私たちの小さなお店 3
宿を飛び出した時、街はすっかり眠りにつき、静まり返っていた。
月も出ない冬の夜は木枯らしだけが道を進み、私とジャスティンの靴の音だけカツカツと響きわたる。風は冷たくマントのフードを深くかぶる。商家の立ち並ぶ一角を抜けた先の一際大きな建物、それが冒険者ギルド。
RPGのイメージ通り、入って正面に受付カウンターが四つほど並び、右手を見ればたくさんの依頼書が貼り付けられた掲示板、左手にはちょっとした酒場が併設されている。そこには未だ濃いお酒の香りが漂っていたけどギルド内には既にだれもおらず、しんと静まり返っていた。
掲示板に張られたばかりのまだ白い依頼書を一枚剥がしてカウンターのベルを押す。チリンという音とともに奥から眠そうな男が現れカウンターに座る。
「はい。何でしょうか」
「依頼を達成しましたので報告に来ました」
「……このパナケイアというのは簡単に手に入るものじゃないんですよ」
差し出したセバスチアンの依頼書を見てギルド職員はつまらなそうにため息を吐く。
せっかく休んでいたのに紛い物を持ってきたのか、よく知らない者が報酬につられて話を聞きに来たとでも思ったのかも知れない。この依頼書は納品依頼で、依頼を受けるためのギルドランク指定がない。つまりだれでも受けられるものだったから。
懐から金色にたわむ実の入ったケースを取り出すと暗いギルドがホワリと光り、目を見開き驚愕するギルド員の顔も拍動しながらほんのり照らす。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい!!」
ギルド職員はそう言ってあっという間に姿を消した。
ー依頼書 納品依頼
ー依頼人 セバスチアン・カウフフェル
ー依頼条件 なし
ー依頼物 パナケイア 但し、効果のあるもの。
ー報酬 可能な限り。
酷くシンプルな依頼内容。
『効果のあるもの』『可能な限り』。とても曖昧な表現。
偽物を防ぐための曖昧な表示。本物であれば来歴は問わない条件未指定と『効果のあるもの』の意味。
パナケイアの取得方法とセバスチアンがカウフフェル商会の前会長であることを知って初めてわかるその『可能な限り』の価値。
ちょっとといいつつ時間はジリジリ過ぎていく。
そうしている間にほんの少しずつ、ほんの少しずつだけパナケイアの光が弱まっていく気がした。
あれ? これってほっとくと効果が消えちゃうものなのかな。思わず握る手に汗をかく。
所在なく、20分ほどジャスティンと立ち話をしていると突然大きな音と慌ただしい足音が響き渡って先ほどのギルド職員と初老の紳士が駆け込んできた。セバスチアン。その頬はこけて目の下には深い隈が刻まれ、まるでスケルトンのようだったけれどもパナケイアのケースに飛びかかるように顔を近づけ目を細める。
「間違いない。まさか、まさか生きているパナケイアとは……!」
生きている?
そしてセバスチアンは改めて顔を上げ、私たちを鎮痛な目で見て打ち付けるようにカウンターに頭をさげた。
その勢いに困惑する。それほどお孫さんの様態は悪いんだろうか。
大抵の場合、依頼が達成されるのはクエストが掲示されてから随分先だと思うのだけど。
「もうしわけない! どうか、どうかこれを譲って頂けないだろうか! 私にできることならば何でも、全て、全てをお支払いいたします!」
「もちろんです。そのつもりでお持ちしましたので」
「かたじけない。申し訳ないが一緒にお越し下さい。効果を確認次第、いえ、このパナケイアでは全く心配しておりませんが効果がなくても相応のお礼は致します」
「え、ええ」
想像していた以上の反応に気圧される。
セバスチアンの馬車はまるでデュラハンが操るという黒馬車のように景色を吹き飛ばしながら夜の街を進み、あっという間にその屋敷に到着した。案内のまま慌ただしく入った部屋には12歳程の男の子が豪華な寝台に苦しそうに横たわっている。
既に待機していた主治医が男の子の胸元を開けるとそこには黒い紋様が禍々しく浮かび上がっていた。渡したパナケイアを主治医がその上にそっと置く。すると金色の実がふわふわと光を放つにつれて、その黒い模様が水面に落としたインクが波に揺らぐようにふわふわと波紋を描き、次第に薄らいで消えていく。それにつれて男の子の強張った体が少しずつ弛緩し、表情が落ち着いてゆく。
「ヨハン、ヨハン?」
「旦那様。もう、もう大丈夫です。それにしても生きているパナケイアをこの目で見ることができるなど思いませんでした。本当に神樹というものの効力には驚かされるばかりでございます。お客様、本当に、本当にありがとうございました」
主治医は深く頭を下げ、ヨハンと呼ばれた男の子の胸から保存容器の中にパナケイアを戻し、恭しく私に差し出した。
