらジャスティンのマントの中に収まって付いてくるだけだった。
私はもともと、グラシアノをパーティに加えたいと思っていた。けれどもグラシアノは私が想定していたものとは全く異なる存在になっていた。
グラシアノは『幻想迷宮グローリーフィア』内ではちょっと悪戯っぽいところもあって、臆病なところはあるけれど元気な弟的なキャラ。そしてグラシアノの役どころは中層以降に本格化する魔王攻略ルートの入り口だ。虫型モンスターに襲われているのを助けると、お姉さんありがとう的な挨拶があり、お礼がしたいとついてくる。そして魔王の手がかりたる他の欠片やそこに隠された財宝に私たちを導く。
つまり本来はまともに意思疎通ができるはずだった。
けれども私たちが遭遇したグラシアノは何もわからず泣きじゃくっていた。恐ろしさで瞳をいっぱいにして。悪戯っぽさなんてかけらもない。その恐怖の対象には私たちも含まれていて、私や、何故か宥めすかそうとしているアレクを恐れて逃げ惑う。
戦闘の時は隅に隠れ、戦闘以外はジャスティンのマントの影に隠れている。ずっとおどおどしながら。
結局の所、グラシアノが唯一心を許したのはジャスティンだけだった。ジャスティンは兄弟が多くて面倒見がいいからなのかな。もともと凄く人当たりがいい。
私たちがグラシアノを連れ歩くことにしたのはそのまま置いておくと死んでしまいかねないのと『わからないから』だった。
そしてグラシアノが私たちについてくるのは他に居所がないからだと思う。実際にモンスターは私たちもグラシアノも区別なく襲ってくる。26階層に置き去りにでもすれば、やがて死んでしまうだろう。
そもそもこのグラシアノという名前はアレクがつけたものだ。出会った時、グラシアノは自分の名前も何も、全ての記憶を失っているようだった。けれどもアレクが自主的に名付けたはずなのに、付いた名前は結局ゲームで設定されていた名前。なんだか嫌な符号。ここはやはりゲームの中、なのかな。
ゲームの中にはないたくさんのイベントや行動は起こるのに、ゲームの設定はきっちりと生きている。どっちつかずでよくわからない。
そしてグラシアノの現状。
魔王の欠片を設置しているのは魔王だ。けれどもグラシアノの現状は、魔王に何らかの狙いがあってこういう状態になっているのでもなさそうだ。
ソルがグラシアノを一通り調査した時、魔王の気配、というか特におかしなものは感じなかったらしい。ゲームではソルがグラシアノを調べた時、魔王とのつながり、とは言わなかったけど、このダンジョンの深層へのつながりを感じるはず。けれどもそれがなかった。ということは魔王との縁は現在時点では切れている。
ふと、可能性を思いつく。
私たちもゲームの規定とは外れた行動をとっている。ひょっとしたらそれは魔王も同じなんだろうか。魔王がウォルターのようにゲーム設定とは全く異なる性格になっていたら。もはや発展的な和解は望めないかもしれない。
魔王攻略ルートはそもそも最難関ルート。つまり魔王との和解は茨の道。その針の穴を通すほどのルートの入り口から既に外れているのなら、この世界では魔王ルートに乗ることは不可能なのかもしれない。そうするともともとのゲームの設定に従って魔王を倒すしか、無い、のかな。
うん、どっちみちトゥルーエンドに至るには魔王の討伐が必要だ。
すでに現在、私とウォルターの婚約は完全に解消されている。だから当初のウォルターとのノーマルエンド解消の目的は既に成し遂げられている。だから、私は例えば、最初に考えていたように、魔王ルートを取らなくても、例えばソルやジャスティンとの間でトゥルーエンドを迎えることはできなくは、ない、ような。
けれどもそれはとても引っかかる。攻略ルートに則ってエンドを迎える。
その行為と意味に既に少し懐疑的。なぜなら私は条件はよくわからないけれどもルートを踏み外すことがありうることを知ってしまったから。それに攻略ルートに則ったエンディングに心は発生するものなんだろうか。
心。みんなはゲームの攻略キャラ。けれども私はみんなを生きた人間だと、意志のある人間だと感じている。
だからアレクがグラシアノをグラシアノと名付けたように、私たちの未来をただゲームのルールに則って進めることに拒否感がある。
だって私は、少なくともジャスティンについてはゲームのルートと異なるエンディングに至る道が既に存在するように、思われるから。
いいえ、けれどもそれはよくわからない。だからとりあえず攻略を進めましょう。
私たちの目的はダンジョンを踏破すること、そしてそれは魔王の討伐とだいたい同じ意味。
その中でグラシアノは大きな不確定要素。私だけがグラシアノが魔王と繋がっていることを知っている。
ソルは今は繋がりを感知できていないけれど、それは魔王にとってオンオフできるものかもしれない。そして魔王が敵対的な存在となっているなら、戦闘中にグラシアノに背後から襲われる可能性がある。けれども私はグラシアノが魔王であるとみんなに言うことはできない。何故知っているのとかいう話になるし、そもそも今のグラシアノが魔王であるという確信は随分なくなってきた。だってあんまりにも『幻想迷宮グローリーフィア』のグラシアノと違うから。あんまりにも、怖がっているだけの子どもに見える、から。
私はもうみんなを危険に晒したくない。
もうあんな、フレイム・ドラゴンの時のような後悔をするのは嫌だ。だからなるべく、考えられるあらゆる可能性を考えようと。
「それでお前は何なんだ」
「……」
「答えろよ。少なくとも付いてきたいなら」
「……あの、わからないんです」
「わからない?」
「気がついたらあそこにいて……」
「わからないはずがあるかよ」
転移陣まで戻っても話は進展しなかった。薄ぼんやりと光る転移の魔法陣のそばで再開した話し合いも遅々として進まない。
アレクは転移陣に入れたこと自体がグラシアノに敵意が無いことの現れだと主張する。転移陣はセーフティゾーン。だから冒険者に危険をもたらすもの、敵意を持つものは入れない。それは、多分この世界の一般常識なのかもしれないけれど、それは本当なのかな。
今は敵意がなくても急に敵意が発生したら? 記憶、というか魔王との繋がりや使命を思い出して、何らかの条件を満たして襲ってきたら?
