肆-5 ff0000_読心
サトイさんの沽券のために、ルキの口からは聞けない事情があるらしい。ただ、その後、とある人物の口からなら聞くことができるとルキが言い出し、ボクたちはその人の元へ向かうべく、ルキが所有する手動運転の車に揺られている。
「なぁ、この道、食料調達に行く道だろ。」
「ビンゴ。タカさんね、前にAクラスにいたのよ。」
「えっ!?そうなのか。どおりでルキが親しげな訳だ。」
ルキはAクラス以外の人間には超ド級の塩対応だ。否、よく考えれば、10代の女が親でもない壮年の男性に親しげにするのには理由があるはずだ。タカさんという老人に関しては、元Aクラス、という理由があったようだ。
「さ、言ってる間に着いたわよ。」
いつも通り、車ごと建物の中に入り、ルキがエンジンを切る。ガレージの奥にある小さな金属製のドアから緑のエプロンをした老人がぬっ、と現れる。
「おや、今日はミズチくんと一緒かね。」
「そうなの。ねぇタカさん、今日はミズチにちーちゃんの話してあげて。」
「おや、サトイくんの居ない所でそれはよくないんじゃないのかい?」
「だからタカさんのとこに来たのよ。」
「…。全く…どっちみち怒られるのに…。」
ルキはよろしく~と言って左手をひらひらと振り、食品棚のある部屋へ消えていった。タカさんと呼ばれる老人は右手でちょいちょい、と手招きをする。ボクはそれに従って老人と一緒に、先ほどその老人が出てきた部屋へ入る。
部屋には丸いローテーブルと音楽をかける大きなコンポが1つ、引き出しの沢山ついた棚があり、所狭しと部屋中に様々な日用品が散乱している。ボクは促されるまま、ドアのすぐ側にある小さなマットの上で靴を脱ぎ、ローテーブルの一角にあぐらをかいて座る。それに続いて老人がボクの正面に着座した。
「さて、なにから説明しようかね。いや、自己紹介がまだだったね。儂はタカラという。漢字は宝物の宝だ。」
「あ、饗ミズチです。いや、こないだ名前言ったか…。あ、えと、宝さんだから、タカさんなんですね。」
「うん。」
「……。」
3秒の沈黙。
「で、どこまで聞いてるんだね。」
「えっ、えっと、サトイさんは珍しい抗体をエンラージメントできる、という話は聞きました。」
「ほお。じゃ、なんでサトイくんがA隊に入ったかってところだね。」
「はい。」
宝さんは一瞬斜め上を見上げたが、顔の向きはそのまま、目線だけボクの方に向け、話を続ける。
「サトイくんはね、10年程前、ルキに命を助けられてるんだよ。」
「命を……。」
「でも、サトイくんがAクラスへ入った頃はかなり険悪な感じだったんだ。」
「えっ。今はとてもそうは見えませんけど…。」
「あの頃はまだ人間がコンタギオンに対応し切れていなくて、街のそこかしこで死傷者が出ていてね。ある時、かなり強いコンタギオンが出現したんだ。儂もルキも直接作戦に加わっていたんだが、サトイくんの家族は、儂はらが到着した頃には手遅れだった。」
10年ほど前にこの辺りで出現したかなり強いコンタギオンといえば、SARSウイルスのことだろう。SARSは元々人間の細胞を乗っ取り、その細胞を使って自己複製をするウイルスだ。コンタギオンとなったSARSは、人間の傷口や粘膜から体内に侵入し、人間のタンパク質を丸ごと奪って、一回り大きくて強いコンタギオンに変化する。ゴロゴロと転がるSARSのコンタギオンが人間を捉え、口や鼻からぬるりと侵入して、しばらくすると人間の形がぐにゃりと崩れて新たなコンタギオンが作られるのだ。
「サトイくんだけはSARSには捉えられていなかった。だが、さっきまで家族だったものにサトイくんも襲われる直前だった。」
「それを、ルキが排除したんですね。」
「ご明察。サトイくんは、目の前でルキに家族…だったもの、を殺された形になった…。」
「……。」
「で、儂がサトイくんを保護したんだが、左手の1部に小さなSARSコンタギオンが付着していてね。コンタギオンから逃げる時に出来た傷口を狙われていたんじゃなかったかな。」
