弐-13 fcd575_帰還
「大丈夫ですか?」
正面から声がして、うなだれていた頭を持ち上げると、がりがりの青年が目の前に突っ立っていた。
「えっ、ええ。大丈夫です。少し、寝不足で。」
「本当に大丈夫ですか?顔色が良くないというか、顔色がないですが…。」
「そ、そうですか。少し疲れているのかも。」
こんな不健康そうな青年に心配されるほど疲れているようだ。飛行機を待っている間、トイレの鏡で顔を見てみたが、確かに寝不足と疲労困憊を塗りたくったかのような顔の不健康そうなこと。裏切りによる心への疲労と、夜通しの作業による体への疲労は少しバスで寝たくらいではどうにもならない。
ぐぅ~、とお腹が鳴って初めて、自分が昨日の晩御飯を食べ終わった後からなにも口にしていないことを思い出した。売店でなにか食べるものを買おうとして、はっ、と思い出した。
Aクラスで作ってもらっていた食事は居住区Ⅰでは特別なもので、ここでの普通の食事といえば栄養食だった。売店にあるものも栄養食だろう。雀の涙ほどの給料が入った財布を持ち、売店の前に行くと、案の定、チューブ型や箱型の栄養食が並んでいる。
「すいません、一番安いのどれですか?」
「あ~、どれだろう、これかな。」
そう言って差し出されたのは、小さなパウチゼリーのようなものだ。
「それ、なに味ですか?」
「味?う~ん、そう言われても、味とか気にしたことないなぁ。」
「そ、そういうものですか。すいません、じゃあ、それ下さい。」
変なことを聞く人だなぁという顔がばればれですよ、店員さん。しかし変なことを聞いたであろうというのも事実だ。お金を払って商品を受け取る。先ほど座っていた席まで戻り、じっくりと商品を観察する。
確かに、味がどうのこうのという表記は一切ない。表面にでかでかと商品名が書かれているが、どうやらアピールポイントは栄養価の高さらしい。裏面を見ると小さい文字でたくさん訳の分からない栄養素が書いてある。本当に吸収されるんだろうか。
とりあえずパウチの口を切って中身を絞り出す。にゅるっ、と飛び出した部分を口に入れる。これは不味い、不味いというか味がない。こんなものを毎日何回も食べなくてはいけないのか。都会暮らしは向いていなさそうだ。と言っても今から田舎へ帰るのだが。
こんな小さいゼリーでお腹が膨れるものか、と思ったが、10分もすると急にお腹がいっぱいになった。どうやら胃の中で膨らむものらしい。
ふぅふぅ言っていると、ようやくボクの乗る飛行機が到着したとアナウンスがかかった。なけなしの服と日用品の入った鞄を肩にかけ、乗り込む。
座席はがらがらだったので、ボクは本当は通路側だったが、窓側に座った。お腹がいっぱいなのと、バスで少し寝てしまったからか、さらに眠くなってしまった。それと、飛行機の中でいきなり軍の手先にひっとらえられることもないだろうと安心し、せっかくの景色も見ることなく、眠りについた。
「…ゃくさん、お客さん!着きましたよ!!」
「んえ…。」
こんなところで酔いつぶれたサラリーマンのような体験をするとは思わなかった。外はすっかり暗くなっていた。随分長時間寝たようで、かなりリフレッシュできた。急いで荷物を担ぎ、飛行機を降りる。
空港はボクが最初に田舎を出たときと同じで、まだ記憶に新しい。不自然なほどにすいすいと地元に戻ってこられたなぁ。ここの居住区は普通に生身の人間も、なんの武装もなしに外に出られるくらいコンタギオンの発生が少ない。
公営のバスに乗り、運賃が足りるかどうかひやひやしながら揺られること20分ほどで、実家に着いた。両親が営む定食屋は暗くなってからが稼ぎ時だ。家族が入るドアもあるが、あいにく鍵は持っていないし、定食屋の入り口から入ることにした。否、鍵なんていうのは取って付けた言い訳で、単純に人としゃべりたかっただけだ。がらがらとのれんの掛かった引き戸を開ける。
「らっしゃいませ~」
「た、ただいま…。」
なんて言われるかびくびくしながらつぶやく。
「おっ、おめぇ、なしてこんなところさ…軍隊さんは?クビになったのけ!?」
「おっ、ぼっちゃんか!なんだべ、しけた面して~。」
「あ、マツダのおじさん、こんばんは~。」
ボクは白々しくお得意様のおじさんに挨拶する。このまましれっと自分の部屋に行こうとしたが、流石に無理だった。
「おいミズチ!おめぇなしてけぇってきた!!」
親父の怒号が飛ぶ。なにから説明していいか分からず、否、なにを言っていいのか分からず固まる。なんとかして喋り出そうとするのだが、どうしても言葉が出ない。
「店のど真ん中に立たれたんじゃ迷惑だ。」
はっ、とした。ふらふらと、家族が暮らす奥の住居部分に入る。リビングの電気をつけ、荷物を下ろす。ちゃぶ台に肘をつき、
「懐かしいな…。」
と、一言わざとらしく呟いてみる。荷物をほどくこともできず、ただひたすらにぼーっとしていた。
「そら、お茶っこ飲みな。」
口からほとんど出ていた魂を引っ込めて、頭だけで振り向くと、母親がお茶と氷の入ったコップをふたつ手にしていた。服は店にいる時のままだ。すっ、とお茶を差し出す。ボクは無言で受け取り、口を付ける。麦茶だ。なにか聞かれるかと思ったが、黙りこくったまんまで、ボクは麦茶を飲み干してしまった。
からん、と取り残された氷が音を立てる。
「疲れたでしょう。」
あぁ、懐かしいイントネーション。ついついほっこりしてしまう。いやいや、そんなことを言っている場合ではない。なんとかして弁明しないと。
「あの、かあさん。」
「あっ、ミズチ、あんたの部屋さ物置にしてしまったわ。」
「え、ま、まぁ、そうだよな…。その…。」
「布団はまだあっから、今日はここで寝らい。」
「うん…。」
情けない。結局、母親に夕ご飯を作ってもらい、風呂も沸かしてもらって、布団も敷いてもらった。しかし、日中飛行機でがっつり寝てしまったこともあって、全く眠くない。
ケータイを開いて連絡が来ていないか確認する。
「新着メッセージ…0件…。」
そういえばルキのもサトイさんのも連絡先を知らない。なんせあの狭い部屋で一日中ほとんどの業務が済むから、遠隔で連絡を取り合う必要がない。部屋にいなかったとしても8階のどこかしらにはいるのだから。
布団に身を投げ出し、目を閉じると、遠くの方で賑やかな笑い声が聞こえる。あんな和やかな雰囲気とはお別れかと思っていたが、Aクラスでは毎日笑って過ごした。それにしてもこの間出て行ったばかりなのにもう帰ってくるなんて両親に申し訳ない。