壱-XX fdeff2_日常
ぴぴぴぴぴぴぴぴ、と電子音が鳴るが文字盤は円で針のある、お気に入りの目覚まし時計が今日も朝を告げる。
「う~ん。」
ひとつ大きな伸びをして、ゆっくりと起き上がる。寝間着を脱ぎ、同じようなTシャツに着替える。アイロンの掛かっていない制服のズボンを履き、上着は着ずに肩にひっかけて部屋を出る。
「おはざ~す。」
「おはようアイくん。」
サトイさんの柔らかい声がする。洗面所に入ると、美少女がお出迎えだ。
「んぁ、ミズチ、おはよ…。」
お嬢様は顔を洗うまで非常にぼんやりしている。しかし、なぜか一度冷水で顔を洗うと普通になる。その普通があまりしゃきっとしていないのだが。今まさに顔を洗うようだ。
「ふ~。うん。今日もかわいい。」
鏡に向かってにっこりとひと笑いし、自分の顔面を自賛するのも日課らしい。
「使うからどいてくれよ。」
我ながら元帥様の娘になんてことを言うんだという感じだが、これも日課である。なんでこんな兄弟みたいなやりとりをしなければいけないんだ。まぁ兄弟がいなかったボクからしたら新鮮で面白いが。
いつも洗面所を出ると、ちょうどいいタイミングでトーストが焼きあがる。サトイさんの家事力は半端ではない。炊事洗濯掃除、お嬢様のお世話まで完璧で、ボクにまで気を使ってくれる。3日前に、ルキがハンバーガーを食べたいなんて言い出すから、ボクが無理だとなだめようとしたら、その2時間後には絶品のハンバーガーが登場したのは感動した。
「運びますよ。」
「ありがとう。じゃあこれ、お願いね。」
今日はハムとチーズのトーストのようだ。ルキの分はいつもマーガリンをべっとりと塗ってある。サトイさんはマーガリンは体に悪いと言ってバターを使うが、ルキはいつも、『体に悪いものが大量に入ってれば、とうの昔になくなってるでしょ。ワタシは事実しかみないのよ。』と言ってべっとべとに塗りたくる。
「うまい。」
食後の片付けは大体ボクの担当だ。むしろこれくらいしか出来ることがないので喜んでやっている。
午前中の業務は2時間ほど、午後は3~4時間といったところだろうか。与えられているタブレット端末と紙の資料を駆使して、街中の監視カメラや人員の配置を確認する。ほとんど変わらない作業だが、毎日しなければいけないことだ。
ルキは部屋にいる時は大抵ゲームをしている。ジャンルはパズルもの、アクションもの、レースもの、リズムもの等多種多様で、ボクが見る限り、かなりうまい。それぞれ1~2週間で完全にクリアしてしまうようで、次々と新しいソフトをプレイしている。内容はどうでもいいのだが、困るのは声だ。
「んあっ。……あんっ。………チッ……。…んんんあっ、やぁん。」
このように、非常に気が散る声を出す。なにが問題かというと、本人は全く気付いていないというところが問題である。しかし、ボクはサトイさんから預かっているデータを自室に持ち込むことも出来ず、キッチンに避難することが多い。
サトイさんは大抵ルキの寝室で作業をするか、家事をするかくらいしか見たことがない。何度かルキの寝室のドアが開いていたところをちらっと見たが、大量のパソコン画面と天井までびっしりと本の入った本棚が見えた。
監視カメラで見えている範囲を記録し、取りこぼしがないかチェックする。昨日の戦闘記録、深夜にサトイさんが対応した分も含めて確認し、けがをした隊員をIL、つまり故障者リストに登録する。補充の隊員はサトイさんが考え、ボクが書類をルキの手元に持っていき、ルキがゲームの片手間にはんこを押す。隊員は小隊を移動することになるので、元いた小隊と、欠員が出て補充を求めている小隊の両方に承認印を押してもらう必要がある。その書類をまとめて封筒に入れ、自動で運んでくれる小型ロボットに積み、行き先を設定するのもボクの仕事だ。他にもルキにはんこを押してもらう必要のある書類が多くあるが、ルキは絶対に研究部の書類には、はんこを押さない。仕方がないので、『未承認』と大きく書かれたはんこに青インクを付け、封筒に押して書類を詰め込み、差し戻しを運搬ロボットにお願いする。他にも自動コンタギオン迎撃システムであるDCシステムの記録を確認して、前日のコンタギオン出現数を専用の記録ソフトに入力する。