「えっ、少しでもコンタギオンが侵入すれば、全身侵されていくんじゃないんですか?」
「それがね、今は承認されてないんだけど、侵食を止める裏技があるんだ。」
「裏技…。」
「そう。ミズチくんは、ルキの抗体を見たことがあるかな?」
「はい。樹状細胞も。」
樹状細胞も見たことがある、ということは言わなくてもよかったが、敢えて言ってみた。サトイさんが『見せなくてもよかった』と言っていたのがどうしても頭の片隅で気にかかっていて、第三者の反応を見てみたかったからだ。そして、その判断は間違いでもあり、正解でもあった。宝さんの眼光は一瞬にして鋭く変化し、眉間に皺を寄せ、声色が落ちる。
「なに?キミは彼女の『アレ』を見たことがあるのかね?」
「…はい。DCシステムについても、大体は…。」
「……ほぉ………。」
宝さんはゆっくりと瞬きをする。3回瞬きをしたところで、表情がぱっ、と明るくなり、あっはっは、と笑い始めた。
「ははっ、なるほど、ミズチくん、えらくあの子に気に入られたね!」
「えっ…?」
「ルキもね、色々あって、滅多に人を信用しないんだ。恐らく、樹状細胞について知っているのは10人に満たないんじゃないかな。」
「かなりの機密情報ですね。」
「いやぁ、別に。絶対に秘密にしなければならないということもないが、悪用防止を考えれば、自然と事実を知る人間を絞るんじゃないかな。」
「悪用防止…。」
「そうさ。あの子の技術や体を悪用されれば、日本が終わるからね。」
「……なんだか大きな話ですね…。」
話の規模が壮大すぎて目眩がしてくる。宝さんは元の神妙な調子に戻り、続ける。
「サトイくんはルキがその情報を喋ったこと、気に入らないだろうね。」
「…らしいですね。」
「だが、それもサトイくんなりの優しさだよ。キミにはあまり情報を与えず、いざとなれば民間人に戻すつもりすらしているかもしれない。」
確かに、そう言われてみれば、その考え方もある。ボクはAクラスの中で仕事を任されるどころか、ルキのサポートをしていることを驕っていたのだ。あれはボクにとって、知るべき情報であった、という理解が先走り、サトイさんの発言を飲み込めていなかったのだ。
宝さんに樹状細胞の話をふっかけてみて正解であり、間違いであった。サトイさんの言葉を理解することは出来たが、ボクの心には一抹の寂しさのような不安が芽生えたからだ。
ここで、宝さんはふと思いついた様子で、ポケットから旧型の端末を取り出し、ついつい、と画面を操作する。1分ほどなにやら画面を読み込んでいる。ボクは手持ち無沙汰になり、部屋にあるものの観察をしていたが、再び宝さんが話し始めたので、視線を戻した。
「しかし、キミ。キミも特殊体質らしいね。」
「えっ?あ、ええ。エンラージメントできる抗体がひとつもないらしいです。顆粒球とかも全くダメで…。」
「うん。そうね。キミはね。民間人には戻れないと、儂は思うな。」
「…?」
「キミは自分のことを、ルキとちょっと仲がよく、それをサトイくんによく思われていない、位に思っているだろう。」
どうもこの老人は全て解っているらしい。ボクはバツが悪い表情をすることしか出来ない。宝さんの声はボクを落ち着かせるように、ゆっくりと続く。
「キミはかなりの特殊体質だ。レベルで言うとルキと同じ。」
「ま、まぁそうですね。ルキと真反対です。」
「いいかい。ルキは総長、サトイくんは副総長だ。」
「…?…はい。」
「サトイくんは、キミが超超超〜重要保護対象だということを理解していない。今までのAクラスの子たちと同じように、出来れば家に返してやろうとさえ思っているくらいだ。甘すぎる。」
宝さんの声に凄みが増す。
「ルキは、その点、理解しているようだ。キミを解放することが叶わないと分かっているから、相当力を入れて育てようとしているみたいだね。」
「育てる…ですか。」
「そう。これはあくまで儂の憶測だが、サトイくんレベルのポジションに仕立て上げようとしていると思うな。」
「サ、サトイさんですか!?無茶ですよ!」
「……キミ、このままだと死ぬぞ。」




