壱-6 25b7c0_任務
気が付いた時には日差しは月明かりになっていた。午後の仕事をすっぽかしたようだ。
慌ててまだ片付けていない鞄から時計を取り出して見ると、時刻は11時半を少し回ったところ。
はぁ~とため息を吐くとそれに呼応するように腹が鳴った。寝ていただけで腹が減るとはなんとも情けない。否、それなりの時間食べていなかったのだからしょうがない。
そろりとドアを開けると、リビングの電気は消え、しーんと静まり返っていた。
足音を立てないようにキッチンへ向かう。勝手に開けていいのだろうか、と不安になりながらそ~っと冷蔵庫を開けると、サンドイッチにメモ書きが乗せてあった。
「『アイくんへ、夕ご飯です。僕たちは仕事に行きます。』」
こんな遅い時間に仕事か…。お飾りかと思ったが大変なんだな。ボクは寝てしまったことを猶更後悔した。
がんっ、がたがたっ、がこっ。
突然大きな物音がしてボクは手に持っていたメモを放り投げてしまった。
「し~っ、ルキ、アイくん寝てるんだから。」
どうやら二人が帰ってきたようだ。
「すいません。起きました。」
と声をかけると、ルキが軽い悲鳴を上げ、
「…っくりしたじゃないの!こんにゃろ~。」
と言い放った。そして全身が淡く白い光を放ち、暗闇に浮き上がる。
「ちょ、ルキ、部屋壊れるから。」
ボクではなく部屋の心配だった。サトイさんの声がするとルキはまた暗闇に消えていった。
「す、すいません。」
ぱっと明かりがつくと、そこにはただの美少女と美青年が立っていた。
「は~もう今日は疲れたわ。明日は一日休みにしよ~っと。」
「はいはい。」
訂正、わがままなお嬢様とその執事だ。
「あの、寝てしまって、すいませんでした。仕事、どうしましょう、ボクすっぽかしましたか?」
「あ~大丈夫だよ。仕事の内容は明日説明しよう。今日はとりあえず解散。」
「じゃあ、夕飯いただきます。あっ、片付けはしておくので。」
うむ、と言ってほとんど寝ているルキさんを抱えて寝室に入って行った。と思ったら少しドアが開き、サトイさんの顔が見えた。
「お風呂は自由に使っていいよ。じゃあまた明日。始業はそうだな、10時ころにしようか、ルキも疲れたようだし。」
「わかりました。お休みなさい。」
「うん、おやすみ~」
がちゃり。……ん?あの部屋はルキの寝室だったような…。サトイさんも入ったぞ?
余計なことを考えるのはやめよう。とにかくボクはサンドイッチを平らげることに専念した。
片付けと風呂を済ませ、再びベッドに転がった。
昼間たくさん寝たので眠れないかと思ったが、瞼はどんどん重くなる。辛うじて抗い、目覚ましをセットする。始業時間は意外とルーズだな、なんて考えているうちに意識は遠のいた。
ぴぴぴぴぴぴぴぴ。2日目の朝はお気に入りの目覚まし時計でスタートした。軍の生活になったらてっきり時報で起こされるものかと思ったが、ここはほぼ軍ではない。
昨日からほとんど放置だったケータイに目をやると、地元の友人からメッセージが届いていた。
「『おう!お偉い軍隊の生活はどうだ?俺も上京して仕事してるが、なかなか大変だ…。同僚から聞いたんだが、どうもミズチが配属されたとこはこき使われてみんなやめちまうらしいな。くれぐれも注意しろよ!』」
う~ん、というかボクみたいに理想と現実のギャップに驚いて、最後には耐えられなくなるだけじゃないだろうか。それとも本当にこき使われるんだろうか。
と思いつつケータイの電源を落とし、支度をして自室を出ると、パンの香ばしい香りが漂ってきた。
「おっはよ~ミズチ!昨日のヨウカン、パンに合うわね!」
朝ごはんはどうやらサトイさんが準備したらしい。始業時間の1時間前なんだけどな…。もう少し早く起きるべきだったか…。
「おや、おはよう。さぁ朝ごはんだよ。」
オカンか。口に出そうだった。危なかった。真っ白で汚れひとつない軍服とトースト、今日、再び見ても非常に奇妙な組み合わせだ。今日もきっちり整えられて皺ひとつない服にイケメンが良く映える。
