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僕の後悔 2

「ベルセシオ?」


 一瞬ブロッコは怪訝な表情を浮かべ、動きを止めた。

 そして再び顔を上げ、その視線は僕をまっすぐに捉えた時、そこにいたのは確かにブロッコではなく魔王ベルセシオだった。先ほどと異なる強い感情が湧き上がる。そこにあるのは嫌悪、だと思っていた。けれども違った。それは焦がれるような強い希求。

 この人は僕だ。僕以外に僕が存在する。それはあってはならない。だから必ず吸収しないといけない。ベルセシオを前にして湧きあがったのはそんな感情だった。

 ベルセシオの目は悲しみに満ち溢れている。絶望のベルセシオ。魔王の悲しみの感情が込められた欠片。

 あれ、どうしてそんなことが思い浮かぶんだろう。


 ふいにベルセシオの両脇に鉱石の粒が浮かび上がる。

 しまった。行動が一瞬遅れた。

 考える余裕なんてなかった。

 あわててクネニの短弓から複数の矢を射出する。

 岩の半数は射出前に撃ち落とせた。

 けれども半数は矢がたどり着くより早く動き出し、風を巻き上げ回転しながら僕に迫った。

 慌てて左に避けて躱すとすぐそばで豪雨が降り注ぐように岩床を穿つ音が響く。

 いくつかの岩弾は至近を通ったのだろう、ヒリヒリと腕に熱を生む。

 視界の先のベルセシオの側には次々と岩弾が浮かび上がる。

 足元を踏みしめクネニの弓を構えて射出し、すぐさま横に飛ぶ。

 矢は岩弾の大半を撃ち落としたけれども、再び僕がいた地点に岩弾が降り注いた。そしてベルセシオのそばには新しい岩弾。


 まずい。

 一手の遅れを回復できない。

 防御に手一杯でベルセシオ本体に攻撃を加える余裕がない。

 いや、観測だ。防御は捨てる。

 岩弾は鋭い。下手なところに当たれば致命傷だ。

 けれども僕はこの弾を除けられている。

 だから、危険な軌道を取るものだけを打ち落とし、残りの矢はベルセシオに狙いをつけた。

 けれども僕の矢はベルセシオの前に突如発生した岩盾によって塞がれる。

 その岩壁は薄いようだけれど僕の矢を弾いている。

 なんだあれ、この矢は効かない? それじゃあどうしようもないじゃないか!

 再び降り注ぐ弾丸に嫌な感じがした。

 ふいにジャスティンに言ってたことを思い出す。狩りをする時は逃げられないよう袋小路に誘い込む。あわててそれまでと異なる前方に飛ぶ。

 ベルセシオは部屋の真ん中から動かない。けれど僕は右の奥まったところに誘い込まれていたことに気づく。


 ベルセシオの攻撃は当たらないけど僕の攻撃も防がれる。

 まさに一進一退だ。

 辛うじて避け続けていると、だんだん体が重くなって足がふらついて来る。

 僕の右腕に岩弾がかする。もつれる足に限界がくる。

 けれども先程、ベルセシオの岩弾の法則に気がついた。

 一旦発射されると目的物、つまり僕に向かって一直線で飛んでくる。カーブしたり追ってきたりはしない。

 それならば。

 軌道を予測し矢を放つ。

 矢は宙を進む岩弾を叩き落とす。

 大丈夫だ。全部撃ち落とせる。飛ぶものを狙う練習はジャスティンとたくさんした。思い出せ。落ち着けば大丈夫、きっと。

 そうやって凌いでいると、次第に岩弾の数が減り、勢いが落ちてきた。

 ベルセシオを見ると青い顔で肩で息をついていた。

 ひょっとして魔力切れ……?


 よく考えたらベルセシオは今初めてこの能力を使っているはずだ。そうすると熟練も全然していない。僕のクネニの短弓みたいに魔力を効率よく矢に変換する武器を持ってるわけじゃない。

 僕も足がふらふらであまり動けはしないけれど、魔力にはまだ余裕がある。

 このまま岩盾を出せないほど消耗させれば勝てる?