「あの、よろしいんですか?」
「はい。ヨハンは助かりました。本当にありがとうございます。何とお礼を申し上げてよいかわかりません。そうだ、ご挨拶もなく申し訳ありませんでした。私はセバスチアン・カウフフェルと申します。ご存知かもしれませんがカウフフェル商会の前会頭をしておりました。この恩に報いるにはどのようなご用命も厭いません。現在、カウフフェル商会は息子夫婦にまかせておりますが権利は全て私が持っておりますのでそれを譲渡……」
「い、いえ。そんなことは望んでおりません」
「では、では何を」
「あの、セバスチアン様に私のこれから開く商会の支配人をお願いしたいのです」
ふいに、セバスチアンの顔が怪訝に歪む
ううん、という声がベッドから聞こえ、ふと目を向けるとヨハンが寝返りをうっていた。先程の苦しそうな様子はすっかり消え失せている。セバスチアンによく似ている。どんなに心配されていたんだろう。パナケイアが効いてよかった、本当に。
ヨハンを見るセバスチアンの顔は先程までの切羽詰まったものと全く違った優しそうなおじいちゃんの顔だった。
「あの、商売というのでしたら余計商会を差し上げたほうがお役に立つのではないかと」
「いえ、カウフフェル商会はセバスチアン様の、その、お孫さんでしょうか、ヨハンさんがお継ぎになるべきだと思うのです。それにもし頂いてもセバスチアン様のお仕事のノウハウは私にはわかりません。そうでなく私は私の商会を作りたいのです。それを是非、お手伝いいただければと」
「しかしそれでは御恩が全くお返しできません」
「いいえ、私はただカウフフェル商会を頂くのではなくセバスチアン様に私の商会をカウフフェル商会以上の大商会にして頂くのですから。その方がお得でしょう?」
少しあっけに取られたセバスチアンの顔を見て、あれ、おかしいかなと思った。イベントだとこのセリフでよかったはずだけど。
ちょっとおどおどしながら反応を待っていると急にクックックと随分おかしそうにセバスチアンが笑い出す。こんな反応あったっけ。
そしてセバスチアンはひざまずいて私の片手を取る。あれ、こんなグラフィックじゃなかったはずじゃ。
「面白い。こんなに喜ばしさと面白さが同時に訪れる夜が来るなど想像もしておりませんでした。私は全てを諦めておりました。それをお救い頂いた。このセバスチアン、老骨に鞭打って成し遂げますぞ。ご主人様、是非お名前をお聞かせ下さい」
「ご、ご主人様? いえ、私はそのような大したものではなく、ええと」
「お嬢様。落ち着いて下さい。セバスチアン様。お嬢様はわけあって身分を公にすることはできないのです」
「……それではお嬢様とお呼びします。今後のご連絡はどのようにすればよろしいのでしょうか」
「明日の夜、もう少し早い時間に伺います。そのときにこれからのことを相談させて下さい。お願いいたします」
その翌日の夜、最初にソルを訪ねた。
昨日の帰りに宣言していたとおり、ソルはすっかりいつもどおりにしか見えなかった。けれども白いシャツの下には包帯が透けて見えていた。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、心配症だなマリーは。そんなことじゃ俺と旅なんてできないぞ」
「ええと、それはなんていうか、あの、一応術式を書いた包帯を余分に持ってきたから」
「おっ、ありがと。それでどうだった?」
「うまくいったよ。細かくはこれからお伺いして決めるけど。そうだ、パナケイアは返してもらったんだ」
「おぉ? もらってもいい?」
「もちろんよ。もう光らなくなっちゃったけど」
ソルは包帯を解いて、止める間もなくナイフを胸に刺して傷口をえぐりパナケイアをねじ込んで回復の呪文を唱えた。
そうするともともと表皮がガサガサにあれていたのもつるりと治った、ように、みえる。
「ふぅ、これでだいたい戻った。僕もいくよ。説明が必要だろうし」
「説明? それは私もしてほしいんだけど。なんでソルはコルディセプスを生やしたの? あっちの枝じゃだめだったの? 本当に、すっごい、すっごい心配したんだから!!」
「ごめんごめん。でもパナケイアを作るには行った通り生きてる神樹じゃないとだめなんだよ。パナケイアって外傷以外には大抵なんでも聞くけど1番何に効くかは知ってる?」
「ええと、心臓の病なら何でも治すって聞いたことがある」
「そう。それで人間の生命力の源は心臓で、心臓に寄生したコルディセプスがドラゴンを餌に実った実。それがパナケイア」
「ちょっとまって心臓って」
「使ったのは予備の心臓だから大丈夫だよ。それに戻してもらったし。ハハ、ドラゴンも俺に混じった。すげぇかっけぇ」
予備の心臓?
