八十四話 迷宮からの脱出
よし、まずは記憶を整理しよう。
アーセルム王国に割り当てられた寝室は二つだ。
本来は俺とセリオス、イリスで分けるはずであったが、留守番組が大勢けしかけて来たので変更になった。
一つはセリオスとエトワールが使っている。
もう一つを使っているのはチノレ、リノレ、アガレス、ロザリーの四名だ。
俺はバカップルの部屋に入るのは絶対に嫌なので、チノレ達と一緒に夜を明かすつもりであった。
しかし、夜部屋に戻るとすでにベッドの上は丸まったチノレに占拠され、俺の入り込む隙は残っていなかった。
チノレの上にはリノレが覆い被さり、剣であるアガレスは壁に、ちんまいロザリーも机で爆睡。
そうして部屋の前で途方に暮れていた俺を見た法王が、フィルセリアに割り当てられた一部屋を使って良いと言ってくれたのだ。
意味不明ではあるが、彼等は寝室を使わないのだと言う。
俺はお言葉に甘え、さっそく譲ってもらった部屋にあったパジャマを着てベッドにダイブした。
そして気付いたらこれだ……
同じベッドの上で寝息を立てて居るハミル。
さっきから部屋の前で淡々と吠えるフォルテ。
これは控え目に言ってマズイのではないだろうか……
こんな所を見られたらどんな誤解をされるか分かったものではない。
とにかくここは落ち着こう。
冷静を欠いてはいけない。簡単な事だ。
まずは俺が着替え、続いて優しくハミルを起こして着替えてもらう。
しかるのち、フォルテを部屋に迎え入れ、今後の作戦を練っていたと説明するのだ。
よし完璧だ。これでいこう。
「入るぞー」
「入ってくんなぁぁぁ!」
鍵を開けフォルテがあっさり入ってきた。
俺は思わず叫ぶ。作戦が台無しなのである。
そもそもコイツは何故鍵を持っているんだ?
「おわ。おまえ。これはなんのマネだー」
フォルテは棒読みで感情のないセリフを吐いた。
コイツらはグルだと確信した瞬間だ。何が狙いなんだ?
「どうして鍵持ってんだよ……」
「いや何、おまえの叫びを聞いて緊急事態だと思ってな……。それよりどういう事だ? イリスの留守中に女なんか連れ込んで」
俺の疑問にフォルテは淡々と厳しい理由を述べる。
叫んでから数秒で駆けつけておいてぬけぬけとまぁ……
フォルテは後半のセリフが棒読みな上、笑いを堪えきれていない。
「おい、ハミュウェル! おまえからもなんか弁解の言葉はないのか?」
わざとらしいフォルテの呼掛けだが、全く応じないハミル。
完全に熟睡しているので当たり前ではある。
「お、おい! ハミュウェル!」
「んむぅ……」
フォルテが必死に呼び掛ける事でようやくハミルは覚醒の兆候を見せる。
ハミルは目元を擦りながら上体を起こし、半開きの眼で俺達を見つめた。
「あ~、おにーさんにフォルテくん……。おはようございますぅ~」
寝惚けながらちょこんとお辞儀をするハミル。
胸元の山岳地帯がヤバイ、雲が晴れそうだ。
「意外なボリュームだな……」
そう言い放ち、顔をハミルに近付けようとするフォルテ。
俺はフォルテの顎を左手で掴み、右手でフォルテの目を隠しながらこめかみに指をめり込ませた。
うら若き乙女のこんな姿を人前に晒させる訳にはいかないのだ。
だがそうすると困った事になる。
両手をフォルテに割いているので、俺の目が隠せないじゃないか。
これは非常事態だと言えよう。
更に大変な事に、ハミルの上着のボタンが左右から引っ張られて千切れそうなのだ。
頑張れパジャマ。負けるんだボタン。
「イテテテテ! ハミュウェル起きろ! そうじゃないだろう!?」
「んむぅ……、ん~。昨日わぁ……、お楽しみでした……ね?」