 やがて全ての岩弾が止まる。

 今だ。

 短弓をつがえて射出し、矢は薄くなった岩盾を貫通し、何本かがベルセシオの肩に刺さる。

 そしてベルセシオと目が合った。

 その目は深い悲しみを溜め込んだまま。けれども全然諦めていないことはわかる。


 ベルセシオの周りの空気が振動し、寄り集まっていく。

 そして1つの大きな塊に凝縮されていく。

 そしてベルセシオの頭上に直径1メートルほどの岩塊が形成された。多分最後の力を込めた岩塊。


 あの大きさじゃ矢では弾けない。

 どうしたら。

 いや、あれほど大きいなら遅いはずだ。さっきの岩弾よりスピードがでない、はずだ。

 僕の足ももうふらふらだけど、落ち着いて避ければいい。そのはずだ。


 その岩はわずかに回転を始め、予想通り僕に向かって真正面から飛び込んでくる。

 その岩は予想通り遅い。

 先ほどの岩弾よりも数段。

 そして弾道も直線的だ。

 けれども岩弾と比べ物にならない風圧を伴って向かってくる岩塊をギリギリでかわす。

 これで。ベルセシオの魔力は尽きるはずだ。

 そう思って顔をあげると巨大な岩の陰から飛び出したベルセシオが目の前にいた。至近距離だ。弓を構える余裕もスペースもない。まずい。

 強い衝撃とともにそのまま地面に押し倒され、頭を床に強打する。その両肩に盛り上がる筋肉、太い腕。ベルセシオはその腕の全ての力で僕の喉を万力のように締め上げる。

 息が詰まり血流が圧迫され、頭に血が上り続けて激しい耳鳴りが襲う。

 けれども一瞬だけ、それが緩んだ、気がした。


 今しかない。

 無我夢中で右腕をベルセシオの胸に突き刺す。僕の鋭い爪とそれに繋がる指がベルセシオの体内にずぶりと潜り込み、胸骨を破壊し、その心臓に到達し、握りつぶす。

 がくりと腕の力が抜ける。

 僕は魔族だ。素の力はドワーフより強い。

 同じくらいの体格なら細くても僕が勝つ。でも。

 ベルセシオは僕に馬乗りになったまま、げぶと血泡を吐く。そしてゆっくりと僕の脇に崩れ落ちた。

 ぐわんぐわんと揺れる頭と視界の中で、なんとか上体を起こし、力無く横たわるベルセシオと再び目が合う。


 ……勝った。

 本当に。胸部から大量の血を流して横たわるベルセシオに宣言する。


「僕の勝ちだ、ベルセシオ」

「は、ぁ、俺の、負けだ。そうか。そこにいるのだな、マクゴリアーテ。俺の、力を、グラシアノに、贈る。俺も、連れて行け」

「わかった。一緒に行こう。ベルセシオ」

『全ての絶望を祓い退ける糧を』


 その瞬間、ベルセシオの体から溢れ出した光が僕の体を覆う。ベルセシオの力が僕に流れ込み、僕という魔王とベルセシオという魔王が僕の中で溶け合う。その急激な変化に耐えきれず、意識を手放そうとした時、右腕を急に掴まれた。


「まだだ、グラシアノ」

「ソル?」

「スヴァルシンもだ」


 スヴァルシン……。

 目の前に緑色の宝石とナイフ。

 スヴァルシン、君も僕と一緒に行く?

