万の星の煌めきの約束
「マリオン様、準備が整いました」
「ええ。行きましょう」
「……今日は随分な荷物ですね。お持ちしましょう」
「ありがとう、ジャスティン。今日はアレクとソルをなんとしてもパーティに加入させます」
うつむくジャスティンの顔はほぼ影になっていたけれど、複雑な表情が見て取れた。今のところジャスティンとの間の『幻想迷宮グローリーフィア』で起こりうるフラグは全てへし折っているはず。だからジャスティンとの間に恋愛は発生しないはず。
でもフラグってなんなんだろう。ジャスティンと過ごしたイベントという名の思い出はわたしの記憶にも感情にも確かに残っていて、それはじわじわと私の気持ちを締め付けていた。
けれども私がジャスティンとくっつくことはない。それは不幸しか生まれない。お互いにとって。
そう、フラグは折った。だからきっとジャスティンは新パーティーに不安なだけなんだ。そう思い込む。
アレクもソルも私のもとパーティメンバーだ。付き合い自体はジャスティンのほうが長いけれど、一緒にダンジョンに潜った期間はアレクとソルのほうが圧倒的に長い。1年は2人と一緒にダンジョンに潜っている。だから連携だって2人との方がうまく取れるに違いない、とか。……。きっとそう。
でも大丈夫。強さでいうならジャスティンは十分に強い。少なくともウォルターよりは遥かに。
どうしてジャスティンがCP10で埋もれているのかわからな、くはない。低レベルのモンスター相手でも一撃受ければ半死になりそうな防御の薄さ。けれども尖りきっているだけで、そこは使いようだと思う。そしてジャスティンにはCPには現れない戦闘とは無関係の社交性とか諜報能力とか、そういったものを持ち合わせている。だから『幻想迷宮グローリーフィア』だけじゃない。
なるべく音を立てないように王宮の裏口から抜け出し、ジャスティンしか知らない垣根の隙間からそっと王宮外に抜け出す。外には欠けた月とたくさんの星々が瞬いている。いつもより少し大きな荷物が垣根に引っかかるけれどもなんとか引っ張り出す。
そして細い月明かりをたよりにほのかに青白く光る石畳をカツカツと抜けて、貴族街区と商業街区の間にあるアレクとソルの泊まる宿に到達する。そこまでの道のりはひっそりとしていて既に人通りはない。このあたりでは営業している酒場なども既に扉を固く締めている。
来るのは初めてだけれど、とても大きくて上品な宿。裏にはたくさんの馬車と馬が繋がれて、時折いななきが聞こえる。あの2人は本当に王子様と賢者様なんだな。それをこんなところで実感する。そこはただの男爵令嬢の私ではとても泊まれないレベルの宿。
「マリオン様、こちらに」
ジャスティンの小さな声に促されて宿の裏口の木戸を潜る。ふわりと温かい風が流れ、柔らかな灯りが照らす調度品の並ぶ宿の廊下を進むと待合室に人影があり、こちらを見て立ち上がり、その一つが私の方に走ってきた。
「マリー、会いたかった」
「マリオン嬢。元気でしたか。こら、ソル、離れろ」
私は思わず後ずさる。私の記憶の中では2人はただのパーティメンバー。でも私にとっては紛うことなき推しで、それが目の前で動いている。その事実に思わず戸惑う。2Dのゲーム画面と3Dの現実で、何故か違和感はほとんど感じない。そんな風な補正が働いているのかしら。けれども目の前にいるのは確かにアレクとソルだ。
「よかった。2人とも来てくれて」
「当たり前じゃないか」
「それで本当なのか? その、ジャスティンと2人でダンジョンに潜っているというのは」
アレクがちらりとジャスティンを見る。
今日のジャスティンは武装していた。いつもの従者の姿と違い、私が呪文を編み込んだ竜革の胸部軽鎧にユニコーンの革で作ったジャケット。ウォーターエントの弦から編んだパンツにファイアリザードのなめし革から作った長靴と手袋。それからたくさんの装飾類。まるで民族衣装みたいになっている。装飾過多な気はするけれど、私もローブの下は似たようなものだ。この装飾1つ1つにバフが埋め込まれている。
そして2人も武装していた。ジャスティンは今日、この4人でダンジョンに潜る約束を取り付けている。
私の現状を2人に話した。
今、私は日中王宮に閉じ込められている。体調が悪いということになっている。
ダンジョンに潜ることは反対された。だからどこへも出られない。
私は役たたずで皇太子妃にふさわしくないと昼夜問わず陰口を叩かれている。
ウォルターは朝に短時間挨拶に来るだけで、あとは一切訪れない。最近はそれすらもない。