フォルテの叫びに反応したハミルは小首を傾げながら奇妙なセリフを吐いた。
まるで打ち合わせをしたかのようなやり取りなのだ。
「フォルテくん? キミね…、こんな子供に何を言わせてんのかな?」
俺はお説教を交え、右手に力を込めた。
どうやらコイツらは共謀して俺を嵌めようとしているらしい。
「いてててて! ごめ、いや違うって! おい、ハミュウェル!」
悲痛なフォルテの声を聞き、ハミルの頭も冴えてきた模様。
突然慌てたようにワタワタし始めたのである。
「はっ! そ、そうだ! お、おにーさん……、昨夜は……楽しかったね?」
左拳を口元に起き、身を捩るハミル。
小首を傾げて照れ臭そうに上目遣いで俺を見てくる。
うん、可愛い。仕草まで考えて来たのだろう。
俺は昂る感情を力に変え、更に右手に力を込めた。
「いてぇ! いてぇって! フレム! 俺王子! 国際問題!」
「うるせぇ。子供にこんな事させる奴に慈悲などいらない」
これ見よがしに権威をちらつかせるフォルテに必殺の顔面潰しを決める俺。
俺の発言が不服だったのか、ハミルは少しむくれている様子だった。
「むぅ~、僕もう十六歳になったよ! 子供じゃないよ!」
十三、四くらいかと思ったらもう少し上だったようだ。
しかし十六なんてまだまだ子供だ。
いくらスクスクと育っていても子供なんだ。
「フレ、フレムさん? ちょっと本当に痛いんですが……。そもそもこの作戦を考えたのはハミュウェルなんだぞ……」
「それを諌めるのがお前の役目だろうが!」
言い訳をするフォルテは俺の手を剥がそうと両手を使って抵抗する。
あまりに見苦しいので俺は思い切り叱責した。
温室育ちの王子様になどさすがに力負けはないだろう。
万能超人セリオスがおかしいのだ。
そこで急にドアをノックする音が聞こえ、俺はドアに視線を向ける。
噂をすればなんとやら……
そこには部屋の入口の壁に寄り掛かり、冷たい視線を投げ掛けるセリオスが居た。
「朝から何をやっている。今がどういう状況か分かっているだろう?」
少しお怒りの様子であるセリオスが怖いので、俺は渋々フォルテを解放する。
悪いのはフォルテだ。多分俺じゃない。
「お~、いてぇ! 助かったぜセリオス。サンキューな!」
笑顔でお礼を言うフォルテだが、セリオスは顔を反らせたまま無表情。
それからやや見下すように冷やかに口を開く。
「この部屋の前で一時間程ウロウロしていたようだな……。話を聞こうか? フォルテ王子……」
「ひ! ま、待て! まずはフレムのこの状況をだな……」
どうやらセリオスが腹に据えかねているのはフォルテのようだ。
助かった……。と思ったら責任をこちらに投げてくるフォルテ。
セリオスは俺とハミルを交互に見てから目を泳がせた。
「今の状況……。我等は明日とも知れない命やもしれん。良いではないか……、こういった事も必要なのだろう」
何かを悟ったようなセリオス様は、どうやら大変な誤解をしていらっしゃるようだ。
俺は無実だ。本当に何もしていない。
「いやいや、お前ちょっとフレムに甘くないか!?」
「そんな事はない。それよりおまえには一国の代表としての心構えが欠落しているな。こちらに来い」
フォルテは抗議の声を上げるが一蹴され、セリオスに連れられて行ってしまった。
良かった。なんとか、何事もなく済んだな……
「今の内だ……、ハミル! 着替えるぞ!」
「ええ……、僕まだ眠いよ……。一緒に寝よ?」
急いで着替えようとする俺に可愛らしい笑顔を向けてくるハミル。
なんだこの子は? 天使なのか? それとも悪魔なのか?
