ジャスティンとマリーの思い出
フレイム・ドラゴン戦から2日経った。
マリオン様は昨日は随分塞ぎ込んでおられたが今日はだいぶん落ち着かれている。今はお部屋で大きな羊皮紙にデザインというものをされている。次の探索のために私やアレクサンドル様、ソルタン様の新しい装備をお作り頂くのだ。恐縮する。
マリオン様は未だお元気を取り戻されたというわけではないものの、前に向かって再び歩きだされた。よかった。
「マリオン様、お茶のおかわりはいかがでしょうか」
「ありがとう、ジャス。お願いします」
「あまり根を詰めないでくださいね」
テーブルウェアを片付けながら私はその様子を見守った。
私はマリオン様の従者だ。その役割はマリオン様のお役に立つこと。
今のマリオン様はとても微妙なお立場におられる。第一王子ウォルターの婚約者であり、結婚式自体は挙げられているために王宮内では王太子妃として扱われている。けれども未だ結婚は成立していない宙ぶらりんなお立場。それなのにマリオン様を守るべき立場のウォルターは女性ばかりとパーティを組まれ、ダンジョンに潜っている。マリオン様を一顧だにもされない。最近は朝に挨拶にくることすらなくなった。
そのこと自体には私としては清々したきぶんだ。
現状、日中にマリオン様を守る者は私以外誰もいない。マリオン様に仕える者は王太子妃という身分を考えても著しく少ない。いや、王宮から最低限の人員が配置はされているが信用ができない。
王宮で働く者は当然ながらその身元がしっかりしている。怪しいものが王宮を闊歩するわけにはいかない。
つまりは下働きの下女など高貴な方々のお目に触れない者たちはともかく、王宮の廊下を堂々と歩くような官吏官女はおおよそが伯爵家以上の身分の子女だ。王宮で直接王家にお仕えしたという経歴をもって士官や婚姻を行い、また直接的に王子やより高位貴族との縁談を目的として仕えている者もいる。
だから下位の、平民にも等しい男爵家の娘など、そもそも王宮にあがることすらない。ましてや仕えるなどという行為はさぞ虫唾が走ることだろうし、逆に男爵家令嬢などに使えたとなるとその経歴の傷となる。
これが妃という新たな身分を正式に得て王家の一員となっているのであればまた変わっていたのだろうけれども、未だマリオン様は宙ぶらりんで、未だそのご身分は男爵家令嬢に過ぎない。
そんなわけで私もマリオン様も王宮が任命した者は信用しない。できない。その結果、私が全ての取り次ぎを行いその室の前の門を守ることになる。だからマリオン様は日中いつもお1人だ。
……私はウォルターが嫌いだ。虫酸が走る。
結婚式を挙げられる前はマリオン様の宿に毎日のように押しかけて愛を語っていた。そのような情熱にマリオン様も悪しからず思っていたのだろう。ウォルターは曲がりなりにもこの国の第一王子だ。マリオン様は男爵家令嬢だから普通であれば第四夫人以下、初婚だからせいぜい第三夫人くらいの身分の妃が相当だ。
妃となれば給金がでる。そうすれば安定した暮らしができるし、男爵家の苦境もだいぶんは改善されるだろうと思う。そうすればもはや、マリオン様が危険を冒してダンジョンに潜る必要もない。もともとマリオン様は男爵家の金銭的な苦境を救うために冒険者となられたのだ。
そう、マリオン様は突然国をでられて冒険者となられた。これまで深窓の令嬢として暮らされていたマリオン様に戦いの技術やスキルはない。だからみんな、マリオン様がおかしくなられたのではないかと考えた。
けれども確かにマリオン様は昔からバフ・デバフのスキルをお持ちだった。だからそれを冒険に役立てるおつもりなのだと伺った時、不明を恥じた。
小さい頃のマリオン様。
私はマリオン様より4つ年上だ。マリオン様がお生まれになった時よりおそば近くに控えている。
私の父ゲオルグ・バウフマンもマリオン様のお父上であるヘルムント・ゲンスハイマー様に幼少の頃よりお仕えしていた。バウフマン家は代々ゲンスハイマー家に仕える従者の家系だ。母もマリオン様のお母上のタニヤ様にお仕えしていた侍女だ。私の一家は常にゲンスハイマー家と共にあった。
小さい頃はそんなことは分からなかった。マリオン様はとても可愛い小さな妹のような存在だった。私は一目見た時からマリオン様が大好きになった。
けれども私が物心つくようになり、やがて私は私の立場というものを理解するようになり、私とマリオン様の間には超えられない壁が横たわっていることに気がついた。身分という名の壁が。
身分。
