壱-16 eaf4fc_乱舞
スーツの男が一言発すると後ろの男が刃物をルキの首にぐっと突き立てた。ようやく足が動いた。ボクは思い切り床を踏みつけ、ルキに駆け寄る。大男の刃物を持つ手をがぶりと噛み、ルキを押さえつけている手をひっぺがした。とその時だった。
ごんっ、ぴきぴきっという音が頭上から聞こえてきたかと思うと、ごすっ、ごぱっ、という音と共に天井が落ちてきた。濛々と砂煙が立ち上る。
「ごほっ、ごほっ。」
「げほっ。」
ごすっ、ばきっ、がっ、ごちん、という音が聞こえる。やがて砂煙が収まると、目の前にはルキを押さえていた男が二人重なって倒れていた。スーツの男はというと、先ほどまで持っていたはずの銃を頭に押し付けられている。ルキに。
しかし、ボクの腕の中にもルキがいる。首にナイフが刺さったままだ。
ルキが二人。と思った瞬間、ボクの腕の中のルキはさらさらと溶けて消えた。このルキは抗体で作ったダミーだったのだ。ナイフが、かちゃん、と落ちる音が響く。
本物のルキが喋りはじめる。
「人形の操作うまいでしょう。ねぇ、キミ、どっかで会ったことあるかしら?」
「ルキ、その人は2年前に出て行った…。」
「ああ、あの子ね。名前は思い出せないけど…。そう、ワタシのこと、恨んでるのね。無理もないわ。不正デバイスがあれば、自分もコンタギオンを倒せると思ったのね。」
「さぁな。」
「邪魔しようとしただけかしら。いずれにせよ自分の判断でそういうことをするのはよくないわ。」
「知るか。お前には今日死んでもらう。」
その瞬間、男はルキの手を掴んだ。
「なにするつもり?」
ルキが尋ねるが、黙りこくったまま、モニターの下にあるたくさんのボタンをいくつか操作する。
「この建物ごと死んでもらう。俺もここで死ぬ。もうすぐダイナマイトに火が付くだろう。」
「あぁ、それね、配線切っておいたわよ。」
「…は?」
全員がきょとんとルキを見つめる。
「だって危ないじゃないの。配線も切ったし、あんたが見てるその映像、3日前のやつよ。今は軍のお片付け隊員が手下と不正デバイスを回収してるわ。」
「なっ、ルキ、本当は一人で解決できたんだろう?」
「まさか。ちーちゃんたちの時間稼ぎがなかったら、この部屋見つけられてないわよ。」
サトイさんが呆れた様子で問い詰める。
「どうだか…。僕の予想では2回、このビルに侵入してるね。この部屋の位置も知ってたんだろう。やけに無線が入るのが早かった。」
「う…。ほら、せっかくだからミズチにも参加してもらおうと思って…。」
こんなことに『せっかくだから』で参加させられたのか。ドSなのだろうか。ボクも呆れてはぁ、とひとつため息を吐いた。
「ふふっ、ミズチ、かっこよかったわよ。ワタシを助けようとしてくれたのね。ほんとはダミーだってバレてから突入しようとしてたんだけど、ミズチが飛び掛かるから。」
ボクは抗体人形を助けるために飛び掛かったのか…と思うとますますがっくりきた。
「おいおい、俺、忘れられてないか?まだ決着は付いてないぞ!」
一息ついたのも束の間で、男がルキの手を引っ張り、尻のポケットから出したナイフを首元に突きつける。一瞬で現場が凍り付く。
「今度こそ本物だろう。ほぅら、血が出た。」
ナイフの先でつんつんと首筋を刺すと、真っ赤な血が、白い首を伝う。人形ではあったが、実際にルキを殺させるのを見ているので、迂闊に動けず、立ち尽くす。
ルキが一言、
「馬鹿ね。」
と小さくつぶやく。
次の瞬間、流れ出る一筋の真っ赤な血から、月のような白色の蝶が何十匹と飛び立った。蝶は茫然としているスーツ男の全身にびったりと張り付き、すっかり覆ってしまった。あまりに一瞬の出来事で、ボクもただ茫然と眺めていた。
次の瞬間、たくさんの蝶は煌々と光を放ち、きりきりという音をたてはじめた。ぱきっ、めこっ、という音が聞こえ、光を保ちながらうにうにと蠢いている。
やがて男はぐしゃっと潰れてしまった。
ルキの顔に血しぶきが飛ぶ。