「駄目です! ほら、ちゃっちゃと着替える!」
「む~」
俺はむくれるハミルを嗜め、着替えを終えて部屋の外へ出た。
部屋から少し離れた廊下で正座をさせられ、セリオスに説教されてるフォルテの元へ近付く。
「その辺にしとけよセリオス。ちょっとした息抜きだと思えば可愛いもんだ」
「弛み過ぎだと注意しただけだ。おまえもそうそう油断を見せるなよ」
誤解を招かずに済んだ安心感から助け舟を出したつもりが、俺までちょっと怒られてしまった。
ごめんよセリオス。眠かったんだ。
「んで、着替えはどうだった? 感想を聞かせろよ?」
立ち上ったフォルテはニヤニヤと品のない顔で耳打ちしてきた。
絶対に懲りてないなコイツは。そう思いつつも俺はその言葉にしばし思考を巡らせ、その場に膝を付く。
「見て……なかった……」
絶望感が俺の中に吹き荒れた。くそ! なんて事だ……
この状況から離脱する事しか頭になかったぞ……
「ありゃりゃ、そりゃ御愁傷様。ハミュウェルの方は……」
フォルテは先程からずっと下を向いているハミルを横目で確認する。
俺もつられて覗いて見ると、ハミルは頬を蒸気させ不自然に口元を吊り上げていた。
「ふへ……、ふへへぇ……」
「御堪能し尽くしたようだな……」
怪しく笑うハミルを見て呆れ気味に呟くフォルテ。
膝から崩れ落ちた俺からハミルの顔は良く見えるが、目を合わせるのが恥ずかしくなる表情である。
しかし、早起きまでしたのにフォルテも怒られ損だっただろう。
何を企んでたのかは知らないが、協力者のハミルが爆睡していたとは思いもよるまいて。
「とりあえず一度部屋に戻れ。ボルト殿が心配していたぞ。おまえが何かに取り憑かれたのではないかとな」
「あ~、やっぱ付けられてたのか……。しゃーない、謝りに行くか……」
セリオスはフォルテのお付きである爺さんから知らせを受けていたようだな。
朝っぱらから不審な行動を取り続けるフォルテが心配だったのだろう。
多分鍵はハミルが渡しているので、この子も後でお説教だ。
セリオスはこの後ゴルギアートと話し合いをし、午後から城で本会議を行うらしい。
やっぱり俺も行かないといけないようだが、午後までは自由行動となった。
セリオスとフォルテとはその場で別れ、俺は午後まで暇となる。
なのでハミルに淑女たる者の心得を説きながら、廊下を散歩する事にした。
すると廊下の壁に背を向け、目を閉じて正座をしている爺さんとチンピラを発見する。
彼等の目の前にある部屋はチノレ達の寝所だ。
「「おはようございますフレム様」」
近付くと法王とカルマが声を合わせて挨拶をしてきた。
寝てたのかと思った。驚かせてくれる。
「おはようございます。起きてたんですね……。まさか一晩中ここで? なんか申し訳ないんですけど……」
「何を仰います。我等は元よりチノレ様とリノレ様の寝所を見守るつもりでありましたからな。せっかく用意された部屋が無駄にならずに済みましたぞ」
部屋を奪って本当に申し訳ないと思ったが、法王は本気でこの場を動く気はなかったようだ。
彼らが色々変態なのは理解しているが、よく体力が持つものである。
「眠くないんですかね?」
「寝ておりますとも。心身を休ませつつ、即座に行動を起こせる技法。それこそが退魔行の初歩なのです」
純粋に俺は寝不足を心配したが、法王は元気いっぱいだ。
よく分からないけど法王も退魔神官も凄いんだな。
ちらりとカルマの方に目を向けると、昨日までとは雰囲気が違っていた。
黙っていても漏れ出ていた激情が鳴りを潜め、落ち着いた闘気を纏っているのが感じ取れる。
「正直な話……、長年この修行の意味が理解出来ませんでした。何故、ただ動かぬ事が力になるのかと……。ですが、今なら分かります。本当に必要な時に全身全霊を傾ける為、その為に力を留める事……。つまりはこの瞬間の為なのですね!」
「その通りだカルマよ! 一度として達成出来なんだこの技法。一夜にして体得せしはその信心の成せる技! 感じるが良い、昨日までのお主を大きく越えるその力を!」
カルマと法王は静かに熱く語り合っている。
カルマが側近枠で連れてこられた理由はこれだな。
法王は自らに次ぐチノレ、リノレ狂いを連れて来たという訳だ。
「ハミュウェルよ。我等はチノレ様、リノレ様が御起床なさるまでこの場を動けぬ。引き続きフレム様の警護を頼むぞ!」
「はい! お任せ下さい法王様!」
法王の命を恭しく受け取るハミル。
彼等は自分達が何の為に来たのか絶対に覚えていないだろう。
フォルテが可愛く見えるというものだ。
それから俺とハミルは法王達の元を離れ、朝の新鮮な空気を肌で感じようと一階への降り口を探した。
窓から見える景色が高いので、今居る場所は三階以上なのは間違いない。
とんだ大冒険である。
「まず、昨夜どうやってこの階層に来たのか思い出せないんだが?」
「一旦上に登るのかもしれないよ? 僕も走り回って辿り着いたから分からないけど」
冗談抜きで降り方が分からず、俺とハミルは不思議な気持ちを共有している。
諦めず廊下という迷宮からの出口を探していると、今度はジュホン帝国の剣士、ハバキと遭遇した。
「あら? おはようございますハバキ殿」
「……チッ! 朝から呑気な面を見せおって……。腹立たしい」
明るく笑顔で挨拶したのになんて言い草だ。
ハバキさんったら朝から超絶不機嫌です。
ショックで三日くらい寝込みそうである。
「まぁ御挨拶。仲良くしようよハバキさん。仲間じゃないですか?」
「勘違いするな。一時の共闘とはいえ馴れ合うつもりはない。ましてここは兵器製造も盛んな工業都市グロータス。その兵器がこちらに向く可能性もある。油断など出来ようはずがない」
努めて優しく対応する俺に冷たく言い放つハバキ。
寝不足なのか、疑心暗鬼の塊である。
それはともかく、俺だっていつもボケっとしている訳ではない。
「今……、何て言った?」
俺は怪訝な表情を浮かべていただろう。
信じがたいセリフ、俺はそれを聞き流す事が出来なかった。
「ふ……、勘に触れたか? 何度でも言ってやる。お前達と馴れ合うつもりは……」
「そうじゃない! ここだ! この場所はどこだと言った?」
何故か勝ち誇るような顔をしたハバキ。俺の感情を乱せた事がそんなに嬉しいのか?
