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乾いた魂の叫び 1

「グラシアノ、頑張れよ」

「ありがとう、ソル」


 ソルが僕の頭を撫でた。

 ソルが闘技場に来るのはこれが初めてじゃないかな。これまでの試合の時にはいなかった。今日はいる。それはきっと次の試合の対戦相手がギローディエだからだ。不測の事態があればソルが介入する。それで僕とギローディエが戦って、僕が勝ったらギローディエから魔王を取り出す。

 でも多分それほど、すんなりとはいかないと思う。ベルセシオも僕が名前を呼ぶまで魔王じゃなかった。だから多分、僕がギローディエの名前を呼んで、ギローディエを魔王にしないといけない。そうでなければ、魔王を吸収できない気がする。マクゴリアーテが僕に魔王を譲渡してくれたのと同じように、多分魔王を吸収するにはその意志が必要なんだ。


 マクゴリアーテとスヴァルシンは、出会った時にすでに戦える状態じゃなかった。だから僕と一緒に行くことを選んでくれた。

 けれどもギローディエは多分、そんな人じゃない。今はすごくいいお姉さんだけど、本当の、というよりは魔王のギローディエはあんなにいい人じゃない気がするんだ。ベルセシオも魔王になった時、その前は眠りにつくのに了承していたようだったのに、雰囲気がガラリと変わって戦いになった。

 だから、多分、ギローディエが魔王になってから、もう一度戦いになる。

 魔王は魔王の特殊能力がある。

 ベルセシオも多分、魔王になって初めてあの岩の魔法を使った。僕も自分が魔王だってことがわかって初めてモンスターの動きを止められるようになった。

 両手のひらを握りしめる。

 ギローディエと戦う。あのお姉さんを魔王にして、殺し合いをする。なんだか、現実感がない。それは多分、ギローディエの魔王がまだ目の前にいないからだろう。

 それでも僕がダンジョンの奥底にある本当の魔王を倒すには、きっとギローディエを、その魔王を吸収しないといけない。


「グラシアノちゃん、今日はよろしくね」

「よろしくお願いします」


 最初にジャスが闘技場に登って僕が戦うことを宣言した。そしてジャスと交代する。アナウンスがそれを宣言すると、パラパラとした拍手と、頑張れよという声が聞こえた。

 僕が魔族だって聞くと最初は怖がられていたけれど、6回ほど戦って、だんだん好意的な声が増えてきた。ソルが言うには僕が子供の姿で、その魔族的な特徴も額から生える小さな角とハーフマントからのぞく細長い尻尾だけだからってだからだろうってことだけど。

 ギローディエの伸ばされた柔らかな手と握手すると、さらに拍手が沸き起こる。けれども当のギローディエは少し困惑そうに眉を顰めていた。

 僕たちは戦いたくない。もっというなら殺し合いたくない。けれども僕たちの中の魔王は本能的に互いの存在を許せない。だから心の底から戦いたい、という気持ちが湧き上がる。


「私が負ければ、この嫌な気持ちも無くなるのね」

「ソルはそう言っています」

「私、グラシアノちゃんと仲良くなりたいの。だってまだ一度も私の名前を読んでくれていないでしょう?」

「……はい」

「けど、私はグラシアノちゃんに負けたくないわ。ごめんなさいね」

「僕もです」


 僕がそう言うと、ギローディエはニコリと微笑んだ。負けたくない、もっというと負けられないというのはある意味本能的なもの。お互いの魔王は負けることを容認しないから。そして改めて距離をとる。

 ギローディエは長い髪を頭頂で一纏めにして、エント(樹木モンスター)系の繊維を編み上げて硬化させた頭冠にドラゴンの(なめ)し革を体に沿って縫い合わせた白い革鎧を身に纏い、右手にはスモールソードを構え、左腕には直径50センチほどのバックラー(丸盾)を装備している。

 僕はもう少し軽装で、ニーヘリトレの端っこを体に巻き付けて硬化させた使い捨ての軽鎧にグレーターワイバーンのハーフマント、それからショートソード。


 スモールソードとショートソードは同じくらいの長さだけど、前者は刺突武器で、後者は斬撃武器だ。ギローディエの攻撃は僕に対して直線的に伸びてくる。僕は盾は持ってない。いつも避けることを前提にしているから、ジャスと同じく。

 ジャスと稽古する時はいつも、本当に命のやりとりだ。ダンジョンだからモンスターとの戦闘も同じ。でも、この殺し合いを前提にしない試合というのものは不思議な感覚がある。これまでの5回は正直言って手加減が難しかった。けれどもギローディエなら拮抗してる。だから多分、力一杯やってよくて、なんだか少しだけドキドキした。握るショートソードが熱い。心のなかでいろんなものが渦巻いていて落ち着かない。


 呼吸を整え、僕から踏み込む。ギローディエが剣を持つ方、左側から回り込めば、ギローディエもふわりと距離をとりつつ後退し、等距離でぐるりと回る。

 間合い。なんとなく、相手のことがわかる距離。その距離であれば自分が有利なことがわかる距離。

 僕の間合いはものすごく狭い。でも自分の間合いが分かるってことは勝機を見つけられるということだ。ジャスの間合いはものすごく深い。だからジャスに勝つには掻い潜って隙を突くしかない。ずっとそんな稽古をしてきた。


 ギローディエの突きを交わしつつ、けれどもその突きは鋭すぎてなかなか近寄れない。こういう時はジャスはよく油断を誘った。ものすごく自然に。僕もうまくできるかな。

 体を低く倒して下から潜り込む。ギローディエの剣を僕の剣ではねあげて懐に潜り込もうとしても、スルリと後ろに下がって捕まえられない。


「グラシアノちゃん、素早いわねぇ」

「お互い、さまです!」


 その呼吸に合わせて薙ぎ払おうとしてもその出鼻を鋭い刺突でそらされて、僕の切っ先は宙を払うばかりだ。決定打は生まれそうにない。

 ギローディエの攻撃も僕に当たらないけど、余裕がありそうに見えるからきっと何か奥の手がある。先に仕掛けるか、カウンターを狙うか。体力は魔族の僕と大人のギローディエのどちらが多いかわからない。だから安易にスタミナ戦には持ち込めない。瞬発力は僕のほうがありそうだけど、全体的にはギローディエの方が速いから捉えきれない。とすればやはり、カウンター?


