弐-2 ed6d35_白衣
しん、と静まり返ったリビング。静かになったからか、ルキの寝室からサトイさんがパソコンをカタカタ言わせる音が聞こえてくる。一時停止されたビデオゲームの画面を見ながらぼーっとふにゃふにゃの麺が入ったグラタンを口に運ぶ。
かつ、かつ、かつ、と外の廊下を靴音が近づいてくる。一瞬ルキが帰ってきたかと思ったが、よく考えればサンダルを履いて出て行ったからこんな革靴のような音はしないはずだ、と考えていたその時、こんこんこんとノックが聞こえた。
ついつい、実家にいたときの感覚で、は~いと気の抜けた返事をしようと、口を開いたその時、
「研究部第3研究科、川口少尉、入室します!」
と、クソデカボイスが轟いた。ボクは完全にびびってしまい、小声で
「ど、どうぞ~。」
と返事をした。がちゃり、とドアが開き、細身の男が入室した。ボクたち普通の兵士が普段着用しているのと同じ、詰襟の白い軍服を着ているのだが、その上に白衣を羽織っている。
「食事中でしたか。失礼しました。」
「い、いえ。」
なぜかカワグチさんは、ほっとした様子だ。しかしルキの寝室からサトイさんが出てきたのを見た瞬間、背筋が反り返るほどに伸びた。ボクも一応、軍の一員なのだが、きちんとした敬礼を近くで見るのは珍しい。サトイさんも敬礼をし、いつもより少し厳しい口調で話し始める。
「要件は?」
「はっ、川口少尉はAクラス第1小隊、饗ミズチ二等兵を検査にお連れしたく参りました!」
「了解。支度をして向かわせる。場所は?」
「私がお連れ致します。」
「そうか…。ではこの818号室の外で少し待て。」
「承知しましたっ!」
とても元気よく返事をし、きびきびとドアを開け閉めして出て行った。そういえば入隊した時に配られた資料の中に入室要領というのがあったな…。
「アイくん、検査って聞いてるかい?」
ぼんやりしていると、サトイさんがいつもの口調に戻って問いかける。
「えっ、いや、聞いてないですね…。」
「そうか…僕も聞いてないんだよなぁ。ルキは…いないみたいだね。今日はここから出るなって言ったんだけどな…。」
「すいません。ボクが怒らせてしまって。」
「気にすることないよ。ルキは月1回あんな感じだ。女の子は大変だね。」
「あっ…。」
彼女いない歴イコール年齢のボクでも察した。
「検査ね…。全く聞かされてないんだよな…不安だな…。僕も同行させてもらうようよ。ちょっと準備してくるから、ごはん食べちゃって。」
ボクは急いで残りの昼食を掻っ込み、皿を水に漬けた。一応、制服を整えようと思い、部屋に戻って帽子と靴を持ってきた。ちょうどサトイさんも準備が整ったようで、二人で部屋を出た。
「お待たせ。」
と、待っていたカワグチさんに声をかけると、かわいそうなことにびびり倒して少し悲鳴をあげる。カワグチさんは、一緒に歩きだしたサトイさんを見て、こいつ付いてくるのかよ…という顔をしたが、サトイさんは気にしていないようだ。
宿舎の階段を下りるが、いつもの専用通路ではない。どうやらカワグチさんはAクラスではないから、あの通路を知らないらしい。行く先々ですれ違う隊員は皆、サトイさんに向けて立ち止まって敬礼する。
久しぶりに地面を踏んだ。太陽が明るすぎて、ボクは少し歩いただけでひいひい言ってしまう。まるでニートのようだ。5分ほど歩いて、築の浅い綺麗な建物に案内された。入り口は二重の自動ドアで、入ってすぐのエレベーターでかなり高い階まで運ばれる。
案内されたのはドラマなんかでよく見る集中治療室のような部屋だ。3方は壁に囲まれるが、入り口から見て左側がガラス張りになっており、音は聞こえないものの、横の部屋からこちらの様子が確認できる。サトイさんは、その横の部屋に入った。入るときに少々揉めていたが、恐らくサトイさんが来ることを想定していなかったのだろう。
ボクは様々な機械に囲まれた中央のベッドに座らされた。と言っても気味の悪い敬語で座ることを勧められたと言ったほうが正しい。そして、カワグチさんはここでお別れのようだ。
「それでは、担当者を呼んでまいりますので、お待ちください。」
「は、はぁ…。」
サトイさんの方を見ると、白衣を着た3人のおじさんと話し合っている。おじさんたちはとても腰が低く、なにか許しを乞うているような感じだ。しばらくすると、サトイさんがやれやれというような素振りを見せ、おじさんたちは部屋から出て行った。
と思ったら、こちらの部屋に入ってきた。うぃん、と自動ドアが開くと、3人が次々入室し、足早にベッドの周りを取り囲む。眼鏡と薄毛とちんちくりん、おじさんたちごめんなさい、第一印象はそんな感じです。薄毛から話し始めるようだ。
「え~、えっと~、饗、アイ?あ、饗ミズチ?饗ミズチ君ですね?」
「は、は、はい。」
つられて同じようなしゃべり方になってしまった。
「きょ、今日はですね、え~、サンプル採取と、え~っと、本来ならば、抗体導入、あ、その、そうですね、抗体導入したかったんですが、中止に、あ~、その、なりました。」
非常に聞き取りづらい。昼ご飯を食べていたと思ったら急にベッドに寝かされて、怪しそうなおじさんたちに囲まれているというのに、これだけの説明で進められては困る。
「え~、では、採取の、前に、え~、ですね、測定を始めま、始めます。」
「すみません、その前に、サンプル採取とはなんですか?やらないにしても、抗体導入ってなにをするつもりだったんですか?」
「えっ、その、あのですね…。」
薄毛の話を遮るように眼鏡が喋り出す。
「大隊長様から聞いてないのかね?まったくあの子娘は…。」
「だめですよ先輩、こいつに密告されたら終わりですよ。」
こそこそと、ちんちくりんが後ろから話しかける。
「ま、まぁ説明、し、します。」
「お前では埒が明かん。俺が説明する。坊主、サンプル採取はお前の血液を採取して、主に抗体産生細胞や顆粒球の活性について検査する。」
「採血…ですか…。」
「そうだ。抗体導入は抗体をひとつも持たないお前に、MHC適応を示す抗体を注射し、様子を見る実験だ。」
げっ、そういえば少し前に、ボクが非常に珍しい体質だから、人体実験があるかもしれないと聞いていたのを思い出した。
「し、しかしですね、抗体導、抗体導入実験は、あちらの、あの、」
「サトイさんが止めたんですね。分かりました。ご説明ありがとうございました。」
少し苛ついたので、こちらから説明を促したのに説明を断ち切ってしまった。まず、ボクの体の形状について測定を行うらしい。と言ってもベッドに横たわるだけで、身長や体重、体脂肪などが測定できるらしい。
おじさん3人に服を引ん剝かれ、病院の入院着のようなものを着せられる。薄い青に白の細いストライプ柄で、襟はオレンジ色。ださっ、と呟きそうになったのを必死で押さえる。
ベッドに横たわり、さっき着たばかりの入院着の上半身をまた引ん剝く。ぺたぺたと心電図を取るときに付けるような装置を貼り付けていく。