2秒前まで男を構成していたその臓物たちがびちびちと床に零れ落ちる。
ルキの首筋からはさらに新しい蝶が生まれ、落ちた臓物に群がる。やがて蝶はそれらを食べつくし、ばさばさとあたりを飛び回る。
ルキは軽く口を開けている。蝶の明かりに照らされ、美しいその横顔が見て取れる。蝶はやがて集まり、形を変え、細いリボンが2本、らせんを描くような形になり、ルキの口に吸い込まれて行った。
ボクはこの残酷で、非情で、おぞましい光景を、ただただひたすらに美しいと思った。
「人間の血には抗体が存在するのよ。自ら相手の武器を開放してあげるなんてお馬鹿さんね。どこの誰だか知らないけど。」
神妙な面持ちでつぶやく。だがすぐにいつもの調子になり、
「さっ、帰りましょ。袋の鼠作戦完了っ!一件落着ってね。」
「は~、どこが一件落着か…。今日は始末書何枚だろう…。」
サトイさんが大きくひとつため息を吐く。またもや始末書を書かされるのか…。かわいそうに。ボクはスーツ男がやけにこの2人を恨んでいたのが気になった。そこまで悪い待遇は受けていないし、きっちり週休2日貰っているし、勉強用の資料も買ってもらっている。
なにか、まだボクの知らない闇があるのかもしれない。現に今回はたくさんの闇を見た気がする。そう思ってボクもひとつため息を吐いた。
帰りは軍の車に乗せてもらった。Aクラス以外の人にこんな近い距離で接するのは入隊式以来だったが、ちらりとこちらを見ただけで、後はなにもなかった。
しゅうぞーは別の車に乗せられ、軍の敷地に入ったところでその車は宿舎ではないほうに進んでいった。
「ルキ。」
「ん~?」
ルキはひと仕事終えたからか、やけに上機嫌だ。
「しゅうぞーに手荒な真似しないでくれよ。」
「そうね。まぁ利用したのも悪かったわ。地元に強制送還は避けられないけど。」
地元に強制送還ということは、生きて帰してもらえるということか。一応安心しておくことにした。
宿舎の前で車を止めてもらい、Aクラスの3人は降りた。正面玄関に降ろしてもらったので、裏口の専用通路まで歩く必要があった。
「あの人はどうしてそんなにAクラスを恨んでいたんだ?」
「う~ん、どう言ったらいいかなぁ。」
「知らなくていいことよ。終わったことだわ。知りたいのなら…そうね、普通に調べるといいわ。」
「そうだね。データベースになにがあったか記録されているはずだから。彼の名前はリカだ。」
その後、居室にたどり着くまでは今日ルキが壊した物品についての始末書の話をした。名実共にお嬢様なので、弁償したところでお小遣いになんのダメージもないらしいが、如何せん、壊す必要があったのか等、報告しなければならないことがたくさんあるとのことだ。
部屋に入るとサトイさんは早速仕事に取り掛かり、ボクとルキは交代で風呂に入り、それぞれの床に就いた。ボクはルキの言ったようになぜあの人がAクラスを恨んでいたのか調べてみることにした。ごろん、とベッドに寝転がり、枕元のケータイを手に取る。
昔はネットというものがあってなんでも調べられたらしいが、あまりにも情報が交雑してしまい、政府が廃止したらしい。連絡を取れる回線はあるが、それを応用して不正にネットにアクセスする人がたまに摘発されている。
ボクは入隊した時に配布されたデータベースをケータイに接続し、見てみることにした。データベースの入ったメモリとケータイをコードでつなげる。
「Aクラス、隊員名簿、過去の隊員、リカ、リカ、お、あった。」
5年前の記録に名前がリカという隊員がいたことが記されている。その年はもう一人Aクラスに新人が入隊しているが、数か月後に殉職となっている。
今日のボクみたいな目に逢ったのだろう。ルキとサトイさんは救おうとしたんだろう。リカは救えたがもう一人は救えなかった、とかだろうか…。同期で仲が良かったんだろう。だからリカはあんなに恨んでいたんだ。とはいえもともとAクラスの落ちこぼれ、戦闘では歯が立たなかった。でも頭はよさそうだったな…などと考えているうちに気付いたら寝ていた。