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帰還

「ただいま帰りました、母上」



平民がよく着る生成りのシャツに茶色のズボン、編み上げのブーツを履いた青年は、恭しく礼を執りながらも、にこやかに王妃殿下に声を掛けた。その所作は平民が付け焼き刃で身に着けたものではないと分かるくらい立派なものであった。


「スティーヴン?本当にスティーヴンなの?」


その名は王妃殿下の最愛の息子の名前。青年の髪は銀色で、遠目からは見えないが瞳は紫色なのだろう。宰相がエヴァンジェリンを探す際に地方で見つけた青年が、死んだとされた第二王子だったと報告してきたのは半月前のこと。半信半疑で面会を許せば、本当にスティーヴンに瓜二つの青年がやって来たのだ。


「はい。長らくお側を離れた不孝をお許しください」

「信じていました!貴方はきっとどこかで生きていてくれるはずだと、私はずっと」


王妃殿下は椅子から下りて、青年に近づいて抱きしめた。父上もまた玉座を下りて、青年に抱き着いたのだ。周囲の護衛達が止める隙もなかったが、父の近衛の大半はスティーヴンを知っている者ばかりで、警戒も薄かったのだろう。


「よくぞ帰って来てくれた、スティーヴンよ」

「ち、父上。お召し物が汚れてしまいますよ」

「そのような些末なことを言うな。死んだと思っていた息子が帰って来てくれたのだ。これほどの喜びはない」


抱きしめられたスティーヴンは父の装束に汚れがつくことを気にするが、照れくさそうな顔で喜んでいた。それから場所を控えの間に移すと、家族の距離は更に近くなる。


「よく帰って来てくれた。スティーヴン」

「ただいま帰りました、兄上」


スティーヴンは昔と変わらない笑顔を向けてくれる。そうして卓に着けば、幼い頃に好きだった菓子を出され、『甘いものは久しぶりです』と嬉しそうに頬張る姿を皆が優しい顔で眺めていた。


「どうしてすぐ帰って来てくれなかったの?貴方がいたのは王都から3日ほどの村だったのでしょう?」

「あの時、崖から落ちて川で溺れたところを村の老夫婦に助けられました。一週間ほど意識が無かったそうで、村の医者には奇跡だと言われました。そのせいで、つい最近まで記憶を失くしてしまい、帰って来ることができなかったのです」

「まぁ、何てこと……」

「幸い、老夫婦は私を本当の孫のように可愛がってくれて、私も孫として彼らの生活を助けようと農民として働いていました。慣れぬことも多くて、常識も無い私でしたが、段々と慣れて今や村でも一、二を争う稼ぎ頭なんですよ」


爽やかに笑ったスティーヴンの体は、畑仕事で鍛えられたのか精悍であった。一つ年下ではあるが、既に身長も私を越えている。まるで父の若い頃のようだと旧臣達は誉めそやした。


「それで丁度二ヶ月前にエヴァンジェリンが村にやって来て、私はようやく自身の身の上を思い出したのです」

「エヴァンジェリンが!?」

「あの子は無事なのッ!?」

「はい。私と一緒に宰相閣下に保護されました」


宰相はスティーヴンを見つけたというだけで、エヴァンジェリンを保護した話は上がってきていない。それは父達も同じようで、腑に落ちないと言った顔で近くに控えていた宰相を睨みつけた。


「何故言わなかったのだ……」

「エヴァンジェリン様は現時点では貴族籍は無く、彼女の保護者は監督を放棄しました。更にはクロード殿下から不興を買っている身です。改めて陛下からお許しをいただければと愚考致しました」


そう言われてしまえは私に返す言葉などない。此度、エヴァンジェリンが放逐された最たる原因は婚約解消を匂わせた私の責任だ。


「父上。彼女はまだあの家にいたのですか?」

「すまない。侯爵は表向きは金を掛け、教育を受けさせていた手前、権力を盾に呼び寄せることはできなかったのだ」

「いいえ。父上の苦悩を私は理解しております。ただ一度でも国王が己の心の赴くままに権力を振りかざせば、それは臣下に不信の種を植え付け、いずれ大きな反発を生むことでしょう」


父上とスティーヴンの話はまるで意味が分からない。


「辛い思いとは一体……」

「デイヴィス伯爵が言っていたであろう。アシュフォード家に後妻が入ったのはエヴァンジェリンが二つになる前だと。以来、エヴァンジェリンは父親とも義理の母親や妹とも食事の席を共にしたことはなく、使用人達に世話をされて生きてきたのだ」

「そんな馬鹿なッ――」


ダルシニアはそんなことを言っていなかった。ずっと姉を慕う気持ちを私には告げていたではないか。


「茶会や舞踏会に出席する際のドレスも、次期王子妃が着るには余りに貧相な既製品を用意し、エヴァンジェリンに何度恥をかかせようとしたことか」

「そんなことはありません。エヴァンジェリンはいつも美しいドレスを着ていました」

「あれは王妃が贈っていたのだ。スティーヴンはエヴァンジェリンが嫁ぐまでの一切を不自由させないようにと常々言っていた。スティーヴンがいなくとも、せめてその願いだけは叶えてやりたいという王妃の願いを私が認めたのだ」


思い返してみれば、あの女のドレスのデザインはその都度違えど、必ず銀色か紫が入っていた。


「父上、母上。格別な御配慮、誠にありがとうございます」

「よいよい。そなたが無事に帰ってきたのだ。今度こそそなた自身で守ってやれば良い」

「エヴァンジェリンは私の婚約者です!」

「婚約者にドレスを贈ることもなかった男が、婚約者を名乗るか……」


ジロリと父上の鋭い眼光にねめつけられる。


「そして、その婚約を手前勝手に破棄しようと画策したのは、そなた自身ではないか」

「それは……」

「そなたが密かにアシュフォード家の次女と会っていることは報告を受けていた。しかし、不貞の事実は一切なく、内容もありふれた世間話に過ぎなかったことから、そなたの判断に任せていたのだ」

「……」


ほとほと愛想が尽きたと言わんばかりの物言いに、背中に冷たい汗が流れた。父上から、このように邪険にされたことなど一度もない。私とスティーヴンとを分け隔てなく愛してくださっていたのに。


「そもそも、後妻は伯爵が言ったように娼館で働き、そこで娘を産んでいる。娘の養子縁組は認められたが、後妻とはエヴァンジェリンがそなたと婚約するまで婚姻関係になかった」


つまりは庶子だ。国法では庶子に相続権はない。貴族籍を得たところでダルシニアの自由になるものなど何もない。


「アシュフォード家はエヴァンジェリンが王家に嫁いだ後、当主の座を弟に譲り、領地に隠居をするという約束の下で平民との婚姻を許したのだ。こちらが甘い顔をすればつけ上がりおって……」


苦々しい顔で父上は呟く。私の知らないことばかりで、もはや何が真実なのか分からない。

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