八十話 ドラゴンズメモリー
竜族。
それはこの世界で生態系の頂点に立つ存在。
下位とされる竜族でさえ、並の軍隊では歯が立たない。
中位竜族にもなれば人間を遥かに越える知性を有し、一体で大国を滅ぼせる力を持っている程である。
破壊竜という例外はあるが……
伝承に現れる勇者に倒されし悪竜、国を滅ぼす邪竜……
そのほとんどは下位か中位の竜族。
上位竜族とは世界を席巻する存在。
全ての生物を超越し、全ての事象を支配する。
調和を望み、平和を尊ぶ上位竜族は世界の守護神とされ、世界を見守り続けていた。
そして現在において……
その存在は衰退し、ほとんど残ってはいない。
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大空を駆け、ネプトゥヌスを追うマトイ。
マトイは不自然な心の乱れを感じていた。
(なんだろう……気持ち悪い……)
ネプトゥヌスを追い掛け始めた時からマトイにまとわりつく嫌な気配。
得たいの知れぬ恐怖から、加速度的に募る不安。
(どうして……)
(貴女が……ねば……)
聞き覚えのある男女の声が、幻聴のようにマトイの心に闇を落とす。
巨竜の内部に居るマトイの本体は、オルゴールを抱き締めながら不安を押し殺していた。
(やめて……ください……。私は……、強く……なりますから……)
「この辺りで良かろう」
懸命に幻聴を払おうと念じるマトイにネプトゥヌスから声が掛かる。
そこは大陸の西部、海の見える山岳地帯。
ネプトゥヌスは減速しながらゆっくりとその地に舞い降りた。
マトイも後に続き地上に降り立つ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「なんだ? 戦う前からそんな状態では……」
すでにふらふらで息も絶え絶えなマトイ。
それを見て呆れ果てるネプトゥヌス。
しかしネプトゥヌスはすぐにその異常性に気付き舌打ちをした。
「チッ、プルートのヤツか……。余計な事を」
マトイにまとわりつく瘴気、それはプルートの掛けた暗黒魔術。
精神に作用して不安を煽り、その者の心の闇を浮き彫りにする術式。
本来高い精神力を持つ上位竜族には効くはずのない術である。
「もはや戦うまでもないではないか……」
「うる……さい!」
冷めた目で見つめるネプトゥヌスに向け、マトイは急かされたようにドラゴンブレスを放つ。
それはネプトゥヌスの咆哮により呆気なく相殺され、マトイは気圧された。
竜の力、光の奔流ドラゴンブレスを、ただ叫んだだけでかき消されたのだ。
「何をそんなに猛っている? 例えお前が天竜としての能力を発揮出来たとしても……。生命の竜天魔法において、この俺に届くはずがないだろう?」
悠然と佇むネプトゥヌス。
天竜と闘竜には明確に異なる点があった。
熱や大気、自然に干渉する竜天魔法に長けた天竜。
莫大な生命力を自由自在に転化出来る、生命の竜天魔法に長けた闘竜。
生命力、身体能力という面で見れば闘竜こそが真の頂点。
力押しで勝てる存在など本来、自然界には存在しないのだ。
「私が……倒すんだ……。でなきゃ……、私は……また皆を……失っちゃう……」
生体になれなかった天竜、幼竜のまま数百年も成長の止まったままだったマトイは生みの親に捨てられた。
瞬間的な魔力の高さこそ天竜のそれだが、制御もおぼつかず、精神力は中位に、身体能力は下位竜族にすら劣る。
孤独と絶望、その境地から救われた今でさえ、竜という種族に劣等感を持っていた。
竜族の成り損ない、誇りを持たぬ別の生物。
その蔑称がマトイの中にくすぶり続けている。
「ガァァァァァ!」
見るに堪えぬと言わんばかりにネプトゥヌスは薄くドラゴンブレスを放つ。
ブレスはマトイの異現魔法による巨竜装甲をみるみる引き剥がしていった。
巨竜という衣が剥げ、大地に投げ出されるマトイ。
その身体には黒い煙が生き物のようにまとわりついている。
ズシン、ズシンと音を立ててマトイに近付いていくネプトゥヌス。
マトイはオルゴールを両手で大事に抱えたまま、ネプトゥヌスの巨体を睨み付けた。
その瞳は弱々しく怯え、些かの力も篭ってはいない。
ネプトゥヌスはマトイの持つオルゴールと首飾りを見て落胆する。
「人にほだされし哀れな同胞よ……。奴等はこの世界の『侵略者』だぞ? 何故そんなものに固執する」
「侵略……者? なんの……話よ……」
ネプトゥヌスの言葉の意味が分からないマトイ。