だから……だから夜にダンジョンに潜っていても気づかれないのだと。
ダンジョンに潜っても気づかれない。
けれども本当に2人で潜っているのか? アレクとソルの瞳は確かにそのような困惑を浮かべていた。たった2人でダンジョンに潜るなんて正気の沙汰じゃない。そして2人は再びジャスティンの装備を見て、ソルが気がついた。
「それはユニコーンの革だね」
「そう、2人で倒したの」
「2人で? どうやって倒したというんだ。その、失礼だがそこの彼はそこまで強そうには思えない。マリオン嬢もバッファーで殲滅力はないはずだ」
「そう、だからユニコーンを暗殺したの」
「暗殺!? あのユニコーンをか!?」
ユニコーンはとても繊細な生き物。
その異常を完治する角で魔法やバフやデバフ、悪意や殺意を検知する。だから不意打ちなど本来は土台無理なのだ。乙女で油断を誘っても完全には心を許さない。だから少しだけ気を逸らせたところで足や感覚器官を破壊し、動きを阻害して倒す。普通はそれしか方法はない。
「ジャスティンは従者の仕事をしているから冒険者の登録はしていないけど、スキルだけならそのあたりのアサシンは凌駕するわ」
「アサシン……」
アレクがわずかに眉をひそめる。アレクのように正々堂々を旨とする騎士とは相容れない職業だろう。けれども騎士とは全てを兼ね備えるからこそなれる職業だ。攻撃力や素早さの他に防御力や体力も。けれどもジャスティンはその半分に才能がなかった。ジャスティンは騎士にはなれない。
それでもジャスティンは私を守るために最も強くなる道を選んでくれた。
「けど、私とジャスティンじゃフレイムドラゴンを超えられない」
「25階層か」
そう。25階層。
50階層のこの迷宮のちょうど半分地点には楔のようにフレイムドラゴンが待ち構えている。強大な力を持つ竜種。私とジャスティンじゃ超えられないことはわかっていた。だからせめてその炎を防護できる補助魔法使いか油断を誘いヘイトを集められるタンクが必要。
けれども私たちは大々的にパーティを集めることはできない。ギルドを通してパーティを募れば必ず身分が確認される。私は王宮の奥で病気に倒れていることになっているのだからパーティ募集なんてできるはずがない。そして私にもジャスティンにも一緒にダンジョンに潜ってくれる個人的な伝手というものはなかった。
だからウォルターが何をとち狂ったか新しいメンバーを募集しているらしいと聞いてアレクとソルを勧誘することにした。2人がいれば25階層を超えられる。
「そう。あのフィールドのボス部屋はフレイムドラゴンの巣。その直接攻撃を避けることはできても吐く炎で焼き尽くされてしまう。ジャスティンは正直言って私より防御力が低い。だからフレイムドラゴンが炎を吐いたら私もジャスティンも死んでしまう」
「大丈夫。マリーは俺の防壁で守る。俺はマリーとまた潜れるんなら何だって構わないぜ」
「どうも俺は暗殺者というものは好きにはなれないが、ともあれユニコーンを単独で倒せる腕前なら戦力としては十分だろう」
「ええ、良かった。ぜひお願い」
私は真剣に頼んだ。なのにソルはプッと小さく吹き出した。宿の明かりに照らされるその大きな瞳は少しだけ悲しそうで、魔法石みたいに複雑な色でキラキラ揺らめいていた。
「……マリーは本当にダンジョン攻略ばっかりだな、本当に。なぁ、なんでウィルとくっついたんだ?」
「それは……」
「なあマリー。ダンジョン攻略なんて諦めてさ、俺と賢者の塔にいかないか? 変なとこだけど楽しいよ」
「おいソル」
「そうか世界中を旅したっていいよね。いろんなものを見て美味しいものを食べてさ。マリーがダンジョンで作る飯も美味かった。また作ってよ」
あれ? このセリフに聞き覚えがある。
これ、これは。ひょっとして。心拍数が急激に上がる。
「ソル、マリオン嬢が困っている」
「黙れアレク。俺はもう後悔したくない。マリー。世界というのはこのちっぽけな国だけじゃない。この島を出ても不思議な世界は溢れている。万の光を満たす星空や幾層もの色合いを超えた先にある深海、あの太陽だって捕まえられるほどの高い雲のむこう。マリー、どうか俺と一緒に旅に出ましょう」
そう言ってソルは私の手を恭しく取った。
正直、酷く混乱していた。
これは『幻想迷宮グローリーフィア』でのソルのイベントのセリフ。前半は6階層の『星空の岩場』、後半は16階層の『流星の森』で発生するイベント。そして前にウォルターとダンジョンに潜った時はこの2つの場所に遭遇していない。だからイベントが起こらずフラグが立たなかった、の?
