壱-3 b4aeb1_絶無
ボクが訊きたいくらいだ。……うん?なにか手違いがあったのだろうか。もう考えられることとしたら手違いくらいしかない。
「そうなんだ。そこ、引っかかるんだよね。アイくん、キミは確かに学術試験は満点だった。でもね、実際に活動するには自らの免疫システムを応用できなければいけない。知ってるよね。」
「はぁ…。好中球とか、抗体とか、応用できるものの種類は人によって違うんですよね。」
なんせ“オベンキョウ”はできるのでこの辺の知識は余裕だ。内部事情は知らなかったが。
「そう。応用できるシステムが何種類あるかを身体検査で見て、クラス分けが行われたんだ。」
「なるほど、つまり、ボクはそこで躓いたというわけですね。」
「躓いたどころの騒ぎじゃないよ。ワタシ、はっきり言う主義だからいっちゃうけど、キミ、MHC適応、0だよ。全くなし。」
コンタギオンを倒すためには、自らの抗体を攻撃を与えられるくらい巨大化する必要があるが、巨大化に適応している抗体はMHC適応と表現される。
「では…MHC適応は0だったけど学術試験が満点だったからお情けで入れてもらったということですか?」
「う~ん、そうゆうわけでもない…そっか、“そうゆう”話に疎いのね。実は今までLEUKが創設されてから0だった人は入隊してないの。普通はあり得ないことなのよ。」
ん……?
「最近は居住区Ⅰでは新生児に必ず同様の検査をするんだけど、検査が始まってから0というのは報告されてないんだ。」
んん……??
「新生児検査が始まる前に生まれた人も、その辺の診療所で手軽に受けられる検査だから、最近は予め検査してから受ける子が多いみたいね。」
初耳すぎる……。なんだそれは…。ボクの地元にはないぞ…。
「つまり…たまたま、その、適応している抗体が0で、たまたま居住区Ⅵに住んでいて、事実を知らずに試験を受けて、珍しいから入れてもらった、ということですか?」
「ま、そうゆうこと。」
「うん、そうなるね。」
なんてこった。そんな体質だったなんて…なおさら戦闘への参加なんて不可能じゃないか。かっこよくみんなを助ける夢が…。
ボクは思わず頭を抱えてしまった。
「どのみちキミは保護対象だから、それならせっかく志望していたことだし、LEUKに入れようということになったんだ。」
保護対象なのか…。もうなにがなんだか…。いやまてよ、
「確か居住区ⅥからLEUKに入った人ってほとんどいないんですよね?じゃあ居住区ⅥにMHC適応が0の人、結構いるんじゃないですか?」
「う~ん、どうだろう。実際1人いたわけだから、これから検査が入るだろうね。」
だれかボクだけが異質という説を覆してくれ…頼む…。
「ま、例年ここには数万通りしかMHC適応がない人が来るから、0でも同じようなことよ。」
「す、数万通りで落ちこぼれなんですか?」
オキさんはすこし驚いたような表情で、逆にボクに尋ねる。
「抗体って何種類あると思う?」
「え~と、H鎖はV遺伝子40種、D遺伝子25種、J遺伝子6種の組み合わせによって6000種類、L鎖はVとJを持つので同様に考えます。そしてH鎖とL鎖を組み合わせると192万種類ですよね?」
「へぇ~、さすが学術試験満点なだけあるね。」
192万通りのうちの数万通りなら、100種類コンタギオンがいればそのうちの1種類には対応できるのだから優秀な方なのではないのだろうか?ボクは分かりやすく頭をかしげてしまった。
「ただ、残念なことに、人間の体というのは計算では把握しきれないんだよ。それらの遺伝子ひとつずつが変異することによって、抗体の種類は1000億になると言われているんだ。」
サトイさんが優しく説明してくれた。1000億もあるなら数万が落ちこぼれなのも理解できる。しかし1000億あって0なのか…どうなってるんだボクの体は…。
「ま、居住区Ⅵに検査がいきわたるまではなんとも言えないでしょ。それまでは普通にワタシのお世話をしてもらうわよ。」
「ごめんねアイくん、ルキはちょっと横暴だけど、仕事と言ったらそれくらいしかないんだ…。」
「は、はぁ…。」
ボクの新生活は全く想定外な始まりだった。
「アイくん、炊事とかはできるかな?」
「いえ、ほとんどしたことないです。」
「そうか…じゃあお昼は僕が作ろう。」