竜族が衰退し、世界の頂点の座を追われたのは神の国、古代帝国ファシルが主な原因であるのは分かっている。
だがそれは単なる生存競争と言っていいはずだった。
「人間に追い詰められたからって……。侵略者なんて……言い方は……情けないんじゃ……ないの?」
精神を汚染され、苦しみながらも精一杯の悪態を絞り出すマトイ。
マトイにとって人という存在は、自分からゼラムル達を奪った忌むべき存在。だが同時に希望でもあるのだ。
そこまで悪く言われては気分の良いものではなかった。
「そうではない、奴等は本来この世界に……。ふん、まあいい……しょせんは無知な幼子か……。もう休め、お前など始末してもなんの感銘も受けぬ」
ネプトゥヌスはマトイに手を伸ばし、その身体を指で弾いた。
小さなマトイにとっては全身を殴打されたようなもの。
首飾りは粉砕され、地面を滑るマトイ。
オルゴールも粉々になり空中に霧散した。
大切なオルゴールが破壊された事を認識したマトイは、痛みも忘れすぐに起き上がる。
大事にオルゴールに入れて置いた物。
朽ちてはいたが辛うじて原型を留めていたリボンも粉々になり、風に溶けて行くのをマトイはただ茫然と見つめていた。
「あぁ……、やだ……、行かないで…………、行かないでよぉ……」
千年間、マトイの心を守っていた拠り所の喪失。
辛うじてマトイの精神を保護していた首飾りの消失。
くすぶっていた瘴気がマトイを包み込む。
先程まで微かに聞こえていた声はその音を増していった。
(なんでお前は生きてるんだ……)
(どうして助けてくれなかった……)
ゼラムル、アグニスの声が響く。
悪意を持って、憎しみを込めて……
「うわ……うわぁ……。ごめ……ごめん、なさ……」
(役立たず……)
(貴女が死ねば良かったのに……)
震える声を絞り出すマトイに、ルナリィ、ルーアの声が重く突き刺さる。
皮肉を込めて、殺意を持って……
「あ……あぁぁぁ……ぁぁ…………」
立ち上がる気力もなくなり、地に伏せるマトイ。
その虚ろな瞳からは涙が溢れていた。
「良い子に……してます……。見捨てないで……下さい……。助けて……置いていかないで……くださ……」
黒い瘴気の塊に覆われているマトイ。
その身を小さくすくませ、ぶるぶると震えている。
「下らん……」
ネプトゥヌスは踵を返す。
神代より生きるネプトゥヌスにとって、天竜や同じ闘竜であっても遅れを取るつもりはなかった。
まして相手がこんな簡単な魔術に囚われるような者ならば……
まともに相手にする方が惨めになるというものだった。
ーーーーーーーーーー
まどろむ意識の中、マトイはかつての光景を見ていた。
それは千年前の、楽しかった日々……
「だから! 必要だって!」
「要らないって言ってるだろう!」
宿屋の一室で言い合いをする二人の男。
一人はヴァルヴェールを腰に差した剣士アグニス。
もう一人はマトイを両手で抱き締める深紅の赤髪の青年ゼラムル。
マトイはゼラムルの腕の中で我関せずとばかりに、大きな丸いパンをもちゃもちゃ食べていた。
そこにドアを開けて入ってくる女性。
長い紫色の髪をした魔道士ルーア。
「なんの言い合いをしてるの、あの二人は? 部屋の外まで丸聞こえよ」
ルーアはドアの近くに佇み、ゼラムル達を眺めている二名に問い掛けた。
空笑いをしている少女ルナリィと、その横に立つ白い全身鎧のランドグリスに。
「あはは……、マトイちゃんの防具を作るかどうかで揉めてるみたい……」
「マトイニ。キメサセタラ。イイノダ」
ルナリィとランドグリスが交互に答える。
二人共この光景に呆れて返っている様子。
「だから! 成長するまでの間だって! こないだみたいに眠らされたら危ないだろうが!」
「あんな事は二度とない! マトイは俺が守る!」
なおも口論を続けるアグニスとゼラムル。
原因は人間の子供でも掛からないような魔術にあっさり引っ掛かったマトイ。
アグニスはマトイには自分の身を守る為の防具が必要と考えていた。
対するゼラムルはそんな物でマトイを縛らせたくはなく、ゴチャゴチャした物を着けさせたくもないようだった。
「マトイもね。女の子なんだし……。オシャレ感覚でも良いんじゃない?」
ルーアは嗜めるように、ゼラムルの胸元からマトイを奪いながらアグニス側に付いた。
防具というよりも着飾る事に焦点を置いた考えだ。
「マトイちゃんの気持ちも大事だよぉ?」
ルナリィはルーアに抱えられるマトイの頭に頬擦りをする。
