晴天
よく晴れた日だったので書きました。
暇つぶしにどうぞ。
遠くの空が白んで見えるほど雲の一遍もない良く晴れた日のことでした。蝉がうるさく泣いておりました。
私は祖母の命日のためよく知った田舎へと帰っておりました。幼少のころ過ごした祖母の家は典型的な日本家屋の平屋で、季節の花々がひっきりなしに咲き誇る大層な庭がございました。両親が共働きで私の面倒を見切らなかったため、学校から遠い、この庭園へと私は毎日足を運んでいました。今となってはいい運動になる程度の距離なのですが、小学生の足にとってはそれはそれは遠くに感じました。
そんな永遠に続くかと思われた帰路が終わり、鍵のかかっていない曇り硝子の引き戸開くと、小学生の私が三人寝ても余るほどの広い玄関がひんやりと優しく出迎えてくれました。
祖母は私が帰ったことに気づくといつも「おかえり」と玄関の奥にある台所から顔を出し、私に手を洗うようにと台所へと呼ぶのでした。
茶の間には必ずお菓子が置かれており、スーパーの洋菓子の日もあれば、近所から頂いたという和菓子の日もありました。
そんなためか私は重度のおばちゃん子であり、毎日似たような話を飽きることなく祖母に向かって話していました。
祖母も負けじと庭に咲き誇る花との思い出や戦争のこと、そのために亡くなった祖父のことを話してくれました。
祖母が亡くなったのは煩わしい夕立が止まぬ騒がしい日でした。休止ということではなく、寿命を迎えてのことであったのでそれほどの悲しみは感じないと思っていたのですが、やはり泣きました。近頃見なかった涙は此の為にあったのかと思うほどでした。
病室を叩く雨音は祖母を起こすために強まりました。
それから、私の思い出の家は両親が引き取り、元居た家は引き払って後、私は一人暮らしを始めました。そのころには両親ともに昔のような忙しさはなかっためでした。
祖母のお墓参りを欠かしたことはございません。
なぜか祖母の命日の日は必ず晴天でした。祖母がこの日だけはよく見えるようにとお天道様に頼んでいるかのようでした。
いつも通りに花を生け、お墓を洗い三人で手を合わせそれぞれの近況報告をしていた時でした。
ふと目を開けるとそこには、この季節にはありえない、真っ赤な椿がございました。
祖母の庭でよく見かけていたので見間違えではございません。
真剣に手を合わせる両親の邪魔をするわけにもいかず、ただ一人見惚れておりました。
色を付ける前の楓に映える赤は夏の日差しを感じさせませんでした。
両親が立ち上がり、そちらに気を取られもう一度椿を見返したころには楓が夏風に吹かれ揺れているのみでした。
梅雨が明けないせいか、おかげか夏への憧れが日に日に募ります。
そんな憧れを文字にしてみたく真夏に椿を咲かせました。