姿形は同じように見えるのに、私とマリオン様は全く違う生き物なのだ。それがだんだんとわかってくる。父もヘルムント様と、母もタニヤ様と親しくおつき合いさせて頂いているが、私たち一家にとってゲンスハイマー家は主人であり、その存在の価値が決定的に違うのだ。私たちはゲンスハイマー家の所有物である。その領地にある者、そして事物は全てゲンスハイマーという貴族家の所有物なのだ。
そしてゲンスハイマー家やこの国内にあるものの全ては王家であるエスターライヒ家の所有物である。
それはこの世界の秩序として当然のことだ。
貴族に所有される代わりに私たち領民はその身分と財産の安全を補償される。もし貴族がいなければ、貴族がその領地を壁で覆い常備兵を維持しなければ、私たちはあっという間に盗賊や他領の兵に攻め滅ぼされる。そして殺されるか奴隷にされるかされてしまうだろう。普通の人間ならば。
けれどもそれを免れうる存在がいる。
それは強力な能力適正や加護を持って生まれた特別な者たちだ。そういった者はさまざまな能力で夜盗や軍など物ともせず、その無双の力で世の中を渡り切るのだ。綺羅星の如く。
つまりここはそういう世界。
わざわざそんなことを改めて認識しなくても、そんなことは成長と共に心身に刻まれ、所有者は所有物に対してその保護の責任と義務を、所有物は所有者に対して畏敬と服従の心を抱く。
けれどもマリオン様は例外だった。マリオン様の弟君や妹君は自然とその峻別がおできになられ、自らが住む世界、つまり貴族の社交に自然と視線が移っていった。
けれどもマリオン様は成長なされてからもお変わりになられなかった。その視線はご家族に向けるのと同じように私や私の家族に向けられた。その親しさは本来の貴族の在り方としてはふさわしくない。けれども家中の使用人にはとても好評であったのだ。それは勿論私にも。そしてそのうち正しく成長されるとみんな思っていた。それが自然なことだから。
私は何故マリオン様にお仕えすることになったのだろう。
私をマリオン様につけたのは父だった。それは当然の差配だったと思う。当時のバウフマン家でマリオン様に1番歳が近かったのは私だったから。そして私が仕えるのがマリオン様の妹君のヘスターゼ様であっても何の問題もなかったのだろう。ヘスターゼ様はきちんと臣下を臣下として扱われるからだ。
けれどマリオン様は私を従者としてではなく、私として扱った。何故?
マリオン様に仕える私。そんなものは本来存在しない。私は私ではなく従者としてマリオン様にお仕えしているのだから。
「ねぇジャス。これ貴方にあげる」
そういって差し出された花の冠を恭しく受け取る。
「マリオン様いけません。きちんとジャスティンとお呼びください」
「ジャスのほうが短いもん」
「駄目です。他の方に知られてはマリオン様がお立場を失います」
「むぅ」
小さく頬をふくらませるマリオン様がとてもかわいらしくて思わず笑いがこぼれてしまう。
マリオン様が10歳になられてステータスカードを受け取られた頃だった。ステータスカードはその領域民が行く末に迷わないよう、魔女様がその領域民が10歳になって以降に交付されるカードだ。そこにはその人間の適性が示される。
「ねぇみてみてジャスティン。私、適正があったわ! バフとデバフだって! 私魔法が使えるみたい」
「それは凄いですね」
「落ち着きなさいマリー。従者をそのように親しく扱うものではない。あらぬ疑いがたてられてしまう」
「だって嬉しいんですもの」
「しかしバフ・デバフか……」
「すごいでしょう? お父様」
「ないよりはよいが貴族令嬢には使い所があまりないのでな」
「もう!」
それからマリオン様は教師や家族に隠れて花壇や菜園にバフをかけてスキルを磨いていた。バフがかけられた地面からは草や花が豊かに育った。庭師たちが随分不思議そうにしていたものだ。
そういえば一度デバフの練習がしたいと言われてかけて頂いたことがある。急に気持ちが悪くなって、そういえば3日ほど寝込んだな。あれはあれで得難い思い出だ。
魔法というものに初めて触れて、改めて凄いものだなと思った。
そして私は自分がステータスカードを受け取った時のことを思い出した。父は申し分がないと喜んだけれど、私は私が特別ではないことを知って酷く落ち込んだ日だった。それまでの私はひょっとしたらこの世界を1人で渡れる強大な適正や加護がある、といいなと願って暮らしていたから。
その望みは綺麗さっぱり打ち砕かれた。私はただの人間なのだ。
「ジャスティン、一緒にお茶を飲みましょう?」
「駄目です、マリオン様。マリオン様はもう15歳になられました。来年には社交界にデビューなされます。お茶を飲むにもふさわしいお相手というのがございます」
「だって今はいないもの。1人で飲むお茶は寂しいわ」
「駄目です。お茶はすぐに持たせます。ヘスターゼ様をお見習い下さい」