何はなくとも本人の意思を尊重したいようだった。
「すでにマトイはあらゆる物を纏ってるんだぞ? 気高さ! 可愛さ! 美しさぁ!! 大体そんな物を過信すると痛い目に会う!」
ゼラムルはルーアからマトイを奪い返して叫ぶ。
感情的になり、本題からずれ始めている事にさえ気付いてない。
「オヤバカハ。ホオッテオイテ。コチラニ。コイ」
ランドグリスは両手で手招きをしマトイを誘う。
ゼラムルは背を向けて拒否の姿勢を示した。
「ちょっと! 独り占めしないでよ!」
「そうだよぉ! マトイちゃんは皆の娘だよぉ?」
ルーアとルナリィに続き、ランドグリスまでがマトイを奪いに掛かる。
だがゼラムルは全力でそれを阻止していた。
「い・や・だ! 俺の娘だ!!」
子供のように駄々をこね、むくれるゼラムル。
仲間達に背を向け、唸り声を上げて威嚇する。
「微笑ましいですねぇ~」
宙を漂う白蛇ヴァルヴェールは呆れたように、されど楽しそうにその光景を眺めていた。
幸せな空間、マトイにとって至福の一時だった……
(強くなくても良いの? 成長なんてしなければ……、守ってもらえるの? 弱ければ……、側に居てくれる? 私は弱いよ? 小さいよ? だから守って……、側に居てよ……。行かないでぇ…………。帰って……来て……よぉ……)
かつての世界はまどろみ、帰ってくることはない。
風景は滲み、マトイの願いと共に消えていく。
押し出されるように映し出されたのは、また別の思い出。
「どうだマトイ! 頑張って作ったんだが……」
「うん! 嬉しい!」
ゼラムルからオルゴールを貰い、上機嫌なマトイ。
部屋の隅からアグニスとランドグリスがゼラムルにジト目を送っていた。
「俺も協力したんだけどなぁ~!」
「ワタシモダ」
さも自分一人の手作りプレゼントと言わんばかりの態度へ当て付けるように。
横からアグニスとランドグリスが不服そうに愚痴を溢している。
「良いじゃない別に……。ただ随分リズム早いけど……、すぐ壊れそうねそれ……」
オルゴールとは思えない程軽快な音色に部品の寿命を心配するルーア。
ゼラムル、アグニス、ランドグリスの三名はその懸念について説明した。
「マトイの可愛さと元気さを表してみた」
「儚げな音色ってマトイに合わねぇだろ?」
「チカラ。ヅヨク。ムジャキニダ」
オルゴール製作組の三名は満足そうに語る。
素材の耐久力など欠片も考えていない。
そんな事よりイメージを重要視したのだ。
「私とルーア姉さんからはこれだよぉ」
ルナリィはマトイの首に揺ったりとしたリボンを巻いた。
金のラインの入ったピンクのリボン。
「一応それも手作りだからね。おまじないも込めたんだから! ゼラムもこのくらいの守護は許してくれるでしょ?」
ルーアは満足そうに微笑んでいる。
ゼラムルとアグニスの意見を取り入れた結果だ。
文句は言わせないとばかりにふんぞり返る。
「わぁ! 皆ありがとう! 一生大事にするね!」
マトイは嬉しそうにオルゴールを聞きながら、宝石をオルゴールに詰めていった。
以前防具に加工しようとした宝石だが、結局ゼラムルの許可が下りなかった物である。
「一生って……、オルゴールの方が先に無くなるだろう……。影も形もなく……」
アグニスは笑いながら呟き、同意を求める視線を泳がせる。
そこには、せかせかと宝石を詰めるマトイを愛しげに眺める者達。
「無くならないよ。私達の想いは……」
「そうだな、俺達のマトイへの想いは無くならない。マトイが強く成長するその時まで、このオルゴールとリボンはマトイを見守ってくれるはずだ」
優しく頬笑むルナリィに同調するゼラムル。
願いなどではなく、その言葉には確固たる想いが込めてあった。
「セイチョウ。スルカ?」
「当たり前だ」
ゼラムルはランドグリスの問いに自信満々に言い返した。
それを見たルーアは微笑んだまま問い掛ける。
「その根拠は?」
「決まってるだろう?」
そう言い、一呼吸するゼラムル。
もはやお約束と化している言葉。
アグニス、ルナリィ、ルーア、ランドグリスがゼラムルの言葉に重なるように声を合わせる。
「「俺の娘なんだから」」
その言葉を最期に、マトイの見ていた世界は完全に光へと変わり消え失せる。
二度と戻らぬ夢の消失。二度と会えぬ、大切な家族。
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昏倒したマトイに背を向け、翼を広げようとしたネプトゥヌスは立ち止まる。