お昼ご飯はうどんやパスタ、チャーハンやどんぶりものが多い。話によると、GクラスLクラスの隊員は朝晩2回、居室に食事が自動で運ばれてくるらしい。お昼ご飯抜きで戦闘や回収、訓練なんて、ボクならおなかが空いて話にならないだろう。
お昼時には、麺ものの茹で加減で3日に1回はルキとサトイさんが言い合いになる。
「ワタシの分だけ時間余分に茹でたらいいでしょ?」
「文句言うなら自分で作りなさい。」
「ちーちゃんの意地悪。」
「うどんにはコシという概念があってだな。」
「なにがコシよ。もっちゃもっちゃして食べにくいのよ。」
今日も言い争いは続く。意外にもグルメなのはどちらかというとサトイさんの方らしい。今は居住区が設定され、ⅠやⅡなどの人口が多くてコンタギオンの心配が大きい地区は、小売店などは軒並み廃業されてオンラインショップのみになり、栄養食以外が手に入りにくい。それでもタカさんとやらの倉庫には色々な食材が並び、サトイさんはあれこれ工夫して、今は手軽に食べられない料理を生み出している。
ルキは酢の物などの酢を使ったものは食べられるが、マヨネーズはだめらしい。他にもドライカレーは食べられるが普通のカレーはだめ、珍しく生魚が手に入っても食感が気に入らないらしく絶対に食べないなど、好き嫌い女王だ。
昼ご飯が済んだ。ルキはどうやら午後外出するらしい。寝室に入って制服に着替えて出てきた。相変わらず身なりをきちんとして黙っているときの破壊力が半端ではない。
「いってきま~す。」
「いってらっしゃ~い。」
ようやく静かに作業が出来ると思ったら、30分ほどで帰ってきた。
「なによその顔。」
「いやぁ、早かったな。」
「今日は訓練の視察だけよ。」
「そか。」
訓練の視察は、軍総長様がご覧になっているからしっかりせねば、という意識付けらしいが、ルキ曰く『ほとんど誰も気にかけてない』ので5分ほど見たらすぐに帰ってくるらしい。
午後の仕事は結構早く終わった。昨日の居住区Ⅱのコンタギオン数が少なかったので入力が早く終わったからだ。
「さぁて、ジムにでも行くかな。」
「あら、おやつ要らないの?」
「今日はいいや。ボクの分もあげるよ。」
今日はおやつ抜きで体を鍛えよう。ちょうどサトイさんお手製のプリンを冷蔵庫から出していたルキに断りを入れ、ジムに向かう。しかし、ボクが出来る限界はランニングマシンを10km/hに設定し、20分走るくらいだ。別に筋肉をむきむきにしたいわけではないので、有酸素運動を少しでいいだろう。ストレッチを終えて818号室に戻り、シャワーを浴びる。
リビングに誰もいない。こういう時はルキは大抵、ボクの入れない部屋か寝室にいる。特に用事がない限り探したりしないが。ソファーに座り、経費で買ってもらった参考書をぺらぺらとめくっていると、ルキが玄関から入ってきた。なんとその右手をビニール袋に突っ込んでおり、袋の中には鮮血が溜っているではないか。
「げっ、今度はなにしたんだよ。」
「ちょっと運動してたら切っちゃった。」
「どんな運動だよ…。」
てへ、とひと笑いし、洗面所へ入る。ボクはそれを見て呆れながら立ち上がり、ルキの寝室のドアをノックしに行く。
「サトイさん。すいません。またルキが手を切りました。」
「え、またか。わかった、ありがとう。」
