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私たちの小さなお店 2

「あの、もし朝までに完成するなら待っててもいいかな」

「うん?」

「私たちは日中は出て来られないから来るのが明日の夜になっちゃう」

「ああ、そういえばそうなのか。うーん見てて気持ちのいものじゃないんだけど」


 気持ちのいいものじゃない?

 調合じゃないの? そういえばこの世界の調合って実際に見たことはないけれど、科学の実験みたいなものじゃないのかな。そんな道具だし。

 ここは高級な宿屋で、机や椅子なんかの調度品も高級なもの。なんとなく実験という言葉には不似合いな場所だった。


「嫌な予感がするんだけど。ひょっとして危ないの? もしそうなら無理してまで欲しいわけじゃないの」

「危なくはないんだよ。ふぅ。まあいいけど。隠しても仕方がないよね、俺はマリーにプロポーズしたわけだし、後でこんな人と思わなかったとか言われても困るからな」


 何気ない会話に紛れ込んだプロポーズという言葉にビクッとする。ソルとの間のフラグが立っているのかな。

 けれどもソルは何事もなかったかのように椅子と机を引っ張ってきて座り、いくつかの大小のシャーレを机に広げてそこに水銀と塩とフレイム・ドラゴンの肝、それからソルが鞄から出した虹色の液体と金と白の鉱石を置く。それととても切れ味が良さそうな金色に光るナイフと金の手袋。それから3本の魔力ポーション。


「賢者の塔っていうのは変人だらけでね、みんな疑問を疑問のままに置いておけない奴らばっかりなんだ。3分の1くらいが魔女になりたがってるのと、あとは色々だな。不老不死じゃないと意味がないとか世界のすべてをその手中に収めたいとか」

「ふうん」

「そんな奴らばっかりでさ。好き勝手に研究してるもんだから知識はアホみたいに溢れてる。パナケイアの作り方とか普通に聞いたら教えてくれる。秘密にしたら自慢できないから秘密にしようってやつもあんまりいないしな。マリーは賢者ってどんなイメージ?」

「うーん、凄くいろいろなことを知っていて賢い? それから魔法がたくさん使える」

「まぁ、だいたいそうだよね。でもそれは結果論でさ」

「結果論?」


 ソルはシャーレに入ったそれぞれの素材を斜めにしたり透かしたりして状態を確認している。

 やっぱりなんとなく理科の実験みたい。


「うん、品質は問題なさそうだ。それで賢者っていうのは目的のために一線を踏み越えた奴をいう。特に俺の所属していた賢者の塔は単純で、入るのが簡単だった」

「賢者の塔ってたくさんあるの?」

「まぁそうだね。賢者の塔ってのは互助組合なんだよ。それで俺は賢者の塔に入る前はちょっとは魔力は強かったかもしれないけど、まあ一般市民に毛が生えたくらいだったかな。でも賢者の塔には無尽蔵の知識がある。だからそれを利用して俺は俺を色々と拡張してるんだ」


 拡張?

 この話はどこに向かっているんだろう。設定集にはない初めての話ばかりだ。普通の人でも賢者になれるものなの?

 ソルは賢者の塔から来た賢者様。

 『幻想迷宮グローリーフィア』でのソルタンは、賢者というには妙に子どもっぽいキャラクターと深い知識との対比のギャップ萌えで人気があった。CPもとても高い。だから生まれたときからすごい能力を持ってるんだと思ってた。

 でもゲームが始まる前のことについては何も語られていない。設定集にもなかったはずだ。


「まあそんなことは今は関係ないか。ようするに俺はネジが1本飛んでいて、価値観がちょっと普通とズレてるんだよ。塔ではみんな変人だし俺も誰も気にしないんだけどな」

「私も変わってるって言われてた。ずっと貴族らしくしなさいって」

「はは、マリーも苦労してんな」

「そんなでもないけど」



 苦労してたのはジャスティンで。

 そういえば小さい頃からずっと、ジャスティンにはちゃんとしなさいって言われてた気がする。最近はあまり言われないけど。

 諦められちゃったのかな。


「俺はパナケイアは作ったことがないんだよ。作り方は知ってたんだけどね。でも俺は今作ってみたいなと思ってるんだ。神樹生やすとかこんな状況、2度となさそうだし」

「うん」

「だからこれは俺が好きでやることで俺自身が止めらんない。やってみたいと思っちゃったから。そう思ったら止まらない、それが賢者」


 そう言ってヘラのようなものでフレイム・ドラゴンの肝を少し削り取り、少しずつ水銀に混ぜ始めた。同時に先がくるくると細く巻いた大きなガラス容器の中に3リットルほどの水を精製して塩を入れて呪文を唱える。

 ドラゴンの肝と水銀はゆるやかに溶け混ざり、その端からぼんやりと黄金色に染まっていく。なんだか真理の前世でキャンプに行った時に見た、朝焼けと雲海が混じり合ったようなもったりとした綺麗な色。

 ソルはその色合いを隣のシャーレに置いた金色の石と慎重に対照させて、ちょうど石と同じような色になるまで練ったり肝を追加したりした。


「それからジャスに手伝って欲しい。俺は精製でちょっと手一杯になる。だからパナケイアが精製できたらこのナイフで不要になった枝を切り取って欲しい。この手袋をはめてて。タイミングは見てればわかるから」

「わかりました」

「マリー、パナケイアは『飲める黄金』って呼ばれてるんだけど、多分これは金色にざわめくこの色から来てるのかなって思うんだよ。でもこれって実際には水銀なわけで普通に飲んだら死んじゃうんだよね」

「綺麗だけど飲もうとは思わないかなぁ」


 ゆたゆたと揺れるその色合いは既にこの世のものとは思えない。

 でも神様の薬にふさわしい感じがする。これにコルディセプスを混ぜるのかな。

 あれ?