満ちていた邪気の揺らぎと、消えかけていた命の再起を感じて。
「なんだ?」
突如ネプトゥヌスの後方で風が動いた。音を立て吹き抜ける力強い突風。
小さな竜を包み込んでいた瘴気は一瞬の内に払われる。
そこには大地を握りしめ、歯を食い縛り立ち上がろうとするマトイの姿。
マトイは自身を蔑んでいた。
上位竜族のくせに弱い自分、小さな自分が疎ましかった。
強くなければ見放されると思う反面、弱いまま甘えたいと思う気持ちがあった。
本当の弱さの根底はそこにあった……
「勝手に思い込んで……。幻聴に踊らされて……。なんで忘れてたんだろう……。なんで気付かなかったんだろう……」
マトイは自分の瞳の奥に、確かに刻まれていたものを思い出す。
誰一人、マトイを侮蔑なんてしていない。
誰一人、マトイを蔑んでなんかいない。
ランドグリスはいつもマトイに構ってくれた。
アグニスはいつもマトイを心配してくれた。
ルナリィはいつもマトイに優しくしてくれた。
ルーアはいつもマトイを信じてくれた。
(ごめんなマトイ……。弱い父親で……。お前を……、俺達の思いと共に……、この世界に置き去りにしてしまう事を……情けなく思う……。でも忘れないでくれ……。信じてくれ……。俺は……おまえを心から……、愛している……)
別れの時、涙を溢すゼラムルが最期にくれた言葉。
身を焦がす怒りの中でも、ゼラムルからけして消えない想い。
(ゼラムは……いつも……。こんなにも! 私を愛してくれていたのに!!)
マトイの中に、確かな想いが形となり残る。
何が消えても過ぎ去っても、永遠に無くならない真実。
その瞳の奥に残る、暖かな家族の笑顔。
「くだらないことばかり考えてた……。私の存在は……、とっくに認められていた。私は孤独なんかじゃなかった……。置いて行かれてなんかいない。皆の世界はここにあった……。この世界を纏い、顕現した存在……。私はマトイだ!!」
マトイは初めて、誇りを持って自身の名を呼んだ。
気高い咆哮と共に力強く起き上がる。
その目に憂いはなく、もはや己の存在に引目はない。
「矮小なる者よ……、俺に歯向かっても死ぬだけだぞ?」
諭すように語るネプトゥヌスも揺るがない。
術式を払おうと実力差は変わらないとばかりに。
「臆病者が偉そうに……」
「なに? 俺が臆病者だと?」
マトイはもはや威嚇などものともせずに呟いた。
聞き捨てならないその言葉に反応するネプトゥヌス。
「そうだよ! アンタなんで今になって出て来たのさ!」
「ぐ……ぬ……」
マトイの言葉にネプトゥヌスは動揺を示す。
ネプトゥヌスは数千年もの間この大陸の険しい山々に住み、世界との接触を絶っていた事実がある。
「聞くまでもないよ、ゼラムが居なくなったからだ! 千年間、封印されてたゼラムが恐くて出て来れなかったんだろう! 何が頂点だ! 最強だ! 臆病者以外の何者でもないじゃない!」
「……ああ、そうだ……。だがもうヤツは居ないのだろう? この俺こそが! この世界最強の存在だ! この世界を支配し、在るべき秩序を取り戻すのだ!」
マトイの指摘を肯定し開き直るネプトゥヌス。
正確に言えばゼラムル『だけ』ではなかったのだが……
それはこの場において詮無きことだった。
「世界を荒らしておいて何が秩序だ! 何度も言わせないで……、あんたが最強? そんな訳ないでしょ……。私が……、最強の覇王竜ゼラムルの娘。マトイが居る限り……、好きにはさせない!!」
金色の魔力がマトイを包み、その身が巨大化する。
その姿は先程とは比べるべくもなく、一層の魔力と覇気を湛えていた。
マトイを中心に大地が揺れ、大気が揺らぐ。
翼を羽ばたかせずに宙に浮き、空には暗雲が立ち込め、豪雷が轟いている。
「なんだこの魔力は!? 天竜になれなかった者が……、天竜を越えるのか?」
驚きながらもほんの少し口元を緩ませるネプトゥヌス。
マトイに呼応するように宙に舞い、力を解放する。
放たれる波動は大地を削り、二体の力が周囲の山肌を崩していった。
闘竜がこの世界最強の身体を持つ存在ならば……
天竜はこの世界最強の魔力を持つ存在。
種を極め超越する者、ドラゴンロード。
天を掴み支配する者、マスタードラゴン。
世界を揺るがす大きな力。
二つの天変地異が大地と大気を揺らす中……
風に流れたリボンの粉塵が光り輝き、そして消えていった。
子の成長を見届け終えたかのように……