なんていうか、ソルは心底楽しそうだ。なんだか、なんだか狂気じみた子供っぽさ。
確かにその様子はゲームの延長線と乖離しないような気はする、けれど。
賢者ってこういうものなの?
ゲームでは語られなかった過去。ゲームでは現れなかった個性。
確かにゲーム、イベントというものはその冒険と人生の365日を全て追随するものではない。切り取られた冒険の1シーンしか現れない。けれど。
なんだかソルの姿に違和感がないことが、妙に怖い。
「マリー、そんな心配そうな顔をしないで。そのさ、そもそもパナケイアっていうものはそうやって作るものなんだよ」
「でもそんなことしたら死んじゃうじゃない」
「そう、そうやって生産される。だからパナケイアは作られても表に流出しないんだ。カウフフェル商会でも普通のルートじゃ手に入らなかったから冒険者に賭けたんだろ。ダンジョンには生きた神樹がいるから稀に寄生されることはある。意図的に寄生させるなんてことなんてほとんどないだろうけどね。それに神樹に寄生されたら普通は死ぬ。だからパナケイアの作り方を知ってる者がいれば作ってもおかしくはない。これは賢者の中ではありふれた知識だから」
「パナケイアが生きてるっていうのは?」
「そのままの意味だよ。実は落ちるとだいたい1日くらいでパナケイアは死ぬ。生きている間はまさに神樹。だから効力は極めて強い。死んだパナケイアは精製して錠剤や飲み薬にするけれど、聞いた感じそのカウフフェル家の子供は呪いか何かのようだから精製薬じゃ効果は乏しかったかも知れないね。そんなわけで多分そのカウフフェルさんは俺が死んだと思っているだろうから挨拶にいくよ。是 個人的にも恩を売りたいし」
確かにあの実はまるで拍動するように明滅していた。心臓からできた生きている神樹の実が人を癒やす。
あれはソルの心臓なの? それでソルの心臓に戻して? ソルにドラゴンがまじった?
なんだか混乱する。よくわからない。それに何だか、ものすごく物騒な話が続いている気がする。
そして3人でカウフフェル家に向かう道すがらに打ち合わせをした。
優先すべきは資金集めや情報、必要な素材集め。
それから私の素性を秘匿すること。
基本的にはこちらの連絡はジャスティンを通して行い、セバスチアンから連絡が必要な場合はソルかアレクに行う。
ジャスティンは万一尾行されても自分で気がつける。それに身分は貴族でもなんでもなく王宮の奥で暮らしている。素性がバレることもないだろう。
ソルとアレクは今は公式にはフリーのパーティということになっている。ウォルターのパーティから解雇されたまま。そこからそれ以前に解雇されたにも等しい私に繋がる可能性は乏しいだろう。
私は昨日もフードを深くかぶっていた。セバスチアンに私が冒険者であろうことはともかく誰かまでは把握はできていないはず。そして私は今は冒険者ではないことになっている。
「マリオン様、商会の名前はいかが致しましょうか」
「名前? ええと、ジャスティンの名前をつけてジャスが出入りするのは危険だよね。そうすると、ソル? ソルタン商会?」
「え? でもメインで売るのはマリーの布じゃないのかい?」
「でも私の名前は出せないし」
「ではパナケイア商会はどうでしょう」
「商会の名前は経営者の名前をつけるものではないの?」
「問題ないでしょう。当面はソル名義で行ってソルが経営しているように見せかけては? なにせ『賢者様』ですし」
「賢者様の『パナケイア商会』、悪くないかも」
「賢者的にはパナケイアなんてたいしたもんじゃないぞ」
「一般的には大したものなの!」
本当に。