「そういえばもうお昼ね、ワタシおなかすいたわ、ちーちゃんはやく、ごはんよごはん。キミもこっちで待ちましょう?」
サトイさんはさっさとボクの部屋から引き揚げ、お昼の支度をしに行った。ボクもその後からオキさんに手を引かれ、部屋を後にした。
「ちょ、ちょっと、自分で歩けますから。」
「あらそう、すごい落ち込み加減だったから。」
顔に出てしまっていたようだ。
「お昼できるまでここの部屋、案内するわね。」
「は、はぁ…。あっ、すいません、そういえば自己紹介してなかったですね。」
「あ~名前ね、覚えてもみんなすぐやめちゃって意味ないのよね~。」
そんな馬鹿な。隊員の名前すら覚えないのか。THEお嬢様という感じだ。せっかく美少女なのに…。
「まぁでもあんたは特殊っぽいから覚えてもいいわよ。」
う~ん、腑に落ちない。
「あっ、じゃああの、饗ミズチです。」
「知ってるわよ、さっき資料で見たわ。」
元帥の娘じゃなかったら殴っているレベルである。
「私は熾ルキ、歳は18。」
「18!?同い年じゃないですか!」
やけに発育がいい中学生くらいだと思っていた。お嬢様というのは成人していてもこうなのか…。それにしても発育が…。
「なに?なにかついてる?」
「えっ、えっといやその…」
「まぁいいわ、なんて呼べばいい?」
「えっ、え~いやその、なんでもいいです。」
「そ、じゃあ~ミズチにするわ。」
もうなんかどうでもよくなってきてしまい、一つため息を吐いた。
「なによ、なんか文句あんの?Aクラスの大隊長様から直々に呼んでもらえるのよ?」
「はっ?」
「げっ。あんた、じゃなくてミズチ、入隊式のとき心ここに非ずだったでしょ。隊長紹介も碌に聞いてないんじゃないの?」
ぎくっ。まさにその通りで、オキさんも喋っていたのだろうが全く聞いていなかった。思わずたじろぐ。
「いい?Aクラスはワタシが大隊長、サトイが副長兼大隊長補佐兼…なんかその他のもろもろよ。」
「えぇ…。」
「だって小隊ひとつしかないのに形式上、中隊も大隊もあるのよ?だからミズチはAクラスの第1中隊の第1小隊の二等兵ってことになるわ。」
二等兵…なんとも凡な響きだ…。しょぼくれているボクにオキさんはさらに追い打ちをかける。
「ちなみにGクラスの新人は一等兵、Lクラスは上等兵が入学時に与えられてるわ。」
あぁ、入隊式で出会ったふたりが笑ったのも無理はない。一人だけ一番下の階級でなにも知らずふんぞり返っていたのだから。
「Gクラスも訓練を終えたら上等兵に上がれるけどね。兵士は働いた年数に応じてそれなりの称号がもらえるわよ。そうは言っても幹部と兵では天と地の差ね。まぁミズチはAクラスだから関係ないけど。」
「なら、あなたはなんなんですか?」
ついむっとなって言い返してしまった。
「ワタシ?ワタシは大将よ、上から二番目。元帥の娘だもの。あと、ルキって呼びなさい。敬語も好きじゃないわ。」
威張りたいのか対等になりたいのかどっちなんだ。
ルキ…さんはそう言って書類が山積みのソファーがある部屋にボクを引きずり出した。
「いい?ここがリビング。」
リビングなのか。普通の家みたいだな。確かに10畳ほどの部屋にソファー、テーブル、いくつかの収納棚、壁かけのテレビのようなものが数台あるときたらリビングと言ってもよさそうだ。さらに、ボクの居室の向かい側にあるドアを指さし、
「あそこはワタシの寝室よ。あとは入り口の右手に風呂トイレ、左にキッチンがあるわ。」
キッチンに案内されたあたりで丁度昼ご飯の支度が整ったようだ。
「さぁ、今日のお昼はお蕎麦だよ~。アイくんの分もちゃんとあるからね。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言ってサトイさんは3人分のざるそばをリビングのローテーブルに運んだ。ざるそばと言っても普通に皿に乗っているが。
「わさび、要るかい?」
「あ、頂きます。ありがとうございます。」
つゆが入った器の縁にチューブのわさびを少しつける。実家の昼ご飯となんら変わらない。軍の昼食がこんなものでいいのか?否、ここはほとんど軍ではなかった。ボクとルキ…さん、ルキはソファに座った。
「ルキは要らないね。」
「当たり前よ。」
大隊長様は随分偉そうにするなぁ。むしろサトイさんの方がいろいろな役職をこなしているし、今のところお嬢様のお世話も一人でこなしているのだろう。