弐-18 e29399_母親
「珍しいですね。ついこの前も、若い男の方が相談に来られたんですよ。」
「若い男が来るって、珍しいんですか?あ、そりゃそうですよね。みんな大学に行きますもんね…。」
まさに、苦笑である。
「もしかして、その人ってカワギシという名前じゃなかったですか?」
「あら、お知り合いなんですか?」
カワギシ君はどうやら軍の試験を諦めて就職するようだ。だからこそお母さんは怒っていたのだろう。
「そちらの方は、結局大学を目指されるそうですよ。」
「そうなんですか。ボクもそうしたほうがいいですかね。」
「そうですねぇ。こちらでも少し探してみます。」
いい仕事があったとき連絡してもらうように、ケータイの番号をお知らせし、今日のところは引き上げることにした。
「お手間取らせてすみません。ありがとうございました。」
「いえいえ、仕事ですから。」
ボクは結局手ぶらで帰ることになった。とんだ無駄足だ。とぼとぼと帰路をゆく。
途中、商店街でコロッケでも買って帰ろうと思ったら、なんと商店街が全て閉鎖になっていた。コンタギオンの影響は、もうこんなに拡大しているんだ。気付いたら少し日が傾いてきている。ボクは急ぎ足で家に向かう。
曲がり角を曲がると、家が見える。今日は定休日なので、店の明かりはついていない。がちゃりと鍵を開け、玄関に入る。
「ただいまぁ~。」
靴を脱いでいると、居間の方でなにやら足音がする。玄関にある靴の数からしても、母親と父親は帰ってきたようだ。
「かあさん?今日ミヨコさんとの約束してたん……ってどうしたんだよ…。」
ふたりとも、玄関から居間へ向かう廊下に、ボクのことを通せんぼするような感じで立ちはだかる。
「親父?かあさん?」
無言で居間のちゃぶ台周りに座るよう促される。
「どっ、どうしたんだよ?」
「ミズチ、あんた、軍隊さ、どうしてやめてきたんけ?」
「えっ、ど、どうしてって、こっちが聞きたいよ。急にどうしたんだよ。」
一瞬、しん、と静まり返る。いやな予感がする。
「答えろ。」
親父が短く言葉を投げる。
「えっと、その、向いてなかったみたいで…成績が…よくなくて…。」
「いやになって辞めた訳じゃないってことけ?」
「えっ、うん、まぁ、そういうことになるかな。」
いやになったわけ、ではない、よな?自分でもどれが原因なのか分からない。向いてなかったのも事実。殺されそうになって逃げてきたのも事実。迷いつつ返した答えは、どうやら正解を引き当ててしまったようだ。
「そうけ。実はな、ミズチ、あんたに軍隊さんが戻ってこんかちゅうて、お誘いが来てるっちゃ。」
「そっか。ちょうどいいや。今日も仕事探しに行ってたんだ。」
ん?んん?まさか…まさか?いや、落ち着け。いや、無理だ。ん?待ってくれ、ボクが軍に戻る?つまり?ルキのところに?いや、まってくれ、いや、そういう運命か?あまりにも残酷では?ちょっと待ってくれ。待て待て待て。いや、嘘だろ。嘘と言ってくれ。
「今朝、急に軍隊さんに呼ばれてな、慌てて行ったら、お宅のミズチくんをもう一度雇わせてほしいって話だったのさ。」
お母さま、それを承諾してしまったのでしょうか。
「それでな、ミズチ、あんたなしてけぇってきたか言わねぇから、ミズチがいやになってけぇってきたんなら、もうお断りしようと思って、一旦持ち帰らせてもらったのさ。」
なるほど。つまり、ボクは、どはずれを引き当てたようだ。なに?先ほど正解を引き当てたと言っただろうって?まぁ、待ちな。
誰に説明しているんだ…。わかってはいたがこれは、軍に戻される、つまり死刑宣告だ。あまりの衝撃で頭がおかしくなったようだ。
父親がぎろっと、母親を睨み付ける。
「ど、どうした?」
「もういい、俺が説明する。断れる話じゃない。軍隊さんの命令だ。母さんが食い下がって1日貰ったんだ。」
「そ、そんな。かあさんの命が危なかったんじゃないか?それか、店とか。ボクの意志なんて、いや、ありがとう。」
母親は目を背ける。なにかの危険を冒して1日猶予を貰ったのだろう。そして、ボクがもし軍がいやになって逃げてきたと返答していたら、母親はボクを守ろうとしただろう。これで正解だったんだ。
カワギシ君の件では、親なんてどうでもいいと思っていたが、流石に命がかかっているとなると、話は違う。多額の借金を請求されるのだろうか。それとも、研究部棟の地下室で見たような化け物にされるのだろうか。
ここまで育ててくれた恩を、そんな酷い仇で返すわけにはいかない。
「ごめんな。心配かけて。ボク、もう一度、軍に入るよ。」
ボクとしては今生の別れのつもりだ。しかし、母親としては、『本人が嫌なら意地でも守ろうと思っていたが、そうでもなさそうだし、元々軍で働くことを志望していたから送り出してやろう』といったところだろう。
詳しく話を聞くと、明日の朝いちばんに、家から一番近い軍の基地に向かえばいいらしい。ボクは早速、荷物をまとめた。
その後、両親は少し豪華な晩ごはんで、ボクの2度目の旅立ちを祝ってくれた。前回は、希望を、今回は、絶望を抱いて旅立ちのお祝いを噛み締めた。
ボクは布団に転がり、ケータイを開く。
「遺書でも書くか。」
小さく呟き、メモのアプリをタップする。おや?そういえば、前にも任務の前に遺書を書いたな。『遺書』という題名のメモをタップして開く。両親や、中学時代の友達に宛てて、感謝が述べられている。ルキとサトイさんにも。
この時は、本当に死ぬとは思わなかった。ルキがチート級の強さであるということは分かっていたので、万が一の為に書いていたものだ。
たったひとつの季節の間だったが、幸せだった。あぁ、そうか。Aクラスに入る人は、皆、虐げられて生きてきているはずだから、最期に幸せを味わわせてやろうということか。
ボクは、ルキとサトイさんに宛てた部分を削除して、そっとケータイの電源を落とした。