4話 花咲冬花は嗤う
あの無駄にプリンを食べに行った日から、三ヶ月が経っていた。花咲さんは今では毎日のように一緒に帰るようになっていた。
相変わらず女子三人組でイチャイチャしていて、俺の入る隙はない。
今日もイチャイチャする三人組を眺めながら帰るつもりだったが、花咲さんに二人きりで話がしたいと呼び出された。
深山と水田には事情を話しているみたいで、邪魔にならないようにと先に帰っていった。
そして、俺は花咲さんを教室で待っていた。
「手野君、ごめんね? 遅れちゃって」
「別に大丈夫だぞ。それで、なんの話だ?」
「えっとね……? あの……」
花咲さんがとても言いづらそうにしている。
放課後の教室、男女が二人きり、大体は何が言いたいかわかるけど、花咲さんの口から聞かないと分からないから聞く。
けっして、花咲さんの恥じらう姿が可愛いからとかではない。
「あのね……? 私は手野君のことが好きです! 付き合って下さい!」
分かっていたけど告白だった。でも、俺は花咲さんの気持ちには答えられない。
俺は深山深子が好きだ。
「ごめん、花咲さん……。俺は好きな人がいるから、花咲さんの気持ちにはこたえられない」
「うん、知っていたよ。深子が好きなんでしょ?」
「やっぱりバレていたか……」
「バレバレだよ? あんだけ好き好きオーラだしていれば、誰でも分かるよ」
「そんなに出ていたか……。じゃあ、もう包み隠さずに言う。俺は深山深子が大好きだ。だから、この先どんなに頑張っても花咲さんと付き合う気はない」
期待を持たせることが一番の苦痛だ。だから俺は真剣に花咲さんに向き合う。
──いや、向き合わなきゃならない。
「そっかぁ……。やっぱりだめかぁ……」
そう言ってうつむいてしまった。
心が凄く痛む。花咲さんは俺以上に心が痛むのだろう。
でも、俺は慰めない。慰める行為も花咲さんからしたら、また辛いだけだ。
だから俺がここを立ち去るのが、一番良いのかもしれない。
「話は終わりだよな? というわけで、俺は先に帰るわ。花咲さんも遅くならないうちに帰れよ」
「──えっ? まだ話は終わってないよ?」
「えっ? まだ何かあるのか?」
「うん。むしろここからが本題だよ?」
花咲さんは笑顔を見せていた。良かったと思うと同時に少し気味が悪かった。
笑顔は笑顔なのだが、何時もの笑顔ではない。
それに本題が告白じゃないとすれば、なんなのだろう?
「そっ、そうなのか……」
「うん。本題はね、付き合って下さいじゃなくて、私と付き合えというのが本題だよ」
「──は? 何も変わってないような気がするが。結局は告白だとおもうんだけど?」
「変わっているよ? それに告白じゃないよ? 私と付き合えと言っているんだよ? 告白じゃなくてこれは命令だよ?」
何も気にすることなく、そう言う花咲さんに初めて恐怖した。
目の前にいるのは本当に花咲さんなのだろうか? そう疑問に感じる程に彼女の雰囲気は変わっていた。
「命令って……どういうことだ?」
「命令は命令だよ? 命令の意味が分からなかった?」
「いや、命令の意味は分かるが……」
何が言いたいんだ花咲さんは……。
そもそも、命令だなんて何時もの花咲さんらしくない。
何時もならお願いぐらいはしてくるが、優しい花咲さんが命令なんてしてくるはずがない。
「悪い。何が言いたいかさっぱりだ。もっと分かりやすく言ってくれ」
「仕方無いなぁ……。じゃあ、これ見せてあげるよ」
そう言って俺に見せてきたのは一枚の写真だった。
そこに写っていたのは、深山深子がベッドに裸でよこたわっている写真だった。
しかも、その身体の上には避妊具が置かれていた。
「──なっ! なん……だよ、これ……!」