しかしどうしてこんなに仕事ができるサトイさんがAクラスなのだろう。やはり親が幹部とかなんだろうか。そもそも何歳くらいなんだろう。
「アイくん。このヨウカン、美味しいね、ありがとう。」
また心を読まれたかと思ったが、羊羹だった。
「いえ、お口に合ってなによりです。朝食の準備はボクの仕事ですよね、明日からもう少し早起きします。」
「いいんだ、ルキは君にお世話をさせるといってるけど本来は僕の仕事だからね。」
やはりこの人は執事なんだろうか。元帥様のお嬢さんなんだから執事のひとりふたりいてもおかしくない。
「あの、サトイさんはどうしてAに?」
「ん~まぁいろいろあってね。」
「そ、そうですか…。」
何歳なのかを先に訊けばよかったと後悔した。この後に年齢は訊きづらい。
結局朝ごはんは片付けだけを担当して、サトイさんについてはなにも分からなかった。
「さぁ、10時になった。始業といこうか。」
「今日は休みよぉ~。」
「ルキはね。僕はたくさん仕事がある。」
ルキは昨日激しい闘いを映し出した画面の電源を付け、テレビゲームを始めた。
「昨日はばたばたしていて申し訳なかったね、まず軍の仕事について説明しようか。」
「わかりました。」
制服が実家に届いてから幾度となくシミュレーションしたので、胸ポケットからメモを出すのはお手の物だ。
「基本的にG、Lクラスは最初の2年はほとんど訓練に費やすんだ。ここでやめてしまう人も多い。希望するなら訓練に参加することもできるけど…どうする?」
「遠慮します。」
即答である。
「まぁ、訓練の中の演習なんかはルキも参加してるから見学すると気晴らしくらいにはなるかもね。」
「月1だけどね。」
視線はゲームの画面にへばりつけたまま、ルキが口を挟む。
「訓練を終えた戦闘員は全国の居住区にある基地、Lnodeに配属される。街の至る所に設置してあるDCシステムがコンタギオンを検知して初期的な攻撃をするんだけど、これで対処できなかった場合、昨日みたいに戦闘員が駆り出される。その後は覚えてるよね?」
「非特異的な攻撃をするGクラス戦闘員、特異的な接近戦を行うLクラス戦闘員、抗体を応用した遠距離攻撃を行うLクラス戦闘員の順に駆り出される、ですか?」
「そうだね。たまに遠距離攻撃を先に行うときもあるけどね。コンタギオンの腕が長いときとかになるかな。」
ふむふむ。とメモに書き連ねる。
「ちなみに接近戦を行う戦闘員はキラーTと呼ばれているよ。もともとは病気に対応する種類のT細胞が感染してしまった細胞を殺す仕組みだからね。同様にキラーTはコンタギオンに特異的な傷害性T細胞の力を応用できないといけない。」
「するとボクは、それもひとつも応用できないということですね。」
「そうだね、対応できる種類はMHC適応の数と同じなんだ。」
今さら驚かない。
「物理攻撃は自力で免疫を応用するんだけど、昨日一瞬ルキのを見ただろう、だが、抗体は専用のデバイスを通してエンラージメントされる。」
「なるほど…。」
ルキを怒らせるとコンタギオンを殴るレベルで殴られるということになるな。くれぐれも注意しよう。
「MHC適応数が多く、強力な抗体を作れる隊員はB隊と呼ばれるよ。」
「抗体を産生するのはB細胞だからですね。」
知っている知識は意地でも披露しないと。
「僕たちの主な仕事は、戦闘員がきちんと討伐できるかを見届けたり、指令を出したりすることなんだ。」
「総帥が出すものじゃないんですね。指令とか。」
「パパはなんにもしないわ。昨日昇格させてあげるって言ったけど、あれもウソ。パパとは半年くらいしゃべってないわ。」
とても悲しそうでもあり、怒りのような感情も混ざった声。かと思うといつもの明るい声に戻る。
「ま、ここでは階級なんか関係ないわ。」
「仕事をきちんとこなせば昇格できるよ。そこでだ、アイくんにはとりあえず僕の仕事を手伝ってもらうことになる。」
「どんな仕事でしょう?」
「ほとんど事務作業だよ。戦闘員の配置が適切に行われているか最新の記録をチェックしたり、出現したコンタギオンの記録をまとめたりね。」
なるほど。これはボクに向いてそうな仕事だ。