「みんな最近よそよそしくてつまんない。ギュンターも最近厨房に入れてくれないし」
「駄目ですよそんなことを言っては。この間も礼儀の先生に怒られたばかりじゃないですか」
「そうだけど。なんかつまんない」
そして社交界にデビューされるという16歳を控え、私は従者から解任されることになった。解任して、ゲンスハイマー家の先代当主に仕えていた体の弱った祖父が引退し、私が代わりに仕えるという話が進んでいた。
「ジャス、すまないな。お前が悪いわけでは全くないしお前の能力に何ら不足があるわけではやないのだ」
「わかっております」
「本当であれば年齢の近いマリオン様に末永く仕え、その手腕を発揮してもらいたいと思ってのことだった」
「……」
「けれどもマリオン様は社交界にデビューされる。その時この家の中と同じような対応をお前にされては困るのだ。マリオン様ご自身にも、お前にとっても」
「わかっております」
「もちろんお前が事あるごとにマリオン様を諌めているのは皆が知っているのだが……」
「父上、私はラウラがマリオン様の従者となることに異存ありません」
ラウラは妹だ。本来従者は男がつくのが正式だ。いざという時にその身を挺して主人を守るものだから。
だがマリオン様はそのご身分にあわせた正しいご対応をお取りいただけないことがある。いつもではないが不意に。だからご対応頂けないほうが素のマリオン様なのだろう。
けれどもその素のお姿が致命的だ。きちんとした貴族としての振る舞いが身についていないということだ。序列は守られなければならない。従者に親しい姿など他人に見せてよいものではない。
けれどもそれが、その従者が女性であるならばまだましだ。女性には女性ならではの社交というものがあり、それは侍女を通じて行われるものだから。
「本当にすまないな。マリオン様には月が明けたら知らせよう。未成年といえど、お前の主人はマリオン様だ。だからその譲渡にはマリオン様の許可が必要だ。頭が痛いことだな」
「いざとなれば私が説得いたします」
「……すまないな」
マリオン様が突然出奔されたのはそのすぐ後だった。
ゲンスハイマー家は騒然となり、私はマリオン様の従者としてマリオン様を追いかけた。そして今に至っている。
マリオン様は本来社交界にデビューするお年頃に冒険者となられてしまった。
この時点でマリオン様にはまっとうな貴族の縁談など望むべくもなくなった。私は手紙で実家とゲンスハイマー家とやりとりをして、私がそのままマリオン様の従者を継続することが決まった。
今更ラウラに従者を交代しても、それはただラウラの人生を潰すだけになる。
父は再び、すまないな、と手紙の中で私に述べた。その手紙は少し滲んでいた。
客観的には私の従者としての人生はそれで潰れてしまったのだろう。
けれどもその決定は私にとっては望外の喜びだった。
私はこれで一生マリオン様の従者なのだ。
冒険者としては私は何のお役にもたてないけれど、ずっとお側近くでお仕えできる。
マリオン様にとっては厳密な意味で私が従者ではなかったように、私にとってもマリオン様は厳密な意味で主人ではなかった。誰にもわからないようひた隠してきた。そしてそれはこれからも変わらない。
マリオン様が親しげに振る舞うのは私だけではなかったから、マリオン様にとって私は特別ではないのは知っていた。けれども私にとってマリオン様は特別だった。
それはあってはいけないこと。本来は考えてもいけないこと。
「ジャス。ごめんなさい。あなたにそんな大怪我をさせてしまって」
「いいえ、問題ありません。私はマリオン様の従者ですから」
「そういう問題では……」
昨日。マリオン様に謝られてしまった。そんな必要なんて全くないのに。
主君が従者を心配する必要はない。
ただ、親しくジャスと呼んでいただけるだけで望むべくもない幸福なのです。
「あの、その、ジャスに何かできることはないでしょうか」
「私にですか? それではこれからもお仕えさせてください」
これ以上。そんなものは、ない。
これ以上を望むなんて間違っている。
けれどももし私がこの世界を1人で渡りきれるほど強くなれるのなら。
その時は。
「またダンジョンに潜りましょう一緒に」
「あの、怖くはないのですか?」
「次はアレクサンドル様ではなく私に御身を守らせてくださいね」
私が恐れるのは私が知らないところでマリオン様がいなくなってしまうことだ。
だからこんな私でもその剣と盾になれるのであれば何を恐れることがあるというのだろう。
お慕いしております。今はまだ、誰にも明かすことはできないけれど。
ー補足
突然『魔女』という言葉が出てきますが、伏線なのでスルー下さい。