 でも机の上にはコルディセプスがない。キョロキョロ見渡すとベッド脇に木の枝がぐるぐるとロープに巻かれて転がっていた。とってこないと。


「おいジャス。そういうわけでここは危険だからマリーに触れさせたくない。だから近寄ろうとしたら止めろよ」

「え?」

「マリー。俺は色々と拡張してるから大丈夫なんだ。簡単には死なない。だから近寄らないでね」


ーコルウクレズネに願う。3の棚24の項648目パナケイア精製。

 3の心臓、コルディセプスの苗、黄金の水、真なる浄水、精霊の羽水、……水、魔力。


 そしてソルは上着を脱いでベッドに放り投げ、シャツのボタンの上半分くらい外した。そしてシャーレに入れた虹色の水とその水銀から作られた黄金色の液体を手に取って飲んだ。

 飲んだ? 今危険って言ったばかりじゃない!

 その瞬間、ソルの瞳がとろりと金色に変化してシャツの内側、ちょうど胸の真ん中が盛り上がり、皮膚がプスリと破けてそこから一本の細い枝が生えてきて根本から少しずつ金色に光り始める。

 枝? コルディセプス?

 えっえっ?

 生えたらまずいんじゃないの?

 それにさっきあの金色は水銀って。


 枝はどんどん太く伸びて、それにつれて根本となるソルの胸部が不自然に盛り上がり、ボグという鈍い音と共にさらに裂け、その裂け目から白い肋軟骨が覗いてげふという音と一緒にソルが椅子に座ったまま血の塊を吐く。

 肩をジャスティンに抱き止められて、ソルに駆け寄ろうとしていたことに気がついた。


「止めなきゃ」

「駄目です、危険です」

「でも」

「ソルは大丈夫と言っていました。危なくはないとも。それにもう生えていますから今止める方が危険かも知れません」

「でも怪我を」

「信じましょう」


 信じる?

 信じるって何を?

 血なのかなんだかわからないけれどソルの胸から黄金色の液体がトロリと流れ出している。

 枝は既に80センチほどの長さまで伸びて成長を止め、その全体が根本からうっすらと金色に染まりきった時、その先端に小さな実をつけ始めた。その実は最初からとても綺麗な金色。するすると膨らんで直径5センチくらいになったら心臓のようにどくんどくんと脈打ち始め、突然その下に、おそらく予め設置されていたシャーレの上にポトリと落下するのを見て、ジャスティンが素早くナイフの刃先をソルの胸に突っ込みその枝を抉り取る。


「ジャス⁉︎」

「それ、で、い」


 ソルは苦しそうに眉を顰めながら3本の魔力ポーションを次々に一気飲みして大きなガラス容器のくるくるした吸い口から中身を半分くらい飲む。ジャスティンのナイフを持ったままの腕に吸い口から液体を少しかけて残りを胸に空いた穴に注ぎ込み、くぐもったうめき声をこぼしながら最後に残った白い石を胸の傷口の中にねじ込んだ。


ーセクアナ、の、泉よ。そのすべてを癒やし、たまえ。


 手を傷口にのせたままそう言うと、皮膚ががさがさと分厚くなって傷口がふさがった。


「ふぅ。糞痛かった」

「ソル! 危ないことはしないっていったじゃない!!」

「俺にとってはこの程度は危なくはないんだよ。ジャスが手伝ってくれたし。それに俺はやってみたくなったからマリーに頼まれなくてもやってた。結果としてマリーが喜んでくれるなら俺はめちゃめちゃ嬉しい」


 ソルはそういって突然ニコッと笑った。

 なんだかそれは、純粋に私が喜ぶのを期待しているんだなっていうことがわかる笑顔、だけど私は単純に喜べない。知ってる人を、しかも親しい人をまた苦しめたという事実。

 ソルはゲームの中でも確かにこんな子供じみた無鉄砲なキャラ。けれどもとても心が痛くなった。なんだかよくわからないけど。


「さあ、早く行って。パナケイアは新鮮な方がいい。ギルドは夜でも開いてるから納品してきな」

「でもソルが」

「マリー、俺は大丈夫だよ。一晩寝て起きたら平気。もともと明日の朝渡すって言ったじゃん。心配なら明日また会いに来て」

「マリオン様行きましょう。ソルがせっかく作ってくれたんですから」

「本当に大丈夫? 大丈夫なのね! 明日。明日必ず来るから。もしソルに何かあったらすっごく怒るから!」


 そっと保存容器にパナケイアを仕舞い、弱々しく笑うソルを置いてジャスティンに手を引かれて夜に飛び出した。

 大丈夫? 大丈夫なんだよね?

 信じるよ? 信じる? うん。ソルは大丈夫……そうに違いない。

 これがパナケイア? 想像していた薬とはまるで違う。カリンとかスモモとかそんなくらいの大きさの果物。そして切り離された今もとくとくと金色の光を明滅させながら爽やかな香気を放っていた。

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