それでわたしはこの間『星空の岩場』に行った。だからフラグが回収されたとか、いやでも『流星の森』には遭遇していない。それになんだか意味合いがだいぶん違っている。ゲームではダンジョンを踏破したら、という前提だったはずだ。その前提が失われている。
一体何が起こっているの? それにそもそもここには宿の中で、肝心の見上げる星空は、ない。なぜ今のタイミング?
「ソル、そろそろ本当にやめろ」
「……そうだねごめん。今のは忘れて、いや、忘れないで。ダンジョンを倒したら俺はまた君に聞く。その時に答えをもらえたら……嬉しいな」
「……あの、マリオン様、続きを」
「そ、そうね」
ふと気づくと、ソルの瞳はいつもと同じ落ち着いた色に戻っていた。ジャスティンの目を見て気をとりなおす。今はとにかくダンジョンの攻略だ。いずれにしても。
「そう、それでフレイムドラゴンを倒すために一緒にダンジョンに潜って欲しいの」
「俺は勿論行くよ。マリーについて行くと決めた」
「……俺はそちらのジャスティンとの相性次第だ。同じ前衛職、動きがぶつかれば互いの行為を阻害することになる。一緒に行きたいのは山々だが一緒に行くことで弱体化しては意味がない」
「わかっています。だからこれからダンジョンに潜って確認したいの。それからあの、アレクとソルに新しい装備を作ってきました。これはお2人に合わせてしつらえ直したものですからパーティに加入頂かなくても買い取っていただけると嬉しいのです」
机の上に用意してきたマントとショートローブをとり出す。
もともとジャスティンと私がひとつ前に使っていた装備だけど、アレクとソルがウォルターのパーティを抜けるかもしれないと聞いて急いでサイズをお直ししたものだ。
「……変わった模様だな」
「薄そうだけど防御力が低くない?」
「そこは心配しないで。見て。このマントにはバフの呪文を縫い込んでいるの。しかも重曹的に複数の呪文を縫い込んでみたの。着ているだけで多少のバフ効果が期待できるはず。戦闘時にはバフをさらに重ねがけするから。ねえ、とりあえず着てみて」
ジャスティンよりアレクは大柄だから、マントは少しぴっちりしている。ソルも少しだけ丈が短い。でも継ぎ足す時間はなかったし。戸惑いながら2人は装備の具合を試す。
「見た目より重くないんだな。不思議に軽い。だが俺も強度が気になる」
「ハイヤードライアドの皮から作ったものだから強度には自信があるわ。フレイムドラゴンでも一撃は無傷で守れる、はず。それに素材自体に炎耐性があるの。それから速度強化の呪文を入れてあるから動きは格段によくなると思う」
「このローブ、やけにヒラヒラしてるんだね」
「ガーディアンスライムでコートしてあるから全体的に魔法補助とリフレクト効果が乗ってるはずなの。軽いし既存の軽鎧の上から着られるから楽だと思う」
そしてその効果はダンジョンに潜ってすぐに発揮された。