 足を止める。ショートソードを体の前に斜めに構える。ギローディエの観察するような視線を感じる。そして唐突に一転、ギローディエは鳥が風にのるように、ふわりと舞って距離がぐんと縮む。僕はギローディエを見極める。何かおかしな動きはないか。先程からもずっと観察していた。

 見つけた。

 先程までよりそのバックラーを装備した左腕がわずかに下がっている。何だ? 隠し武器? 僕にはジャスとソルとアレクがいる。あらゆるパターンの、考えうる戦法を考えた。

 盾を鈍器または押しつぶすための武器として使ってくる。

 盾の内側に別の武器を潜ませている。

 ギローディエとの距離はもう人1人分ほどしかない。鋭い刺突とともにギローディエは僕に飛び込んでくる。その視線が鋭く尖る。仕掛けるつもりだ。ショートソードを目の位置まで上げた。丁度ギローディエの目線の位置に合わせて。

 多分ギローディエは僕が避けるかスモールソードを叩き落とそうとすると考えるだろう。

 だから僕はギローディエの体全体から目を離さない。絶対に。

 その距離が腕の長さほどに迫った時、僕は気がついた。盾の端っこが光ってる。そうするとこれは、盾に埋め込まれた暗器の煌めき。盾に仕込まれた剣先はおそらく僕を殴るか押しつぶすように見せかけて、その剣先を伸ばしてくるはずだ。

 溜め込んだ力を足に込め、これまでにない速さでギローディエの懐に飛び込む。

 観察してたけど瞬発力は僕のほうが早い。

 けれども僕はずっと、この戦いの間、隠していた。だから僕のこの初速はギローディエの想定外のはずだ。ギローディエの瞳に僅かに戸惑いが見える。

 左腕でギローディエの剣の側面を弾きながら、盾が僕に到着する前にその懐に飛び込み喉元にショートソードを押し付け、勢いのままギローディエを押し倒す。目を見開くギローディエ。このまま刃を押しつければギローディエは死ぬ。僕がそう考えた瞬間、心臓が奇妙にバクリと大きく鳴った。


 このままギローディエの首を切断したい。


 そんな心の声が湧き上がる。

 ちょっと待って。僕はなんでそんなことを考えてるの⁉︎

 心臓、というより僕の中の何かがバリバリと音を立てる。急に僕の奥底の魔王が僕の心を大きく染める。ハァハァと妙な息が出て、心拍数が急激に上昇し、頭にわきあがる妙な高揚感と、なんだこれ、この気分。今、僕はものすごくギローディエを殺したい。心臓に刃を突き立てたい。喉が大きくゴクリと鳴る。ごちそうが目の前にあるみたいに。


「そこまで! 勝者。ゲンスハイマー家テイマー、ジャスティン・バウフマンと魔族グラシアノ」


 その声にハッとする。大歓声が巻き上がる。……僕は一体何をしようとしていたんだ。

 ふと見下ろすと、ギローディエは困ったように眉の端っこを下げていた。慌てて飛び退いて、手を差し伸べる。


「負けちゃったわ。グラシアノちゃんはとっても強いのね。それよりあなた、ひどい怪我よ。早く見てもらいなさい」


 ギローディエの視線につられて左腕を見下ろすと、左下腕が深く裂けていた。最悪の想定よりは全然マシな程度だったけど、見たら急に痛みが襲ってくる。

 スモールソードは刺突武器だ。攻撃は真っ直ぐにやってくる。だから先端の突きさえ交わせれば、その腹で傷つけられても大きなダメージにならないと思っていた。ギローディエを倒せればいいわけだから、最悪左腕が無くなっても帳尻が合うと思っていた。


「痛ッ!」

「もう、無茶するんだから。負けた私が無傷なのにもう」

「そうしないと勝てないと思ったし……それに治してもらえるんでしょう?」

「それはそうだけれど。あのね、グラシアノちゃん。今は試合だからいいけれど、そんな戦い方してれば身が持たないわ」


 身が、持たない?

 駆けつけてきた救護員に闘技場の脇で治療を受ける。ソルの魔法と違ってその傷を治すのに20分ほどの時間がかかった。普通はこうなのかな、いや、これでも選りすぐりと言っていた。そうすると普通のパーティでは戦闘中に治療をするというのは難しいのかもしれない。

 そうするとやっぱり、マリーのパーティは恵まれているんだな。


「グラシアノ、大丈夫か? 回復を重ねがけしてやる」


 ギローディエと一緒に闘技スペースから降りるとソルが駆け寄ってきた。ソルの魔法で少し重いと感じていた左腕がふわりと軽くなった。やっぱりソルはすごい。怪我をする前と何も変わらない。


「ソルタン、夜に39階層にいけばいいのね」

「ああ。念のため、武器防具を装備して来い」

「どうして?」

「もう一度グラシアノと戦うことになるかもしれない」

「私、今負けたばかりよ?」

「それでもだ」


 見上げた地平はわずかにオレンジ味を帯びていた。もうすぐ夜が来る。

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