だとしたら喜べば良い。俺の心は今、おまえの言葉で大変乱れている。
「……工業都市グロータスだと言ったが?」
「グロータス! ここがか!? 物作り世界最高の技術が集うグロータスなのか!」
ハバキから飛び出した探るような声に、俺は目を輝かせ心を踊らせた。
なんて事だ……、セリオスの奴め。
何故黙ってたのだ。世界最大の工業都市とは聞いていたが……
まさか憧れのグロータスとは思わなかった。
どおりで物が安いはずだ。産地なのだから当たり前だったのだ。
「いや、お前ゴルギアートの名を聞いて気付かなかったのか? ヤツがこの国の頭になった事とて民からの信頼ゆえの……」
色々教えてくれるなんて結構優しいんだなハバキくん。
確かにゴルギアートはグロータスと名乗っていた。なるほどな。
よく分からんがなるほどな! そういえば何度も聞いた気がするぞ!
「貴重な情報ありがとうハバキくん。俺はちょっとお外まで散歩に行ってくるよ! すぐに戻るから。セリオスにもそう伝えといてくれ。行くぞハミル! ついて参れ!」
「がってんしょうち!」
俺はハバキに軽くお礼を言うとハミルを連れ、再びこの迷宮の出口を探しに駆け出した。
工業都市散策という目的が出来たのだ。こんな所で迷っている場合ではない。
我が行く手を阻む壁ならば、粉砕するもやむなしなのである。
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本会議に向けての準備を終えたセリオスは、その足で各国代表者を呼びに向かった。
法王ブェリョネィースと話をしている最中、セリオスはたまたま通り掛かったハバキからフレムの動向を知らされる。
「何!? フレムが散歩に出かけただと!」
「ええ、ここがグロータスであると伝えたところ、足早に駆けて行きましたぞ。物のついでに伝えましたが……、私もコウメイ殿に呼ばれていましてな。これで失礼させて頂く」
驚愕の声を上げるセリオスを尻目に、無感情に語り終えたハバキはその場を後にした。
セリオスは奥歯を噛み締め、フレムから目を離した事を心から悔やむ。
「く! しまった……、伝えなかった事が裏目に出たか……。驚かせようとはしたがまさか、そこまで興味を持っているとは思わなかった……」
「心配召されるなセリオス殿下。フレム様には優秀な警護の者が付いておりますゆえ」
狼狽するセリオスを安心させようと法王ブェリョネィースが口を開く。
その言葉で少しばかり安堵するセリオス。
一人でないのなら、まだ可能性は残っていると考えていた。
「こちらも助かっておりますぞ。何せハミュウェルのヤツは壊滅的に方向感覚がなくてですな。一人で行動させたら絶対に目的地に辿り着けぬのですよ。いやはや、フレム様が居て下さって良かった」
法王ブェリョネィースの発する絶望的な言葉。
セリオスは勇者チームであるハシルカとは度々激突していた。
メンバーの特色なども当然把握している。
身に纏う空気を即座に引き締めたセリオスは、配備されていた見回りの衛兵に指示を出した。
「捜索隊を組織しろ!」
セリオスが命じるは緊急事態発生の狼煙と同義。
たとえフレム一人でも、セリオスには帰ってくる未来が見えない。
それが、常々勇者チームを振り回していた帰巣本能欠落娘と共に居る。
二人が揃っていてはどこまで行って何をしでかすのか、セリオスでさえ検討もつかなかった。