「なんだよこれって、簡単なことだよ? 深子が男と………これ以上言うのはやめるね? 手野君が可哀想だから」
そこまで言われれば、流石に高校生だから分かる。そいうことをしたんだって………。
だが、俺は信じられない。いや、信じたくないと言う方が正しいのかもしれない。
動揺、嫉妬、怒り、様々な感情が頭を駆け巡る。
「ごめんね? いきなりだったから動揺するよね?」
「…………」
言葉も出ないとはこういうことなんだろう。
「今からこの画像を使って、手野君を脅すから私に従って付き合ってね?」
「………なんでそんなことを」
「なんでそんなことをするのかって? それは………ね?」
未だに動揺している俺に一歩一歩近づいてきて、まるで相手を嘲笑うようにこう言葉を続けた。
「私はね……人が絶望する瞬間の顔が大好きなんだよ? だから、今の手野君の顔はたまらない! もっとその顔を見せて?」
「さっきから何を言っているんだよ! 花咲さん!」
花咲さんの今の発言を受け入れられなくて、拒絶してしまった俺を見て、更に楽しそうに花咲さんは嗤う。
その光景に恐怖を覚えた俺は少しずつ後退りをするが、それでも花咲さんは近づいてきた。
そして、俺は机に足を引っ掛けて転んでしまった。転んだ時に不思議と痛みは感じなかった。
転んだことよりも恐怖が勝っているからだろう。
そんな転んだ俺に花咲さんはしゃがみこんで、頬に手をそえて真正面に顔を見つめてきた。
「ねぇ? まだ返事もらってないんだけど? 告白の」
「もし……もし、断ったらどうするつもりだ?」
「深子って男子とかに人気なんだよねぇ……。だからさ……間違って廊下でこの写真落としちゃったりしたら、他の男子とかにこの写真つかったりされて脅されちゃうかもね? それにこんな写真が出回ったら、学校に来れなくなっちゃうかもね?」
暗に断ることは出来ないと言いたいのだろう。
選択肢なんて最初から一つしかなかったということだ。
なら、俺は──
「花咲さんと付き合ってやるよ。ただし、その写真は俺が預からせてもらうぞ」
「ん?」
「だから、花咲さんと──ぐっ!」
話している途中でいきなり首を絞められた。花咲さんは今までにない無表情で俺を見据えていた。
「手野くーん? 今、どっちが立場が上なのかわかっているのかなぁ? 写真なんていくらでもあるから、一枚くらいあげてもいいけどさぁ……。ちゃんとお願いしないと私、怒っちゃうかもなぁ?」
「ごっ、ごべんなざい」
俺が必死に謝ると首を締める力を緩めてくれた。
「──ごほっ、ごほっ、はぁはぁ……」
「ほら、もう一度お願いしてごらん? 聞いてあげないこともないよ?」
「はっ、花咲さん……! お願いします……! 俺と付き合って下さい……!」
「うん、いいよ? 付き合ってあげる」
「ありがとうございます。それで写真は………」
「写真かぁ、どうしようかなぁ。じゃあ、土下座してくれたら落とさないであげるよ?」
なりふり構ってられない。全ては深山深子を護るため。
そのためなら、俺は進んで泥水をすする。
俺はそう覚悟を決めて、人生で初めての土下座をした。
「お願いします……! どうか、その写真だけは……!」
「彼氏のお願いだし、聞いてあげるよ。でもね、もし……もし、私を少しでも怒らせたりしたら、分かっているよね?」
「はい」
「よしよし、良い子だね。もう、遅いから今日は帰ろっか? また今日の夜に電話でもするよ、み・ず・と君?」
そう言って、土下座をしたままの俺を放置して帰っていってしまった。
「ごめん、深山……。まだお前の手を握れそうにない……」
誰に聞かせるでもなく、一人きりになった教室で俺はそう呟いた。