でも、けれどもやっぱり、グラシアノは確かに、本当に怯えている、ように、みえた。
「ねぇグラシアノ。あなたはどうして私たちを怖がるの? 私たちはあなたに何もしてないでしょう? むしろ助けてあげてると思うんだけど」
「わかんない……わかんないけど、みんな僕を嫌いでしょう? このお兄さん以外」
ジャスティンが困った顔をする。
嫌い、嫌い、か。確かに私はこの子を警戒している。ソルはもとよりグラシアノは魔族、どちらかといえばモンスターの類だと認識している。アレクは本来魔族を嫌っている、はずだ。
じゃあどうすればいいの。
グラシアノは転移陣を通れなかった。だからグラシアノは地上やもっと安全な階層に登ることもできない。
思い返せば『幻想迷宮グローリーフィア』でも魔王の欠片はダンジョンの外に出てくることはない。けれども子どもをダンジョンに放置するなんておかしい。そうも思う。敵対する可能性はあるとしても、今は怯えている子供にしか見えないのは確か。
「転移陣にはモンスターが入ってこれないから当面安全だけど、他のパーティに見つかれば襲われるかもしれない」
「方法はなくはない。寧ろそれなら信用できる。そいつはモンスターなんだからテイムすればいい。テイムの印があればそれは他人の財産だ。他のパーティに襲われることはないだろう」
「それは反対だ」
「アレクは魔族が嫌いなんじゃなかったの?」
「それは、そうなんだが……俺が魔族が嫌いなのには理由がある。魔族が俺の弟を殺したからだ」
アレクは苦渋に満ちた表情でそう呟いた。グラシアノを見る視線が一瞬鋭くなり、グラシアのがまたジャスティンの影に隠れる。
魔族が、弟を殺した?
そんな設定あったっけ。そもそもアレクの設定に家族はほとんどでてこなかった。
他の国の王子で騎士の身分で武者修行の旅にでている、としか。
アレクは少し目を伏せて悩み、言葉を続ける。
「俺は『雪豹となだらかな海』の領域の育ちだ。この領域ほど温暖ではなく自然環境も厳しい。だから人と人との繋がりはおそらくもっと密接で助け合って生きている」
「あれ? アレクの出身ってバーヴァイア王国じゃなかったっけ」
「うん? どこだそれは。俺の出身はキウェリアという国だぞ。それで俺の国にも魔族がいた。キウェリアの魔族は岩山に住み、人を襲った。だから俺たちの国は魔族に対抗できるよう、鍛錬を積み重ねることが重要とされていた」
キウェリア?
アレクの国は確かバーヴァイアのはずで、アレクのエンディングで主人公はその国に嫁いだはずだ。公式設定資料集でもそうなっていた。
アレクが話している国の内容は国名以外はゲームと酷似しているように聞こえる。でも、キウェリア? 聞いたことがない。
それに『雪豹となだらかな海』……?
ふいに私の唱えていた呪文が頭をよぎった。
ゲームでは魔法は単に『攻撃力上昇』とかのバフ効果を選んで対象を選択していた。ゲームの中では呪文なんて改めて唱えていなかったけど、現実で魔法を使う時にはカーソル選択なんかできないから言葉になっているんだと思っていた。
だから素早さ上昇に風羽の靴とか、リフレクトに鏡面の守り、という願う効果を意味する言葉が入っていると思っていた。それに私の今世の知識ではそんなふうに学んだと記憶している。
でもわからない言葉がある。
『泥濘とカミツレ』。
泥濘というのはぬかるみのことだろう。カミツレはカモミールのこと。ぬかるみとカモミール? 私はなんでそんなものに祈っているの?
当然のようにその言葉を呪文の頭につけていたけれども。そして私の知識の中ではそれを唱えなければ魔法は発動しないことになっている。