 心の中の問いかけに、宝石は確かに瞬いた。そう感じた。ナイフで宝石を砕くと声にならないメッセージが確かに僕に伝わり、たくさんの光が溢れ出した。そして僕は意識を失った。


 僕はいつのまにか、ブロッコの生死より魔王の吸収に頭が傾いていた。

 というより戦いに入ってからはベルセシオを倒して吸収することしか考えていなかった。

 そのことに気がついたのは随分後のことだった。



 次に目が覚めた時、王都のマリーの家だった。身体中がみしみしと痛む。周りに誰もいない。

 ベッド傍の水差しから水を飲んでようやく落ち着く。窓から外を見ると明るい日差しが満ちている。

 何か変だと思った原因が分かった。視界がいつもより高いんだ。足元がふわふわする。なんだか変。髪の毛も肩より下くらいまで伸びている。


 あの洞窟で、ベルセシオとスヴァルシンを吸収したことを思い出す。

 今、2人は僕の中で眠っている。マクゴリアーテと一緒に。僕は2人の力を使えるようになった、のかな。よくわからない。大きくなった以外にあんまり変わった気はしないんだけど。

 軽いノックの後に部屋の扉が開けられ、ジャスティンが入ってきて目を丸くした。


「グラシアノ、気がついてよかった。大きくなって驚きました」

「あの、そんなに変わったでしょうか」

「そうですね、14歳くらいに見えます。でも中身は変わってなさそうでよかった。すぐに服を持って来ますね」


 ジャスティンが少し小さくなった気がした。僕が伸びたんだろう。

 渡された服を着る。サイズに余裕のある服で、着ることに問題はなかった。翌日と思っていたが、5日ほどたっていたらしい。

 その後はジャスティンと一緒に屋敷のみんなに僕が大きくなったと話して回った。ギルドにも行った。

 みんな不思議がってたけど、魔族だから、というよくわからない説明で納得してもらう。魔族でもいきなり年を取ったりしないと思うのだけど、ギルドで聞くと一定のタイミングで大きくなる魔族、というのがいるんだそうだ。僕はそれなのかな。よくわからない。

 マリーは今日はビアステッド家に出かけているらしい。ギローディエもビアステッド家に戻ったのかな。

 まだ魔王じゃないエルフの魔王。正直、会わなくていいことにほっとしていた。


「あの、ジャスティン」

「何?」

「ブロッコはどうなったの?」

「ブロッコはあの洞窟で眠りにつくことになりました」

「あの、その」

「グラシアノは心配しなくていい。そういう運命だったんです。それに今はあの洞窟でヤークが見守っている」


 ヤークが?

 ヤークはブロッコの死を預かると言っていた。僕はベルセシオ、いや、ブロッコからベルセシオの力を吸収した。そうすると、あのベルセシオの中にはベルセシオ以外にブロッコがいた、ということなのかな。確かにブロッコはベルセシオじゃない、と思う。

 僕らは一体何なんだろう。


「さて、帰ったら弓の練習をしましょうか。それだけ背丈が変われば感覚もだいぶん違ってくるはずだ」

「そういうものなんですか?」

「ええ」

「あの、ジャスティンは僕が気持ち悪くないですか?」

「ないですよ。何故です?」

「何故って……急に大きくなったり」

「あぁ。でもそういう魔族なんでしょう? いきなり私より大きくなってしまったら立つ瀬がなくなりそうですけど」

「魔族は人間に嫌われるものでは」


 ジャスティンは僕の頭をぽんぽんと叩いた。僕はだいぶん大きくなったけれど、それでもジャスティンのほうが30センチほどは大きい。

 フードがずれて角が飛び出た。まだ明るい往来には人が溢れ、僕を見た人は僕の角を見てびくりと体を硬直させ、そして首元の奴隷紋を見て胸を撫で下ろし、嫌そうに通り過ぎていく。 

 これが普通の反応だ。なのにみんな仲良くしてくれる。ジャスティンは僕の肩を引き寄せ微笑む。

 

「グラシアノはグラシアノです。人の中にもいい人間も悪い人間もいる。私はグラシアノがいい子だと知っている」


 僕がいい子……。いい子なのかな。僕はベルセシオを殺した。それち僕はジャスティンに隠し事をしている。


「僕は……本当は魔王なんです」

「そうですか」


 そうですか?