なぜか最近ルキはよく手を切って帰ってくる。いったいどんな運動をしたらこんな怪我をするのか非常に謎だ。しかしもっと謎なのが、かなり深い傷で出血がかなりあっても全然動じないどころか顔色一つ変えず、傷跡も2~3日ですっかりきれいになる。サトイさん曰く、『そう?代謝がいいのかな?』だそうだ。
「廊下には垂らさなかっただろうね。」
「ビニール袋してるじゃないの。」
「確認だよ、確認。」
風呂場から毎度おなじみの喧嘩が聞こえてくる。二人の話によると、風呂場で傷を縫合しているらしい。なんて恐ろしい。雑菌だらけじゃないのか。血で服が汚れないように着るビニールのガウンを脱ぐ音が聞こえてくる。どうやら縫合が済んだようだ。
「もう今日は動くなよ。」
「はぁい。」
ルキの右腕は包帯でぐるぐる巻きだ。
「おや、もうこんな時間だね。ご飯作るかな。」
「春巻がいいわ。」
「春巻~?だめだめ、朝にハム食べただろ。」
「そうだっけ。じゃあ青椒肉絲ね。」
「2日前に食べただろう。」
「う~ん、じゃあなんでもいいわ。」
春巻と青椒肉絲はルキのお気に入りメニューだ。基本的に中華料理には嫌いなものが入っていないことが多いらしく、好んでいる。ちなみに春巻はハムと春雨が入っていないと食べない。
「アイくんはなにがいいかな?」
「う~ん、そうですね、焼き魚が食べたいですかね。」
「確か鯖があったね、そうしよう。」
これはボクの経験だが、毎日ご飯を作ってくれる人に今日の晩ごはんを問われたときは、手間がかからなさそうで、昨日一昨日に食べたものでなくて、且つ晩ごはんっぽいものを答えなければいけない。なんでもいいというのはバッドコミュニケーションなのだ。何回母親に怒られたことか。かと言って外した答えを返すともっと怒られるのだが。
晩ごはんを食べ終わると、サトイさんはまたルキの寝室に戻って仕事を始める。ボクは風呂掃除をする。ルキは食後のデザートだ。ルキだけが食べているというわけではなく、食べるのが遅いのでデザートはいつも1人で食べている。今日は林檎のコンポートだ。にこにこしているので好きなのだろう。そういえば、ボクの実家が定食屋という話をしたら、一度行ってみたいと言ったものの、食べるのが遅いから他の客の迷惑になると言ってしょんぼりしていたような。
ルキが一番風呂、ボクが二番風呂、サトイさんはいつ風呂に入っているのか分からない。いつも朝にはお湯が抜いてあるので夜の間には入っているのだろう。
1日のうち、1番の難関がここだ。ルキが風呂上りに大人しく寝室に行ってくれないのだ。しかも暑いからとキャミソールとパンツ姿で、やれ風呂上がりのジュースだの、やれちーちゃん髪の毛を乾かせだの言いながら小一時間はリビングをうろうろする。寝室に行ったのを待っていると風呂が冷めてしまう。追い炊きももったいないので、仕方がなくあまり見ないようにして風呂場に向かうが、最近は見てしまったものはしょうがないと思い始めた。
風呂に入ればルキとサトイさんに挨拶をして自室に籠る。愛読書である参考書や電子書籍をちらちら見て、眠りにつく。
これがボクの軍生活だ。とても軍隊に所属しているとは思えない生活だが、兄弟ができたような感覚で、楽しさはある。事務仕事だって立派な軍の仕事だし、特殊な体質だからと人体実験をさせられるわけでもない。まぁ、ルキが許可を出していないだけかもしれないが。
もちろん、日々戦闘で血を流している人や、ボクみたいに人々を守りたいがために入隊したものの、白血球の適応が弱く、回収係に徹している人たちには頭が上がらない。回収係くらいならボクでもできるらしいので、いつかは戦列に加わりたい。
でもしばらくはこの生活を続けていきたい。ようやく慣れた仕事だ。まだAクラスの二人や、研究部や幹部など、謎はたくさんあるが、ボクの体のことも含めて知って行きたいと思う。