 見上げたジャスティンは変わらず微笑んでいた。


「信じてない?」

「いいえ。信じます」

「どうして?」

「どうして? 私にとってはグラシアノが魔王でも賢者でも変わらない。グラシアノはいい子です。グラシアノが地上に出てから、自分が魔族であることを気にするようになったことは知っていました」


 僕が?

 気にしてた、のかな。

 そうかもしれない。初めて会った人は僕を避ける。それで僕はやっぱりまだ地上にいちゃいけないのかなと、少し思って。


「グラシアノは魔族だから私たちと一緒にいるわけじゃないでしょう?」

「それは……マリーのパーティがダンジョンの最下層を目指しているから……」

「そうですね。一緒にダンジョンを倒しましょう」

「でも僕は……」

「グラシアノ。私にもあなたにもダンジョンを倒す目的がある」

「目的?」

「そう。それには魔族とか魔王とか、そんなものは関係ないと思いませんか」


 ダンジョン討伐に?

 確かにそれは関係ないとは思うけれど。


「でも、種族はダンジョンを倒す以前の問題ではないでしょうか」

「……パーティによっては同じ種族しか加入できないところもあるでしょうね。けれども私たちは違います」


 ……みんな僕が魔族と知っている。それでも一緒にいることを許してくれる。

 ソルとアレクは僕が魔王であることも知ってる。アレクは信じてないみたいだったけどソルは信じている。

 けれども。それでも僕は魔族で魔王でみんなに嫌われるべき存在で。


「今のはグラシアノのとっておきの秘密ですね?」

「……ええ、まぁ」

「では私もとっておきをお話ししましょう。誰にも秘密です。マリオン様にもアレクやソルにも」

「はい」

「実は私はマリオン様の従者なのです」


 従者?

 そんなことは秘密でも何でもない。みんな知っている。ジャスティンは歩みを止めて僕の耳元で小さな声で囁く。


「そして私は、私が魔王を倒せたら、マリオン様に求婚します」

「あの、それは秘密にすることなのですか?」

「ええ。秘密です。絶対に」

「どうして?」

「私は、こういってはなんですが、必死で鍛えています」

「ええ、知っています」


 ジャスティンは暇さえあればずっと稽古をしている。その姿を僕は垣間見ていた。いつ寝ているんだろうと思うほど。何もしていないように見えても何かをじっと観察し、感覚を研ぎ澄ませている。今だって。

 ジャスティンは再び顔を上げて歩き出し、僕は急いで追い縋る。


「今、マリオン様のお立場はだいぶん回復されていますが、一時期は酷い状態にありました」

「酷い?」

「えぇ。マリオン様は自らのお力で現在の地位を回復されました。そしてダンジョンを倒せば、誰も何も言えない地位に登られます。第一王子に求婚されても皆に祝福されるほど」

「第一王子?」

「ええ、誰でもね。だから私と結ばれることはないのです」

「どうして?」

「どのような地位でも望むがままです。なのに既に手に入れている私を望む意味がない。私はすでにマリオン様の従者なのですから。そんなものは愚か者がする行為です」

「そんな……」

「でもね。もし私が魔王を倒せたならば、私は1人で世界を渡れる特別になれるでしょう。ソルやアレクと同じ特別になれる。身分や地位など関係のない存在に」

「身分や地位?」


 ジャスティンは再び僕の頭を撫でた。


「魔王だとか、魔族だとか、そんなものはどうでもいい。特別か、特別じゃないか、です」

「特別?」

「ええ。全てを蹂躙できるほどの力を手に入れられれば、何をしても許される」

「ジャス?」

「私は魔王を倒して、ゲンスハイマー家に仕えるバウフマン家の従者ジャスティンとしてではなく、ただのジャスティンとしてこの世界を渡ります。あなたも魔族とか魔王とかではなく、ただのグラシアノとして世界を渡ればいい」

「ただの、僕」

「だから一緒に特別になりましょう。グラシアノが気にしていることが何かは私にはわかりません。けれども特別になれば何も恐れることはない」

「僕は……魔王を倒せるかな」

「倒しましょう、一緒に」

「うん」

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